第21話 勘違いされる
馬車が動き出すとルシアは緊張が緩んだのかほっと息をついた。だが顔色が悪い。
「大丈夫か?」
ミッチェルは濡らしたハンカチでルシアの顔を拭った。
「もちろん」
彼らは前の座席に座り、じっと様子をうかがっている。
ルシアがポケットに手を突っ込んで包みを取り出し、姉妹のほうに身を乗り出すと、少年が二人をかばうように手を伸ばした。
「僕が何でもしますから。口でご奉仕しますし、お望みでしたら中に…」
ルシアになんてことを。
唸り声を上げると少年はビクッとして黙りこんだ。
だがルシアは笑って、さがってきたメガネを押し上げた。
「この子たちとは知り合い?」
「いえ」
「そう―心配無用よ。あなたが考えてるものが私にはついてないもの」
彼女がベストを脱いでブラウスのボタンを三つも外すのでぎょっとした。まったく放っておけば何をしでかすか予想が付かない。
「おい、ルシア!」
慌てて少年の目からルシアを隠そうと身を乗り出した。
「こういうときは女のほうが安心させてあげられるの。布を巻いてるって知ってるでしょ」
知っている。それがふくらみを隠すのに何の役に立ってもいないことまでしっかりと。
ルシアは彼を押しのけて少年に、締め付けていても隠しきれないふくらみを見せた。
「ねっ? 傷つけたりしない。この子たちにキャンディーをあげようと思っただけ」
少年はもごもごとわけのわからない言葉を呟いて下を向いたが、黒く筋を引く汚れた頬が赤く染まるのを見逃さなかった。
「お名前は?」
ルシアは身を屈めて姉妹に目線を合わせている。ミエルバもそうだが彼女は子どもに接するのに慣れている。元の世界で近しい関係に子どもがいたのだろうか。
「わたしはベルンです。妹はルカといいます―ほら、挨拶しな」
怯えきったルカはべったりと姉にしがみついている。
「ルカ! 言うことを聞きな。いい子にしないと―」
「いいのよ、ベルン。ルカ、こんにちは。私はルシアっていうの。キャンディーはいかが?」
そういってルシアは自分の口に黄色のキャンディーをいれて微笑んだ。
「おいしい。ルカは何色が好きかな?」
「…オレンジ」
子どもっぽい声が答えるのを聞いて、先ほどの推測を確信に変えた。
「オレンジ? あるわ。口を開けて」
大人しくルカが口を開くとルシアはオレンジ色をいれてやった。
「甘いね」
ルカはまだベルンにしがみついているがもう怖がってはいない。
座席にもたれかかってルシアが子どもたちと仲良くなるのを観察することにした。せまい馬車の中では大きな自分は異質すぎて怖がらせてしまうだけだ。
「あなたたちもどうぞ」
ルシアは手のひらをさしだした。
「ありがとうございます」
ベルンはひとつを受け取ったが、少年はまだ下を向いたままだ。
「あなたの名前は?」
「ロイス。家族はロイって呼んでました」
「私がロイって呼んだら嫌?」
彼は不揃いの瞳をルシアに向けたが、どうしても視線は下がって開いたままの胸元を彷徨ってしまうようだ。
今すぐルシアに分厚い毛布を巻きつけたくなった。
「いえ。あなたは僕の主人ですから、僕の意思なんて関係ありません」
ルシアは鼻と鼻がくっつくほどロイスに身を寄せた。それはつまり胸が彼にあたるということで、彼はかわいそうなほどに顔を赤らめている。それもそのはずだ。ほんの申し訳程度の下着だけでは張りつめたものを隠すことはできない。ロイスはもじもじと脚をくっつけた。
彼女はロイスの苦境に気がついていない。じっと目を覗き込んだままだ。
「綺麗な目ね。私がその目を頂戴といったらくれるの? どうして自分の気持ちを主張しないの。あなたはもう奴隷じゃない、自分の好きなようにしていいの」
「僕の目は変なんです。こんな目ならない方がいい。お望みでしたらどうぞ」
ルシアは身を起こしてさっと帽子をとった。
まったく…人目に晒すなと言っているのに。
ロイスの目はルシアの陽だまり色の髪に釘付けだ。
「変わってるのは悪いことじゃない。人と違うのはいけないことじゃないわ。あなたの目は綺麗よ、ロイ。ねぇ、私の髪は変なの、ミッチェル?」
彼がそうだと言ったらどうしようというように、ルシアは大げさに眉を寄せて不安そうな表情を作っている。
腕を回してルシアを抱き寄せ、陽だまりの中に手をくぐらせた。
その色同様なんとも温かだ。
「いいや。すごく綺麗だ」
指の間からさながら陽光のようにさらさらと髪がこぼれ落ちる。
「すごくキレイ」
興奮したルカが脚をばたつかせた。
「こらっ、じっとしてな」
「ありがとう、ルカ。ロイの目はどう思う?」
子どもは正直だ。ルカに尋ねたことが吉とでるか凶とでるか、どちらがでてもおかしくはない。
ルカは生真面目な表情を浮かべて、ロイスの顔をまじまじと見た。
「うーんとね、青と緑、どっちもキレイだよ。キャンディー、もう一個くれる? どっかいっちゃった」
口を開けて真実だと証明した。
ミッチェルは子どもの純真さを面白く思った。
ルカの口にキャンディーを入れてやり、ルシアは眉を上げてロイに向き直った。
「ルカもこう言ってるけど、あなた自身が認められるようにならなくちゃね。まぁ、ゆっくりやっていきましょ。まずはお風呂ね。それからご飯を食べてこれからのことを話し合う、ね?」
「ルシア、お帰り! その子たち…」
「ああ、ミエルバ。ベルンとルカ、それからロイよ」
不器用なスキップで跳ねてきたミエルバに三人を紹介した。
「ベルンとルカをお風呂に入れてあげてくれる?」
「いいよ。ついてきて」
またルカはベルンにしがみついている。今度ばかりはベルンも文句を言わず一個の変な生物のように、よろよろしながらミエルバのあとをついていった。
「ロイは自分で入れるよね? 具合が悪いなら手伝うけど」
ロイは相変わらずもじもじしている。
「いえ、大丈夫です。あの…ありがとうございます」
頭をかしげてミッチェルを示した。
「お礼ならミッチェルに。私のお金じゃないから」
まだなにか言いたそうにぐずぐずしていたが、ミッチェルに頭を下げるとバスルームに消えた。
二人きりになるとルシアはミッチェルの胸に飛び込んだ。
「ごめん。お金いっぱい使わせちゃって」
ミッチェルの腕にとじこめられると安心だと思える。何も問題などないのだと。
「それだけじゃないだろう。そばにいろと言ったのに勝手に行動したし、無茶はするなと言ったのにあの豚野郎から鞭を取り上げた。そして不幸な子どもを三人も救い出した」
「怒ってないの? だって三人になっちゃたし…」
客間のベッドに腰掛けたミッチェルの膝に抱き上げられた。
「別に。二人はハーレムで暮らせばいい。ロイのことは何か考えるさ」
ミッチェルの頭が下りてきて唇が重なった。
付け髭がくすぐったい。
「だめ。ロイが…」
「かまわないさ。キスを知らない歳でもないだろう」
もっとほかのこともしようとしてるくせに。その証拠に彼の手はブラウスの下にもぐりこんでいる。
肩を押して唇を離した。
「ミッチェル、だめだってば。こんなとこで―」
再び唇が重なると脆くもルシアの抵抗は崩れ去った。
首に腕を回して彼の口に舌を差し込んだ。
「あの…」
ロイスの声にミッチェルの肩を押したが彼は離れようとしない。ゆうに十秒は唇をむさぼってからようやく身を起こした。
「ああ、出たか。飯にしよう」
「これ、全部食べていいの?」
「わたし、こんなの初めて。もう一生おなかをすかせることはないね」
ルカは飛び跳ね、ベルンはにっこりした。
「ミッチェル様はお優しいからね」
ミエルバと姉妹はすっかり仲良くなったようだ。彼女は姉妹の姉貴分として腰に手を当てて自慢げだ。
二人は風呂に入って見違えるようにきれいになった。こうやってみるとやはりよく似ている。
「みんな席について」
客間のテーブルに並べられた料理をむさぼるように腹に詰め始めた姉妹とは異なり、ロイは料理に手をつけていない。
「おなか空いてないの? ちゃんと食べないと大きくなれないわよ」
ルシアは皿に料理を取り分けてやった。
風呂から上がったロイの体はあばら骨が浮いていて、背中には無数のみみずばれがあった。さぞ痛かったことだろう。あの豚野郎を殺してやるんだった。
「僕…あの、何でもしますから」
風呂から上がった後、いつからあそこで私たちを見ていたのだろう。
「そんなことはどうでもいいから。食べなさい」
ロイはしぶしぶ食べ始めたがその勢いは増していき、今では姉妹といい勝負だ。
「私、考えたんだけど…」
ウイスキーを傾けているミッチェルに目配せした。
「その目つきはやめてくれ。何を企んでいるのか知りたくもない」
「カフェを開こうと思う」
「何だって?」
「前々からこの国の人は働き者だと思ってたの。あなたも言ってたでしょ、国を支えているのは勤勉な民たちだと」
ミッチェルは眉をひそめた。
「それとおまえがカフェをやることと何の関係があるんだ」
「彼らはみんな働き者よね。だけどたまにはゆっくりくつろぐことも必要でしょ。町の人たちもコーヒーを飲んだりおしゃべりしたりできる場所があれば、仕事の効率も上がると思う。ここにはカフェが一軒もないみたいだし、それにこの子たちにもやることが必要よ。最初は大変だろうけど軌道に乗ればきっとみんなの憩いの場になる」
ミッチェルは黙ってルシアの長広舌を聞いていた。それからウイスキーを煽って目を閉じた。
「最初からそのつもりだったんだな」
ミッチェルは目を開いた。
「どこに開くつもりだ?」
「広場の近く。人通りの多いところがいい」
彼はゆっくりと息を吐き出した。
「わたしが物件を探してこよう」
身を乗り出してミッチェルの頬に唇をあてた。
「ありがとう」
席に戻ろうとするとミッチェルはうなじに手を添えて動きを阻んだ。
「おまえの感謝はそんなものなのか?」
彼は耳元に口を寄せ、ルシアだけに囁いた。
「今夜。ちゃんとおまえの感謝を示してくれ」
熱い吐息にぶるりと身震いしたときルカが尋ねた。
「なんて言ったの?」
「子どもには関係のないこと。大人になったらね」
ミエルバは自分が立派な大人だというように頷きながら言った。
皿に載っていた料理はあらかたきれいに片付いている。そのかわりルカたち三人の口や手はさまざまなソースや脂でテカテカしている。
頭を振りながら子どもたちに聞く。
「おいしかった?」
「うん、すっごく。今もおいしいよ」
ルカは自分の手を舐めながら言った。
カフェを開く前にまず行儀作法を教えなくては。
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