3
景子は何回も頭を悩ませていた。なぜ自分まで悠磨の悩みを共有してるのか、自分自身でも分からないが、悩んでいるのはほかでもない悠磨だ。自分もその悩みを共有しなければ…と、結局悠磨がいなくても悩むのだ。
「自殺ねぇ…」
昨日、景子は悠磨に尋ねた。死にたいと思ったことはあるか、と。あの質問は、本当は自分に向けたものでもあった。内面に問いかけないと、今の自分に勝てない気がしたのだ。家族、友人、受験、そして過去に押し潰されそうになり、死にたくなる日々だ。
何度「自殺」を意識しただろうか。やりかけたこともあった。それでも生きていられるのは、どこかに潜むもう一人の自分が止めていたんじゃないか。そいつに問いかけたんじゃないか…
「景子ー!」
自分を呼ぶ声とともに、後ろから抱きつかれた。
「摩耶…いつもいつも驚かせないでよ」
「てへっ。だって景子、また平川のことで悩んでそーだったし」
「い、いや別に悠磨のことじゃないって!」
「へーそうですかー」
「ほんと!ほんとだって!今は考えてなかった!」
「今は、ね?」
「今は…あっ!」
自爆したことに気付いたが、遅かった。顔をとっさに覆ってしまう。
「じゃあ、やっぱいつもは平川のこと考えてるのね。羨ましいわー」
「何がよ」
「そんなに一途に想える人がいるなんて、景子羨ましいー!」
「ちょ、うるさい!みんなに聞こえるでしょ!」
さすがに下校中の公道ではまずいと理解したのか、暑苦しかった摩耶は黙った。しかしその顔はまだにやついている。
「な、その、私の中ではまだそういうこと考えてないもん」
「取られるよ?」
「取られる?」
「他の子に」
突如、摩耶の顔が険しくなった。真顔のまま、なおも景子に詰め寄る。
「はっきり言うけど、狙ってる子は多いよ」
「ほんと?」
「マジマジ。うちらのクラスにもいるよ」
「えっ!」
景子は焦った。もう無関心を装っている余裕がなくなっていた。そんなに彼が狙われているなんて考えてなかったが、甘かったようだ。
「景子は幼馴染みって点でリードしてるんだから、有効活用しないと!油断できないよ!」
さらに違うことで頭を悩ませるはめになった景子は、なんかいろいろ考える気が失せた。
※
「だけど景子、なんで平川のこと好きになったの?」
「んー」
「そこ悩む?」
「まあね」
「なにそれ」
摩耶は苦笑しながら、茶色い髪をいじる。
しかし、景子には確かに理由がある。あまり人に言いたくないだけなのだが。
自分にとって、平川悠磨とは何者なのか。それを考えたとき、記憶を遠く遡ったとき、その答えが見つかった。その瞬間、景子は自分の悠磨に対する本当の気持ちを悟った。それはそして、今までずっと続いている、確かな感情であった。
フラッシュバックに浸っていたせいだろうか。隣でふざけていた摩耶の顔が、一瞬、ほんの一瞬だけだったが豹変したことに、景子は微塵たりとも気付けなかった。
心の逡巡と葛藤、あるいは記憶を振り切るようにして目を閉じる景子を見るその目は、暗い光と絶望の色を灯していたが、すぐにいつもの摩耶の顔に戻った。
―まだよまだ。今じゃない。
摩耶の心の中で、自分を諌めるかのような声がした。
―復讐は、今じゃないの。今やっちゃったら、つまんないでしょ?
―わかってるわ、マスター。
何とか景子の前では普通に振る舞うしかない。「その時」が来るまでは、この怒りと憎しみを抑えつけなければならない。その焦りと嘆きは、異常なほどにまで摩耶のプレッシャーとなっていた。
―この痛み、この苦しみ。全部まとめて返したげるわ。
景子と「いつも通りの」ふざけあい、じゃれあいに興じながら、立ち上る邪悪なオーラを精一杯隠し通すことにした。「その時」が来るまでは―
※
「にしても、なんかなぁ・・・すげー部屋だな」
「だな」
アパートの管理人の老人に、「
「彼女、ここで一人暮らししてたんか?」
「両親がいないらしい。3年前に海外転勤したまま失踪して、そのまま一人で暮らしていたらしいぞ」
「泰典、お前詳しいな」
少し悠磨が感心しただけで、泰典は調子に乗った。元来彼はそういう人間なのだが、相手が悠磨となるとさらに
「まあな。お前と違って準備はいい方だしなー!俺偉いからさ、実は昨日、めっちゃ調べてたんだって!そしたらいろいろでてきて―」
「・・・また始まったよそのナルシ癖」
呆れたとはいえ、毎度毎度のことだ。悠磨には慣れ切っていたので、さほど不快感を覚えることはなかった。
「それが自殺の原因か?関係性は―」
「ないだろうね」
バサッと悠磨はその可能性を切り捨てた。その口調には、確かな根拠があるかのような雰囲気だった。
「それが原因だとしたら、両親が失踪した時点で自殺してただろうね。3年前の時点でな」
「・・・いや、でも、でもだ!もしかしたらその心の古傷が―」
「じゃあなんで『なんとなく死にたい』に繋がるんだ?」
「ぐぇっ・・・そ、それはだな、その」
「別のところに理由があったと考えるのが自然だ。そうだな?」
まるで泰典の理論を聞かず、さも「聞く必要もない」と言わんばかりに己の理論を貫く悠磨の姿に、
「・・・けっ。変わってねぇな」
「ったりまえだろ。いつまで経っても俺は俺よ」
泰典は苦笑しつつも、感心した。その目には、純粋な尊敬の念があった。
「なんだその目」
「いいや。ただ・・・」
「ただ?」
泰典は黙ったまま、風の流れを体に感じていた。風と共に、時は流れていく。
ただひたすら、沈黙が続いていた。しかし悠磨はあえてその静寂を破る必要はないと思ったので、そのまま時間の流れるままに任せることにした。
―ただ、お前は重いもの背負いすぎなんだよ。
言いかけた言葉は、泰典の腹の中へと落ちていった。
※
部屋を一通り眺めまわした。しかし2人が求めていた「理由」に繋がるものは、何も見つからないままだった。
「悪いな、結局無駄足だったようだな」
「いいや、んなことないさ。サンキュな、泰典」
肩を落とすこともなく、清々しい表情で友人の肩を叩いた悠磨は、しかしどこか物足りないような顔をしていた。それでも、今日は帰ろうという泰典の提案には素直に従った。
「なあ、この子の周りの人間関係に繋がるもの、なんでないんだろうな」
「な。1個もない」
「せめて写真とか電話帳とか、あわよくばハガキとか・・・」
「あったらいろいろわかったかもしれないのにな」
2人で苦笑しながら出口へ向かいかけた、その時。
「ん?」
不意に泰典が何かに気付いた。
クローゼットの奥の棚の中。今日彼らが唯一手を付けていなかった場所。その戸が僅かに開いた隙間から、何か紙のようなものが覗いている。
「手紙かなんかじゃねぇのか?」
一気にテンションが上がった泰典が、つかつかとクローゼットに近寄る。勢いのままに棚の戸を開けると、その裏には赤いマーカーで字が書いてあった。
『親友との思い出』
裏返すと、それはプリクラだった。日付は3か月前の日曜日。
笑顔の女子2人が映っている。右側の黒髪のショートの子は、たぶん彩音だろう。笑顔にどこか穏やかさが宿っている。補正がかかるとは言え、それでも美しいオーラが滲んでいた。
その隣に映っている「親友」を、
「―嘘だろ」
悠磨は、知っていた。
「なんだ、お前の知り合い?」
震える悠磨の心中も知らず、軽い口調で泰典は尋ねた。しかしその答えは返ってこない。
さっきとは違う静寂に、今度は最悪なムードが場を支配した。
茶髪のロングの少女。
「Ayane」と記された、ペンで書かれたと思しき丸い文字の横。
弾けるような笑顔を見せる少女。
見覚えのある、「Friend Forever」の文字。
派手に飾られたその写真と、悠磨のすぐ近くにいる少女の顔が、一瞬にしてリンクした。
「Maya」―間違いなく、あの摩耶だ。
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