第25話 開店準備が進められる
「見て、見て! あたしかわいい?」
ミッチェルの前でルカはくるりと回ってみせた。
ルカの頭ごしに目が合うと、彼は困ったように小さく笑った。
「ああ、かわいいよ。妖精みたいだ」
ルカは何度も飛び跳ねて、ピンクのリボンで縛られたポニーテールを揺らしてみせた。
「シアがしてくれたんだよ」
子どもらしい軽やかな笑い声をあげながら、ルカは新たな自慢相手を求めて駆けていった。
「よほど嬉しいんだな。かわいいかと三度もきかれたよ。次にたずねれたら、もう例えるものが思いつかない」
ミッチェルは近づいてくるとルシアの手をとり、親指で手の甲をさすり始めた。
「なんだ、残念。今度は何に例えるのか楽しみにし始めたところなのに」
ルカを探して周囲に目を走らせた。ちょうどサミュエルを捕まえたところで、彼の前で飛び跳ねている。
ワンピースに白いフリルのエプロンをかけたルカは、りんごほっぺに柔らかな髪をしている。
たしかに妖精のようだ。足りないのは透き通る蝶のような羽だけだろう。
たいていの大人は子どもの話を受け流しがちだが、サミュエルは簡単にあしらったりせず、忍耐強く話を聞いてやっているようだ。
声は聞こえなくとも、ルカの表情を見れば満足のいく答えが得られたことがうかがえる。
「本当に足は痛まないんだな?」
心配そうな声色に視線を移した。
「あなたこそ、その質問は三回目じゃない?」
いたずらっぽい顔を作り、ミッチェルを見上げた。
「もう何ともない。予定通り今日からお店を開けられる」
私だって、彼と話しているだけで幸せだ。
「いや、四度目だ。何も急いで働く必要はないだろう。金はあるんだ」
「お金がほしいわけじゃないのは知ってるくせに。いまさら延期だなんて言ったら、みんながっかりする」
ルカは言うまでもなく、大人びたベルンでさえ、ときおり楽しそうにスキップするのをこの目で見た。ロイだって自ら眼帯をつけて控えめな笑みを浮かべていたのに。
「それはそうだろうが、おまえが足が痛むと言えば彼らも諦めるさ」
訝しげに彼を見つめた。本気で私がそんなことを言うと思っているのだろうか。
「ミッチェル、あの子達の楽しみを私が奪うと思う?」
彼は大げさなため息をついた。
「いや。一応、言わずにはいられなかっただけだ」
辺りを見回すと、ミッチェルの命を受けてすでに店の中は居心地の良い空間が出来上がっている。店のかどには青々とした観葉植物が置かれ、テーブルには鮮やかなテーブルクロスがかかっている。
ミッチェルに頼んだ覚えはないのに、作りたかったテラス席があり、白いパラソルが丸い癒しを与えている。
「あなたのおかげで完璧ね。お店の場所も町の真ん中だし、本当にありがとう」
無表情を装っているようだが、ミッチェルの顔がかすかにほころんだ。
「ここならわたしも仕事の合間に立ち寄れるからな」
首をかしげてミッチェルに流し目をくれた。
「でもどうして私がテラスを作りたがってるって知ってたの? あなたに言った覚えはないのに」
ミッチェルの口がぴくりとした。彼は壁にかかっている絵がさも興味深いというように凝視している。
「ロイに聞いたんだ」
二人の仲がいいとは知らなかった。だがロイも男同士のほうが話しやすいこともあるのだろう。
「そろそろ仕事に行かないと。無理をするんじゃないぞ。つらくなったらすぐに休むんだ。昼ごろに一度様子を見に来る」
ミッチェルはサミュエルと部下二人を残して出て行った。
大丈夫だと言っているのに、落馬事件からこっち、護衛が二人も増えてしまった。
肩をすくめて最終確認を済ませた。準備は完璧だ。
「みんなー、集合! お店を開けるわよ」
「わーい!」
予想通りルカが一番に駆けてきた。
「いよいよですね」
ロイとベルンもやってきた。
「ミエルバは?」
「キッチンにいたわ。手が離せないから抜きで始めてって」
「そう。じゃあ、みんな用意はいい?」
「ねえねえ、シア! あたしが看板ひっくり返してもいい?」
ルカが言ってるのは入り口にかかっているOPEN-CLOSEDの札のことだ。
「ええ、いいわ」
身を屈め、恐ろしい声色を作った。
「でも、早くしないと先にひっくり返すわよ」
ルカはきゃっきゃっと楽しげな声をあげながら看板めがけて走っていった。
太陽が真上近くきてミッチェルはルシアの元へと向かった。
少し離れた場所からでもカフェが異様な静けさに包まれているのがわかる。
何か問題が起きたのだろうか。
「どうかしたのか?」
「ああ、ミッチェル。いらっしゃい」
ルシアたちはひとつのテーブルについてサイダー片手にふさぎこんでいる。
「客はどうした?」
「お客さんなんて一人も来てない」
朝は元気いっぱいだったルカでさえ、テーブルに伏せてコップに入った溶けかけた氷をストーローでつついている。
通りに出て、せわしく通り過ぎていく住人たちを眺めた。
人通りが悪いわけではない。となると問題は―。
パラソルによって影のできたテラス席に腰を下ろした。
「さあ、おまえたち仕事だぞ。わたしが最初の客だ」
ルシアがゆっくりと近づいてくる。
「気持ちは嬉しいけど―」
「そんな顔をするな」
衝動に負けてむき出しの白い腕を愛撫した。
「笑顔を見せてくれないか」
彼女は申し訳程度に口角をあげた。
「アイスコーヒーを頼む」
にやりとしてつけ加える。
「それと看板娘の口づけ」
頬にぬれたものを押しつけられた。
「はい、どうぞ」
背伸びをして満面の笑みを浮かべたルカが一歩離れた。
「このばか!」
怒りに頬を上気させたベルンがルカの手を引いて室内に戻るのを驚きと共に見送った。
頬に触れた唇は、望んだものとはかけ離れた押しつけるだけの子供っぽいものだった。だがルカのおかげで望みのものが手に入った。
ルシアが笑ったのだ。
鈴が転がるように軽やかな声をあげて、花開くように楽しそうな表情を浮かべて笑った。
「あなたが悪いのよ」
笑いのにじむ口調で頭を振りながら続けた。
「看板娘は私よりルカのほうが似合うもの」
何人かがルシアの笑い声に気づき、足を止めてこちらを見ていた。
「そうかな? わたしにとっては―」
足音に気づいてまたルカに聞かれないよう言葉を切った。
「お待たせいたしました」
ロイがコースターを敷いて水滴のついたグラスをその上に置いた。
「おっとアイスコーヒーのことを忘れていた」
「ありがとう」
困惑した様子でロイは視線を自分のつま先に落とした。自分が主から労いの言葉を受けるとは思っていなかったというように。
再び頭を下げると彼は足早に去っていった。
「あなたたちどうかしたの」
「んん?」
一気にアイスコーヒーを喉に流し込むと、視線は通りにやったまま空のグラスをテーブルに戻した。
「気にしないで。それよりあなたのおかげで元気が出たわ。初日から大繁盛なんて甘かった。毎日コツコツ頑張ることにする」
「それは無理かもしれないな」
思わずこぼれた笑みを隠さずにルシアを振り返った。
「あれを見てみろ」
指差した先には店先のメニュー表を覗き込んでいる若い男女がいた。
「さあ、準備をして。新しい客はとりわけ大切にしなければならない。それがビジネスのコツだ」
そっと背中を押すと、ルシアは振り返って笑顔を見せた。
「ありがと、ミッチェル」
恋人たちに人好きのする笑みで話しかけているルシアの背中を見つめ、ポケットから硬貨を数枚取り出してテーブルに置いた。
彼が町の外れまで来たころにはカフェは活気を取り戻していた。
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