四月の蜥蜴



 季節外れの雪が降った。それは四月の初めのこと。

 数日前からアパートの前に居すわり続けていた蜥蜴とかげは、さぞや驚いたことだろう。冬眠から這い出る時期を間違えたと驚愕する蜥蜴を想像したら、少し笑えた。翌日には、蜥蜴はどこかへいなくなっていた。

 慌てて土の中に戻ったわけでは、ないのだろう。


  僕は思うか

  思えるか?

  ああ、間違えたなと

  とてもじゃないが


 オーディオアンプのボリュームに、つい手が伸びる。少しずつ、何回かに分けて少しずつ、音量が上がっていく。イヤフォンの中でギターがいなないて、低音が砲撃を重ねる。ボーカルが艶めかしく滑って、ピアノが曲の輝度を上げる。刻まれるリズムが瞬く。

 何十万回も、あるいは何十億回も、世界中で繰り返し流れてきたマスターピースは――結局今の状況になってしまうと――ノイズ混じりのラジオで聴くほうがおもむきがあるように思われた。

 その思い込みは、蜥蜴が土の中に戻ることより、ずっと見苦しい。

 もうすっかり桜も散った。

 蜥蜴に再会したくても、どこにいるとも知れない。


 マスターピースが導く僕の愚かしさに、安物の缶ジュース――レモンライムで乾杯する。

 酒を振る舞ってもらえるのは僕ではなく、土中どちゅうに戻らなかった蜥蜴であるべきだ。


  何十万回?

  何十億回?

  今ここにあるのは一回だけだ

  きっと春先に這い出た

  何を恨めるものかよ

  土に戻るなんて

  僕らにとっては一回きり

  帰ってきてくれないか

  教えてくれよ

  雪路ゆきじに尻尾を

  振りかざすやり方を

  ボリュームに手が伸びる

  もう一回だけと


 万一、もう一度蜥蜴にお目にかかれたとしても、僕はおそらく、乱暴に再会を祝ってしまって、尻尾を切って逃げられる。




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