最後の思い出となったプリクラを握りしめ、摩耶は震えていた。

 感情のない目。無表情。凍えるような黒いオーラ。

 彼女はしかし、その内に隠された感情を必死で押し殺していた。なぜ彩音が自ら命を絶ったのか、「あの人」というのがはたして誰なのか。真実の全容を知ったとき、摩耶は力なく笑ってしまった。自分にすら相談しないまま死んじゃったのか―いや、相談できないほど私が頼りない人間だったのか。そんな無力感に包まれ、脱力するしかなかった。

 ―彩音。あんた、なんであたしに何も言わずに死んだの。あたしも連れてってよ。

 握りしめたプリクラが、徐々に変形する。その歪みはどこか、親友の死から今に至るまでの間に変わっていった自らの心のようだった。

 摩耶も後を追いたいと願った。何日も自室に籠もり、一人で泣き続けた。今頃は天国にでもいるのかなとか考えると、どこか遠くの世界に旅立った親友を思って悲しくなった。

 あの時彩音が言っていた、「人生に疲れた」という言葉は、間違いなく一瞬の心の迷いではなかった。なぜ自分はそれに気づけなかったのか、ずっと自分を責め続けた。ひょっとしてあの時読み取れていたならば・・・防げたはずだ、親友の死を。

 告別式から3日間、ただ空虚な生活を送った。泣く。泣き疲れて眠る。起きてまた泣く。学校になんて行けない。

 

 そんな彼女が立ち直ったのは、彩音の死から1週間ほどたった夜だった。

 ふと顔を上げた摩耶は、机の上に飾ってある彩音とのツーショットが目に入った。

 屈託のない笑顔。何もかもを忘れ、ただただ幸せな瞬間を過ごしていたときの、無邪気な笑顔。それでもどこか感じられる、「孤独」に対する恐怖の色。同時に、その瞬間を捕まえようとする必死さの色。

 気づいた。


 ―復讐。それがあたしの、彩音に対する償い方で、弔いなのね。


 『・・・!?』

 気づいた瞬間、。自分の内側で奇妙な感覚がした。


 ―摩耶。摩耶?

 誰かが自分の名前を呼んでいる。繰り返し、繰り返し。

 誰が?なんで?

 ―摩耶、聞こえてるでしょ?

 とっさに自分の部屋を見回した。

 誰もいない。しかし声だけがこだます。

 ―あなたは今、耳では聞いてない。心の中で聞いてるのよ。

 ―あなたは、誰。

 ―私は、あなたの親友。かけがえのない友達。

 ―・・・彩音?

 悟った瞬間、どこからともなく嬉しさがこみ上げてきた。まさか、こんな形で彩音に再会できるとは。姿は見えないが、それでもよかった。

 ―彩音!

 ―私は今、彩音じゃないの。だから、彩音とは呼ばないで。

 ―・・・どういうこと?

 ―死んだ私は、彩音という存在ではなくなっちゃったの。だから、彩音って呼ばれると・・・不慣れなのよね。

 彩音が、彩音じゃなくなった状態。いったいどういうことだろう。しばし摩耶は逡巡していた。

 しかし、なんとなくわかっていた。死んで別世界の住人となり、存在自体が変わってしまった彼女は、前世で呼ばれていた名前で呼ばれることが嫌なのだろう。

 ―私のことは、マスターと呼んで。

 ―・・・マスター?なんで?

 不覚にも笑った。本来ならば死んだ友人と心の中で会話をするという奇妙なシチュエーションを疑うべきだったのに、なぜか摩耶はすんなりと受け入れてしまっていた。彼女はもはや彩音が心の中にいる、それだけで素直に嬉しかったのだ。

 ―いいから。マスター、ね?

 ―はいはい。で、なんであたしの心の中に来てくれたの?

 

 ―復讐の依頼を死に来たの。


 「摩耶ー!」

 階下から母親の声が聞こえ、そこで現実に引き戻された。

 死んだ友人と心の中で会話ができるようになった日、彼女の死の原因となった人間への復讐を依頼された。

 

 2人だけ、どうしても復讐しなきゃ気が済まない人がいるの。

 

 その友人の言葉のとおり、自分は復讐をしようとしている。

 彼らにはわからせてあげるだけ。どれだけ彩音の自殺が自分たちにとって大きいものなのか、わからせてあげるだけよ。

 握っていたプリクラを手放した。その目に涙という感情表現が戻ってきた。


 ※


 「あー、悠磨ー!先に帰ったんじゃないの?なんでこんな時間に制服のままこんなとこほっつき歩いてんの?」

 学校からの帰宅中、ふらふらとしたおぼつかない足取りで歩く悠磨を見つけた景子は、不審に思いながらも彼に近づく。しかし、彼からは何の返事もない。

 「・・・悠磨?」

 さすがに何かがおかしいと思い、小走りで彼の前に回り込み、顔を覗き込んで―息を飲んだ。


 彼の顔は、死人のように青かったからだ。


 「い、生きてる?!」

 「生きてる」

 そこで初めて彼からの生体反応が返ってきた。

 「ど、どうしたの!?」

 言うべきか、言わないべきか。躊躇う悠磨の目に、本気で心配している景子の顔が映る。こんな顔をする幼馴染を前に、やっぱり隠し事はできないだろうということを悟った。そもそも少女の家に行くことを隠した時点で間違いだったと思う。

 「実は―てか話す場所変えようぜ」

 息を吹き返したように顔色が戻りつつある彼は、意を決したように景子を促した。


 というわけで、行きつけの喫茶店にやってきていた。

 そこで悠磨は、今日起きた全てのことを景子に話した。

 泰典から誘われて、自殺した少女のアパートに押し掛けたこと。そこで見つけたプリクラに、クラスメイトの摩耶が映っていたこと。よって2人には何らかの接点があったということ。結論を言えば、摩耶を頼れば何か自殺のヒントがつかめるかもしれない、ということだ。

 一部始終を黙って聞いていた景子は、全容を聞き終わるや否や、


 「何でそんな大事なこと黙ってたの!」

 

 なぜかキツく叱られる羽目になった。

 彼女の怒りの言葉を悠磨なりにわかりやすく解釈しようと努力したところ、どうやらそんな大事なことを悠磨に秘密にされ、一言もないまま少女のアパートに乗り込んだことが一番お怒りの原因になっているらしい。そしてなぜ、それほど大事な事実が発覚したあとにも何の連絡もなかったのか、ということが問題のようだ。

 悠磨とて、別に隠したくて隠したわけじゃなかったのに・・・と内心愚痴るしかなかった。余計な心配だけはかけたくないという彼なりの最大限の配慮が、どうやら裏目に出てしまった。心の中で地団駄を踏んだ。

 「でも、すぐに摩耶に連絡するべきよね」

 「いや―待て」

 慌ててケータイを取り出しかけた景子を、悠磨はそっと制した。

 「なんで?!摩耶は知らないから何も変わった様子がないんでしょ!じゃあなおさらおしえてあげなきゃ!友達が死んじゃったのに・・・」

 

 「摩耶は間違いなく知ってるはずだ」


 その言葉に、必死で悠磨を説き伏せようと息巻いていた景子の口が閉じられる。代わりにその眼が見開かれ、

 「なんで・・・そう、言えるの?」

 断片的な言葉が口を突いた。

 「知ってていつも通りの様子を演じてるんだ。たぶん、他の誰にも知られたくない何かを知ってるからだろうな」

 「何かって?」

 「・・・それは俺にもよくわからんけどな。でもこの自殺には何か裏があると思うんだよな」

 「裏・・・」

 その悠磨の仮説には、俄かには信じがたいような内容が多く含まれている。だが景子はなぜかそれは正しいという気がしていた。

 ―摩耶が、私にも隠したいもの・・・

 親友にも隠したいものって、なんだろう。

 それがどうしても気になって、嫌な胸騒ぎがするのを景子は感じた。


 ※


 その頃。

 松本彩音のアパートで。

 

 1人の少女が、部屋の真ん中に立っていた。


 透き通るような白い肌。

 華奢というよりも痩せきっていて細い体。

 どこか虚ろな瞳。


 「持ってかれちゃったわね・・・私の宝物」

 静かで穏やかな、しかしどこか張りのある声で彼女はため息をついた。

 数時間前、2人の高校生がやってきた。そして、プリクラを持って行った。しかもその2人は、自分のよく知る人間だった。

 一部始終をクローゼットの中で見てた彼女は、しかし彼らのなすことを止めることもなく見守っていた。所詮出てきたところで彼らに気づかれることはないのだが。

 

 「さて―そろそろここから出ようかな」


 そう、彼女は幽霊。

 自殺した、彩音の幽霊だ。

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