第14話 懐かれる
「ルシア、上手く仲直りできたみたいだね」
ミエルバは注文どおりスカーフを巻いていた。部屋に入ってくるとベッドの横に椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「ミッチェル様の部屋ってオシャレなんだね。あたしもこんなカーテンがほしいな」
ミエルバがミッチェルの部屋に入るのが初めてだと知ってほっとした。彼が過去にハーレムの女たちと共に過ごしているのはわかっているが、彼女は妹みたいなものだ。
「で、今度は何をするつもり? これに関係があるんでしょ」
ミエルバはスカーフを外してベッドに置いた。
「ええ。あなたには悪いけど身代わりになってほしいの。ミッチェルがいないとハーレムの門が閉まっちゃうでしょ? 今しかないのよ」
考えを話して聞かせる間、彼女は身を乗り出して目を輝かせていた。最近はまっている冒険物語のように感じているのだろう。
「すごいね。わくわくしちゃう」
上手くいった。
ルシアはできる限り静かに厩の中をめぐっていたが、絶えず馬のいななきや藁がかさかさと音を立てているから、忍んで歩く必要があるとは感じなかった。
そもそも体がだるくてそこまで気を遣っていられない。
広い馬房が果てしなく続いていて目が回ってきた。初めてミッチェルに馬を見せられたときはただの恐ろしい獣でしかなかったが、こうやって見ていると一頭一頭に違いがあるのがわかった。
茶色いものや黒いもの、斑のものと毛色もさまざまで、中でも気に入ったのは茶色い毛並みをしているのに、額にだけ星型に白い毛が生えている優しい目をした馬だった。
「おいで」
馬はじっと何かに耳を澄ましていた。
それからゆっくりと近づいてきて、柔らかい鼻先をルシアの手のひらに押しつけた。
「そいつが懐くとはな」
振り返ると愛してやまない琥珀色の瞳が見つめていた。
「ミッチェ―どうしてここに? 仕事はどうしたの?」
彼は首をかしげてルシアを観察していた。
「これがおれの仕事だ」
彼は王という職務のかたわら馬の世話もしてるの?
「そう…あの、怒ってる?」
「おれが? いや。女がいるからといって気を悪くする男がいるか? 大歓迎だ」
彼はルシアを抱き寄せると、身を屈めて首筋に顔を埋め、においを嗅いだ。
「いいにおいだな。おれとは違う」
彼は太陽と馬、それから清潔な汗のにおいがした。
「あなたのにおい、嫌いじゃないわ」
顔を上げた彼は、笑い方を忘れたように唇を引きつらせた。
「それはよかった。あっちに清潔な藁がある」
彼が手を引っ張るものだから、強張った体はいとも簡単に広い胸に倒れこんだ。
「おっと、どうした。待ちきれないのか?」
抱き上げられて、積みあげられた藁の上に降ろされた。
「こんなもの外しちまえよ」
彼は上に覆いかぶさると青いスカーフに手を伸ばした。金茶色の髪がこぼれ落ちるのを見て、彼はハッと身を引いた。
「あんたが…おれが抱いたと知ったらどう思うだろうな」
「何のこと―ふっ」
強く唇を押しつけられ言葉が押し込められた。彼の手が服の上から胸を揉みしだいた。
でも、何か…。何かが―。
「ミッチェルっ」
パッと彼が離れた。
「最初はそれでもいいと思った。だがあいつの名を呼ばれるのはごめんだ」
「どういうこと―?」
彼は隣に片膝を立てて座り、腕をその上に置いた。
「おれの名前はベネディクトだ。あんたが勘違いしたのも仕方がないと思う。おれと王は一卵性双生児、くしくも血を分けた兄弟だ」
なるほど、たしかにそっくりだった。でも知っていれば二人はそれほど似ていない。ミッチェルの瞳は深く澄んでいてユーモアに煌めいている。だがベネディクトのは暗く何かを隠しているように掴みどころがない。ミッチェルは感情を隠さず素直に表情に表すが、ベネディクトの顔は固く強張っている。ほかにも挙げればきりがない。
「あんたは何でここにいるんだ? 王が自分のものを自由に歩き回らせるとは思えない」
「私、抜け出してきたの。だって私は物じゃない。自分の好きなようにするわ」
またベネディクトが口を引きつらせた。きっとこれが彼の笑みなのだろう。
「とんだ跳ねっ返りだな。だがどうやって抜け出したんだ? 門は開けてもらえないだろう」
勝ち誇った笑みを向けて作戦を語り始めた。
「じゃああんたの代わりに友達がベッドにいるのか」
「そう。見張りは彼女を私だと思ってる。自分はちゃんと役目を果たしているとね」
「ほお。で、そこまでして厩に来たわけは?」
「実は馬の乗り方を覚えようと思って」
「見ているだけで乗れるようになると思ったのか?」
「まさか。ちゃんと練習するつもりだったわ。でもちょうどよかった。あなたは乗れるんでしょ、ベネディクト」
彼はじっと私を見つめた。何を考えているのか、表情がないからまったくわからない。
「スターはおまえを気に入ったようだな」
「スターってさっきの馬?」
「ああ。いいだろう、明日もおれのところに来られれば教えてやる」
彼は尻についた藁を払いながら立ち上がった。
「仕事がある」
さすがは双子、その台詞は前にもきいたことがある。
右脚を軽く引きずりながら馬の世話を始めた。
「その脚、どうしたの? 私のせいで痛めちゃった?」
彼は馬にブラシをあてながら強張った口調で言った。
「そうだと言ったら、『私はそんなに重くない』とかいうつもりだろう―これは古傷だ。銃弾にやられた」
出会ったばかりなのに慰めてやりたくなったが、それは見た目がミッチェルに似ているせいだけではない。その口調に表情には表れない強い悲しみがこもっていたからだ。
「痛かった?」
そばに行きたかったが、彼は誰も寄せ付けたくないだろう。
「いや。おれは軍人だったから怪我はしょっちゅうしていた。王に…仕事を奪われた方がずっと痛かった」
ミッチェルが彼の仕事を奪った? どういうことだろう。彼の涙ながらの言葉と何か関係があるのだろうか。
「おれには仕事しかなかったから。それを奪われるのは、体の一部をもがれるのと同じことだった」
「そう…つらかったわね。今までにそれを誰かに言ったことある?」
彼の手が一瞬止まりまた動き出した。馬は気持ちよさそうに目を閉じている。ベネディクトがどう言おうとこの仕事もまた彼の天職だ。
「ない。どうしてあんたにこんな話をしてるんだ。王の女だというのに」
ベネディクトがミッチェルの名前を口にせず、王と呼んでいることが気にかかった。
「きっと心が苦しかったんじゃないかな。私、人からよく相談されるの」
「あんたみたいな女、王は苦労しているだろうな」
「それって褒め言葉なの、ベネディクト?」
彼がブラシを手にこちらを振り返った。
「ベンだ」
「何?」
「親しい奴はベンと呼ぶ―もう行け、気が散る」
藁のついたスカーフを払って髪に巻き、ぎこちなく立ち上がった。
「なら私のことはシアと。また明日ね、ベン」
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