第27話 さらわれる
オープンしてちょうど一ヶ月。常連客もでき始め、私たちも店員として板についてきた。毎朝ミッチェルにカフェに送ってもらって、彼はそこから仕事に行くのが習慣となった。
今朝もみんなでミッチェルを見送ろうとすると、彼は何か思い出したように急に振り返った。
「今日はみんなでお祝いだ。そうだな…五時には迎えに来る。用意しておけ」
「お祝いってなんの?」
お祝いという言葉を聞いて浮かれ騒いでいる子どもたちの声にかき消されないよう、ミッチェルに身を寄せてたずねた。
「そうか、おまえは知らないんだな。今日はリーザなんだ。親しい者どうし集まって、キャンドルを灯して語らうのが慣わしになってる。店を開いてちょうど一ヶ月になるし、みんなで上手いものでも食いながら祝おうじゃないか」
思いがけない好機に目を輝かせた。
いつか渡そうと用意しておいたプレゼントを贈るいい機会だ。
「おもしろそう。遅れたら承知しないわよ」
五時前だというのに辺りに人気はなかった。心なしかいつもより日が暮れるのも早く感じる。みんな今日は早めに仕事を終えてお祝いの準備をしているのだろう。
カフェの中もあらかた片づけがすんでいた。
「ルカはもう休んでていいわよ」
「はーい」
まだ元気がありあまっているルカは、入り口近くに座っているお気に入りの友人のもとにスキップで向かった。
「サミュエル! まだお仕事中?」
サミュエルは二人を見ていたルシアに冷たいまなざしを向けながらうなずいた。
「ああ。大切な仕事なんだよ」
ルカは疑うようにしげしげと彼の顔を観察している。
「でもなんにもしてないよ。いっつも怖い顔してあたしたちを見てるだけだもん」
こっちを向いてと訴えるようにルカがサミュエルの腕を引っ張った。
彼は腕を引き抜くと、ルカの手が触れた部分を撫でつけた。
「あたしのこと嫌い?」
「そんなことないよ」
サミュエルはルカに視線を戻した。
「うそ。サミュエル、あたしに触られるの嫌いだもん。あたしのこと嫌いだもん!」
ルカがわっと泣き出した。
子どもはよく見ている。確かにサミュエルは最初の見立てどおり伊達男だが、それにしても病的なほど汚れや皺を嫌うことにはルシアも気づいていた。
そんなサミュエルに子どもをあやすことはできないだろう。
足を踏み出しかけたが、彼が身をかがめるのを見てやめた。
彼はルカを膝に座らせた。
「泣かないで。ごめんよ。きみのことは大好きなんだ。嫌いなのは僕の生まれだよ。生まれてからずっと…」
ためらうように間が空いた。
「金がなかったから、きれいな服なんて一枚も持ってなかった。だから服がきれいじゃないと昔に戻ったようで落ち着かないんだ」
片腕でルカを支えぎこちなくポケットからハンカチを取り出した。
「さあ涙を拭いて」
大人しく涙をぬぐった後、しゃくりあげながらルカがたずねた。
「ほんとにあたしが嫌いじゃない?」
皺ひとつなかったシャツはルカを抱いたせいでクシャクシャになっている。
だが彼は気にする風もなくルカの頭をなでた。
「大好きだよ」
ルカは真剣な赤い目を上げた。
「あたし、大きくなったらサミュエルのお嫁さんになるの。そしたら毎日お洋服をきれいにしてあげる」
サミュエルは夢見るような優しい笑みを浮かべた。
「じゃあ早く大きくなってもらわないと」
和やかな雰囲気を取り戻した二人に一安心したのもつかの間、店の裏から爆発音がした。
「みなさんはここにいて下さい。僕が見てきます」
二人の護衛のうち若い方のユーリが店を出て行った。
しばらく待ってもユーリは戻ってこなかった。
「大丈夫かしら。見に行ったほうがいいんじゃない?」
残った護衛のサイモンが剣に手をやりながらうなずいた。
「三分待ってもわたしが戻ってこなければ、入り口に鍵をかけてけっして外に出ないでください」
ベルンが不安そうに身を寄せてきた。
「大丈夫。心配ないわ」
不安な時間が過ぎた。
入り口に影が差してサイモンが戻ってきたのかと期待したが、人影は三つだった。
「今日はもうおしまいなんですけど」
ベルンを背後に押しやり、薄汚れた男たちを見据えた。
「おいおい、客に対してその態度はねーんじゃねぇか? まあ俺たちゃ―」
男が拳銃を取り出すのを見て叫んだ。
「サミュエル!」
ルカを抱えていたせいで動作が遅れた。
「客じゃねーんだな」
銃の台尻がサミュエルのこめかみに振り下ろされ、ルカもろとも床に倒れた。
その瞬間ルカは悲鳴を上げたが床にぶつかるとぴたりと途絶えた。
「ルカ!」
ベルンがぱっと走っていき、ひざまづいた。
「ルカ、ルカ!」
ベルンがサミュエルの腕をどけると、ルカは大きく口を開けたまま呆然としていた。
衝撃で息が詰まっただけだろう。サミュエルがしっかりと抱えていたから怪我はないはずだ。
だが彼の頭からは血が流れている。
後ろには身構えたロイとミエルバがいる。彼らが危害を加えられる前に私がなんとかしないと。
「お金ならあるわ。それを持ってさっさと出てって」
今日の売上金をポケットから取り出した。
だがボス然としたひげのある男は馬鹿にするように首を振った。
「ちっちっ。そんなはした金いらねーよ。ここにもっと金になるもんがあるってのにな」
男はベルンの腕を掴んで引っ張り上げた。
「放して!」
ベルンは暴れたが男は意にも介さなかった。
「こいつら売りとばしゃ、欲しいもん買っても釣りがくるぜ。ダッグ、そのガキを捕まえろ」
ナンバー2らしき男がルカを乱暴に抱え上げた。
ベルンがボスの手に噛みつくと男は悪態をついて頬を平手打ちにした。その衝撃で彼女の頭ががくんと後ろにのけぞった。
「やめなさい! その子たちを放して。お金がほしいんでしょ。なら私のほうが儲かるはずよ」
ミッチェルはなにしてるの? もう五時を過ぎてるのに。
頭に手をやった。
「ルシア、だめだよ」
小さな声でミエルバが訴えた。
「大丈夫だから、約束して。今度はあなたたちがみんなを守るのよ」
布をはずして、見せつけるために髪を揺すった。
男たちの目が見慣れない砂色の髪に釘付けになった。
「こりゃあ、なんて…こっちへ来い」
ベルンを捕まえている方が言った。
今度は私の番だ。これ以上、子どもたちを傷つけさせてたまるものか。
不敵な笑みを浮かべて首を振った。
「あなたがその子を放したらね。私、自分以外の娘が注目されてるのって我慢ならないのよ」
男はベルンを放したが彼女は動こうとしない。
「ルカを返して」
「そうね。その子も放して」
ダッグと呼ばれた男はうかがいをたてるようにボスに目配せした。
「こいつはいいだろう。大人しくしてるし、ちいせぇから金になる」
それでは困る。
唇を噛んでまだ一言も発していない男のほうを向き、ほかの二人よりも知性の感じられる瞳を見つめた。
「お仲間に言ってやってよ。子どもなんて連れてっても邪魔になるだけだって。お粗末な仕事ぶりじゃない。ゆっくりしてたら人が来るかもしれない。私は早く贅沢させてくれる人のとこに連れて行ってほしいの。ケチな王のそばじゃなくて」
「王だって!」
ボスが驚いたように声をあげるのを聞いてしまったと思った。
内心の思いを顔に出さないように努めた。
「あら、ごめんなさい。旦那のことよ。自分のことを王だとでも思ってるみたいに横柄なもんだから。だって自分は昼間からお酒ばっか飲んでるくせに、私には汗水たらして働けだなんて。私にこんな仕事がふさわしいと思う?」
ボスの視線が足元から這うように上がっていき、胸と髪を行き来した。
「思わねーな」
身震いをこらえた。
「でしょ? 私には甘やかせてくれる優しい人が必要なの。だから、ねっ?」
ダッグに腕を伸ばし恐る恐るルカを抱き取った。
冷や汗が背筋を伝い落ちる。ひとつ間違えば、全部だめになってしまう。
駆け寄ってきたベルンにルカを託した。
「ロイたちのそばにいて」
ベルンは力強くうなづいた。
檻の中にいたときのように目が怒りに燃えている。
「さてと、それじゃあさっさと行きましょう」
「いや、まだだ」
新たな試練に向けて背筋を伸ばした。
ボスがサミュエルに銃口を向けた。
「あんた、ものわかりが良すぎねーか? 言いたいことがあんなら今のうちだぜ」
サミュエルは焦点の合わない目でルシアのほうを見ている。
「私は贅沢させてくれる人のとこに行きたい。あなたたちは私を売って儲けたい。利害が一致してるのにこれ以上なにが必要なのよ」
強く出すぎた…?
緊張の一瞬が過ぎ、銃がおろされた。
「こいつらを縛り上げろ」
男たちはサミュエルを縛り上げると、四人のほうへ向かった。
ルカのすすり泣きが聞こえて胸が痛んだが気にするそぶりは見せなかった。
『弱みを見せてはいけないんだ』
彼らが目を放しているすきにサミュエルの傷に応急処置を施した。
「ミッチェルに私を追わせないで。もといた世界に戻るつもりだから」
小さな声で早口に告げた。
「…だめだ」
「おい、そいつから離れろ」
その言葉を無視して布を巻きつけ続けた。
「ほっといたら死ぬかもしれないでしょ。犯す罪を減らしてあげようと思っただけ。あなたたちのためにやってるのに」
子どもをたしなめるように舌を鳴らした。
止血の具合を確かめるふりをしてサミュエルの耳元に口を寄せた。
「あなたがしたこと、ミッチェルには言わなくていい。そのかわり二度と彼を裏切るようなことはしないで」
「なにを言ったんだ?」
ボスが眉を上げた。
サミュエルは後悔のにじんだ表情を浮かべて何か言おうとするように口を動かしている。
私の言ったことが確かに通じたようだ。
「別に。今までの不満を彼に伝えてもらおうと思っただけ」
ボスに腕を掴まれて店を出るよう促された。一度だけ振り返り、唇の動きだけでロイとミエルバに伝えた。
や、く、そ、く。
馬上に抱え上げられ、ボスが後ろにまたがる間も大人しくしていたが、どこかの金持ちに売られるつもりはさらさらなかった。
彼らが馬鹿でなければ国外で客を見つけるはずだ。となると必ず広場の噴水の前を通る。そこが唯一のチャンスだ。
馬が動き出した。馬鹿ではないようだ、町外れに向かっている。
噴水まで三十メートルほど。どうして確かめておかなかったんだろう。そうすれば元の世界に戻れるかどうかという命がけの賭けに出なくてすんだのに。
あと十五メートル。もし飛びこんで戻れなかったらどうしよう。殺されはしないだろうが、厳重警戒されて逃げるチャンスがなくなってしまう。
あと十メートル。だけど、もし戻ってしまったら? せっかく仲良くなったのに、もうみんなに会えなくなる。
あと五メートル。ミッチェルに二度と会えなくなる。まだ愛してるって言ってないのに。
三メートル。そばにいると約束したのに。
二メートル。彼のそばを離れる覚悟なんて―。
馬は何事もなく噴水のそばを通り過ぎた。
「そんなに体を傾けたら落っこちるぜ」
触れられる前に体勢を正して呟いた。
「一度で十分」
馬は主の指示に従い、町外れに向かってスピードを上げていった。
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