第15話 疑われる

 ミッチェルは部屋の前で見張りの男に今日のことを尋ねていた。

 「ルシアはどんな様子だった?」

 見張りの男は若く、目を輝かせて自分の仕事ぶりを報告するのに余念がなかった。

 「はい。ルシア様はずっとベッドにいらっしゃいました。時々様子をみてましたが、熱心に本に顔を埋めておられて」

 「ほお…。ミエルバはその間、何をしていた?」

 「それが、陛下が部屋を出られてしばらくすると彼女もどこかへ行かれました。少し前に戻られたのですがまたすぐに出ていかれて。僕はルシア様をお守りするよう言いつかっていましたので、あとを追わなかったのです」

 男は褒めてほしくてたまらない子犬のような表情をしていた。

 「よくやった。もう行っていいぞ」

 遠ざかっていく男の後ろ姿を眺めながら尻尾がなくてよかったと思った。もしあったら廊下に飾られた花瓶をことごとくはたき落としていただろう。

 ドアを開けると輝く笑顔で出迎えられて、尻尾のことなど忘れ去った。

 「おかえりなさい」

 すぐにベッドに腰を下ろし唇を重ねた。

 「ルシア…ちゃんといてくれたんだな」

 彼女は少しやましそうな顔をしたように見えた。

 「まあね。お願いのことなんだけど―」

 「奴隷だろう、何人ほしい?」

 「買ってくれるの?」

 「もちろんだ。変わってはいるが、おまえが喜ぶなら」

 「それはもう。自分で選んでいい?」

 昨日のことを思い返した。奴隷市がある場所は治安が悪く、衛生状態もよくない。

 「おまえを連れてはいけない。男か女か言えばわたしが買ってくる」

 「逃げ出したりしない」

 「それは信じている。望んでは逃げないだろう。だが連れ去られたら?」

 頭を振った。

 「連れてはいけない」

 「じゃあ勝手について行く」

 「どうやって? 歩いてか? おまえが考えているより町はずっと遠い」

 ルシアは可愛らしい笑みを浮かべた。

 彼女に可愛いは似合わない、その言葉では生易しすぎるから。だがその表情は紛れもなく可愛い。

 なんだか首の後ろがざわざわする。

 「何を企んでる」

 「私、乗馬を習う」

 「わたしは教えられない、仕事があるからな。それを言うなら御者や使用人も無理だぞ」

 「結構よ。ベンが教えてくれるもの」

 息がつまった。

 「どこで―どこでベン…ベネディクトに会ったんだ」

 そのとき何かが鼻をついた。

 「おまえと違うにおいがする」

 彼女は目をそらした。

 「あなたのにおいじゃないの、馬に乗ってたんでしょ?」

 「おまえは馬が苦手なようだから、先に水浴びした―」

 目を細めてルシアの髪に手をやり、物的証拠を摘み上げた。

 「これは何だろうな?」

 ルシアの目が大きく見開かれ、赤い舌が覗いて唇を湿らせた。

 「ええっと…藁、かしら」

 頭がフルスピードで回転していた。

 指先で藁を捻りながらルシアを睨みつけた。

 「ベネディクトに抱かれたのか? 馬の乗り方を教えてもらうかわりに体を差し出したのか?」

 「まさか」

 「言うことはそれだけか? 正直に言った方がいいぞ」

 ルシアはため息をついた。

 「私が明日も厩に行ければ、教えてくれるそうよ」

 「あいつが何の見返りも求めずにか? まさか」

 ルシアの口調を真似た。

 「実の弟を疑うというの?」

 「証拠がここにあるからな」

 藁を掲げて見せた。

 「たしかに彼はキスした」

 疑わしげに黙って表情を探っていると彼女は言い足した。

 「胸も触った。でも本当にそれだけよ」

 嫉妬の炎が胸を焦がした。ルシアにほかの男が覆い被さっていたと考えただけで、そいつを殺してやりたいと思った。実の弟であろうがなかろうが。

 「無理やり押し倒されたのか? もしそうなら―」

 「私、抵抗しなかった。最初はあなただと思ったから。だけど、なんだか違ったの…触れられても、あなたにされたときみたいに感じなかった―ねぇ、ちょっと触ってみて」 

 ルシアが彼の手を掴んで胸に押し当てた。

 無視しようとしたのに手は自分の意思とは関係なくその丸みを愛でた。

 「やっぱり違う。私、あなたじゃないとだめみたい」

 声が出せるかわからなかったから、唾を飲み込んでから言葉を押し出した。

 「…そんなことを言ったって、罰は与えるからな」

 「本当に? じゃあ今日はしてくれないの?」

 「おまえは今日、一人でほっつき歩いていたんだろう。厩まで辿りつけたんだ。体を交えるくらい何ともないだろう」

 「じゃあ―」

 「しない。傷を癒やせ、ルシア。わたしの激しい行為にも耐えられるように」

 「明日はしてくれる?」

 「ああ、明日なら」

 「じゃあ明日ベンのとこに行ってもいい?」

 「だめだと言っても行くし、見張りをつけても目を盗んで抜け出すし、まったく世話が焼ける」

 「それは行ってもいいってこと?」

 「部屋を見張らせるのは意味がないとわかったからな。それに抜け出すために、おまえが何をしでかすかわかったもんじゃないし。それならどこにいるかわかっている方がいい」

 「私もその方がいいと思う」

 満足そうなルシアを横目で見ながら付け足す。

 「何も起きないよう、サミュエルにおまえ自身を見張らせる」

 ルシアが鼻にしわを寄せ、あからさまに嫌そうな顔をした。

 「彼は私のことを嫌ってる。お互いに神経がすり減っちゃうわ」

 サミュエルのルシアに対する態度には、彼女にそう思わせるに足るものがある。しかしサミュエルほどわたしに忠実な男はいない。子犬のような見張りではルシアの安全―ひいてはわたしの心の平安―を確保できない。

 そう言いながらもルシアはため息をついて肩を落とした。

 「仕方ないな。あなたがどうしてもと言うなら」

 「どうしてもだ。彼は唯一の友だから、おまえを任せても安心だ」

 「ふーん」

 彼女は上掛けに目を落とし、生地の皺を伸ばした。

 「どうした?」

 「私は友達じゃないの? 私だってあなたに…いえ、いいの。気にしないで」

 ああ、今までこんなに喜びを感じたことがあっただろうか。

 「そうだな、おまえも友達だ。それよりも恋人の方が好ましいんだが」

 「友人兼恋人ね。あれ、恋人兼友人かしら」

 「どっちでもいいさ。おまえはここに、わたしの隣にいるんだからな」

 ルシアが胸にもたれかかってきた。

 「寝るとき、抱いていてくれる?」

 「もちろんだとも」

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