どうしても考えてしまう。そして考えれば考えるほど眠れなくなるのがわかっていても、やめられないのが悠磨の性だ。

 ベッドに入ってもまだ、彼の脳内では幼馴染のストレートな質問がリフレインする。

 死にたいと思ったこと。2度あった。確かに2度はあった。


 1度目は、小学校の時に軽いいじめに遭っていた頃の話だったが、この時はほんの一瞬の気の迷いで終わった。所詮少し精神が疲れただけで、あまり自分の中でも深刻にはとらえていないまま、思いは消えていた。

 2度目の『死にたい』気分が襲ってきたのは、高2、つまり―ごく最近のことだ。誰にも語ることのない、己の胸の裡だけに留めてある話だ。

 それは間違いなく、1人の人間の死が始まりだった。


 夏が終わり、毎年恒例の文化祭が終わった9月の中頃。それは小学校の時の悪友からもらった留守電がきっかけだった。

 「うわー、なんか留守録入ってるわー」

 塾帰り、両親が仕事でいなかったために悠磨一人しか家にいない。帰ってくるや否や留守録のランプの点滅が見え、自分一人しか家にいないことを思い出すと、一瞬で気が滅入った。何せ我が家のルールとして、『留守録の応対は最初に家に帰った人の仕事』になっているからだ。いかなる用件で、誰に対する用事だとしても、だ。

 とりあえず番号を確認した。そこに表示された番号は、最近会うことも連絡を取ることも久しくなった人間のものに違いなかった。

 久々に会おう、なのか。同窓会の知らせなのか。「いやでも同窓会なら書面で送ってくるか」と思い直すと、やっぱり浮かぶのは久々に会いたいってことなんだろうという予想だった。じゃあケータイにかけてくれよと心の中で愚痴を吐き出す。

 一分ほどののち、軽い気持ちで受話器を取り上げて留守録を再生した悠磨の心に、背負わなければならない一生傷が刻まれた。


 ※

 

 「深く考えすぎたな」と苦笑した悠磨は、体を起こすと部屋を見渡した。深く物事を考えると、なぜかいつもあの事件のことを思い出し、フラッシュバックに苦しんでしまう。悠磨自身は正当な束縛であり、贖罪でもあると考えているが。

 充電中のケータイの着信ライトが光っていないのを見ると、なぜか胸が苦しくなってきた。慌てて目を逸らす。そんなに淋しいなら、いったい誰からの連絡が欲しいんだろう。

 そこでふと、思考が止まった。

 ―自殺した子は、連絡してほしいって思える人がいたんだろうか。その子には、今の俺のように誰かの連絡を求めることが、あったんだろうか。

 もしかしたら、自殺した理由は、そこにあるのかもしれない。そう考えると、悠磨はいても立ってもいられなくなった。すぐにケータイに手を伸ばすと、電話を掛ける。

 真夜中だということは何とか一応理解してるつもりだ。頭が狂ったわけでもない。それでも、どうしても「彼」に掛けたい、話をしたいという思いが勝ってしまったのも、事実だった。

 呼び出し音が数回。「彼」は電話に出た。

 「誰だ」

 「俺だ」

 「こんな時間にオレオレ詐欺か?冗談なら俺が起きて頭しっかりしてる間にしろよ」

 「いや、そうじゃない」

 言っていいのか、いけないのか。わずかな逡巡があった。しかし悠磨は意を決し、「彼」に伝えることにした。

 「話があるんだ」

 「あ?」


 「泰典やすのり、お前に話がある。大事な話だ」


 「・・・まさか、あの件絡みか?」

 いきなり意識が覚醒した泰典の声は、突然にも凜としたものに変わった。軽くそんなところだ、と言うと悠磨は話し始めた。ここ2週間引っかかっているある少女の自殺のニュース、その事件について状況を踏まえての自分の推理を、淡々と、しかし正確に話した。

 全てを洗いざらいに話したあと、しかし泰典は何の返事もしない。

 「おい、泰典?」

 「・・・」

 「やーすーのーりー」

 「・・・」

 電話はつながったまま。だが肝心の泰典の返事がない。何度も呼びかけてみるが、返事がなかった。

 「まさか・・・寝落ちした?」

 「いや、起きてる」

 やっと返ってきた応答の声は、なぜかさっきよりも数段トーンダウンしていた。今まで寝ていたとはいえ、ここまで急激にテンションが下がるとは思えない。

 「あのな、悠磨」

 泰典の声はどこか、達観したような声だった。悪い予感がして、悪寒が走る。

 「隠しても仕方ないと思うから、お前に伝えとくわ」

 「はん?」


 「その事件、すぐ近くで起きたやつだぞ」


 ※


 夜中の電話によって意識を呼び起こされた泰典は、その後も事件について調べ続けた挙句、結局徹夜してパソコンの前に張りついたまま朝を迎えた。

 学校に行くのも嫌になり、夕方の悠磨との待ち合わせまで家に引きこもることを決めた。高校なんて俺は知らない。そんな気分だ。

 嫌な記憶。嫌な思い出。なんとなく感じた、嫌な予感。

 慌ててパソコンを開き、悠磨の伝えた事件を検索した。すると驚くことに、その少女の自殺はすぐ近くのアパートで起きたらしいことが判明した。これは嫌な流れを引き込みそうだったので、悠磨に伝えていいのか迷ったが、唯一無二の親友にしてあの事件でともに心に深い傷を負った仲間として、隠し事を支度はなかった。

 夕方、悠磨とそのアパートに行く。何のためかは自分でもわからないが、気付いたらそんなとんでもないことを口走ってしまっていた。悠磨が快諾してから、ようやく自分がなんてことを言ったのかが理解でき、わずかながらも後悔した。


 それでも、あの忌々しき事件とその少女の死には、「なんとなく死にたい」という自殺の動機が共通点が存在するという事実だけで十分、2人を突き動かすことはできる。


 どこか嫌なデジャブに、なんとなく気分が悪くなってきた。そのまま意識を、思考回路を夕方まで落としてしまおう。そう決めると、そのまま彼は倒れこんだ。

 しかし見る夢は、悠磨のそれと酷似していた。忌々しさに目を伏せたくなるような事件を全て、ご丁寧に細部までリピートしてくれる。悪夢だ。

 嫌だ、やめろ、やめろ、もうやめてくれ―

 跳ね起きた泰典の頬には涙が流れていた。恐怖心と後悔のせいで、心の傷がまた疼く。あのときのことを思い出すだけで、呼吸困難に陥りそうになる。せめて今だけでも忘れないと、悠磨に心配だけはかけられない。

 やっとの思いで体を起こすと、時計が目に入った。15:52と表示されたデジタル時計は、

 「・・・やばっ!」


 待ち人との約束の時間をとっくに超えていることを教えていた。


 重い体を起こす。俺にはまだ、これだけの余力があるじゃないか、と自分に言い聞かせながら、家の玄関を飛び出していた。


 ※


 「おせーぞ!」

 走ってくる泰典の姿が視界に入るや、悠磨は叫んだ。泰典の顔色はあまり良くなかったが、走ってくるところを見ると大丈夫なようだ。

 「すまんすまん!いやーちょっと寝落ちしてて・・・」

 「あれ、学校は?」

 「サボった。ダルいし」

 苦笑しながら悠磨は泰典の頭をはたいた。

 「で、景子は?」

 そういえば、景子にまだ何も話してなかった。偶然ながら今日は生徒会の仕事があって一緒に帰れない景子を置いて、泰典と2人で、自殺した少女のアパートに行くことになったのだ。突然の提案だったとはいえ、どうしても悠磨は突き動かされる何かを感じずにはいられなかったのだ。

 思い出しただけで、暗い顔になる。それは目の前の悪友も一緒だったようだ。

 「まあ、気楽にいこうぜ。なんとなく行きたくなっただけだし」

 無理矢理にもほどがある笑みを作った泰典に肩を叩かれ、前に踏み出す決心がついた。顔を上げると、大丈夫だと一言だけ発した。その声にはどこか、こわばった何かがあった。


 「まあ、そうだよな」


 泰典に、そして自分に言い聞かせるように言う。奮い立たせるしかない。あの事件の全てを解き明かすためのヒントを得るために、自分たちはそこに行くんだ。

 「もしかしたら、そこにヒントがあるかもしれない」

 「なかったら?」

 「その時は何も変わんないじゃないか。ただ行っただけ」

 「マジかよ。無駄足じゃん」

 「いや、そうは思わないよ」

 泰典は、隣に立つ悪友の目を見た。怯えた色の目だ。あの事件以来、よく見るようになったその目に、泰典は全身全霊を込めた視線を送る。

 「無駄足なんかじゃない」

 黙ることしかできない悠磨に、さらに畳み掛ける。


 「お前と歩む道に、お前と探すものに、無駄なものなんて何もない。だって俺らは失ったものを探すためのヒントを、この広い世界から探そうとしてるんだから」

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