第13話 置いていかれる

 脚の間を何かに撫でられていた。眠りを妨げられて思わず脚を閉じると太腿がチクリとした。

 「何―?」

 寝ぼけたまま体を起こすと、ミッチェルが大きく開かれた脚の間に身を置いていた。

 「やだっ! 何してんのよっ」

 「ああ、おはよう。このままじゃ気持ち悪いだろう。おまえはくつろいでいろ」

 そう言ってまた作業に戻った。柔らかい布で脚の間を拭う手つきは優しいが、男にこんなことをされてくつろげるわけがない。

 彼の手を押さえ強調するために頭を振った。

 「いい。自分で出来る」

 「どうして。わたしに任せろ」

 辺りはまだ薄暗いが今日も快晴の兆しが、じんわりと東のほうからやってきていた。その証拠に空は薄紫に色づき始めている。

 ミッチェルは自分の体重を使ってルシアをベッドに押し倒し、切れてしまった唇に舌を走らせた。

 「おまえのここが好きだ―甘くて、そそられる声を漏らす。それからここも好きだ」

 指が中に入ってくると声を抑えられなかった。

 ぴたりとミッチェルが動きを止めた。

 「痛かったか?」

 ほんの少しだけ痛んだ。でも彼を受け入れられないわけじゃない。

 「私、欲しい」

 だが彼は顔を探るように見つめて、手を引いてしまった。体を起こすと手を引っ張って私もベッドに座らせた。

 「わたしだって欲しい。だがおまえの体のほうが大事だ。今日はゆっくり休め。わたしなら待てる」

 「ちょっとくらい痛くても我慢できる―」

 ミッチェルに抱きしめられると、心臓がドクドクいうのが聞こえた。髪を大きな手で梳かれてため息が出た。

 「無理しないでくれ。昨日はちょっとなんてもんじゃなかっただろう。シーツに血がついていた…ルシア、悪かった」

 「初めてはそんなものでしょ?」

 彼は何も言わずに髪を梳き続けていた。しばらくすると肩に熱い水滴を感じて驚いた。

 「ミッチェル…?」

 身を離そうとしたら彼は強く抱きしめてきたので、そっと髪を撫でてやることにした。

 「怖かった…。おまえがいなくなって、何かあったら…わたしのせいだと、自分を責めた」

 「ごめんなさい。私が悪かったのよ。あなたは悪くない」

 ミッチェルの髪は柔らかで艶があった。

 なぜ彼が私の髪を梳いていたのかわかった。相手を慰めたいという思いと、もうひとつ、自分が慰められたような気持ちになるからだ。

 「でも…おまえが無事で、自分の元に戻ってきたら、恐怖が怒りに変わった」

 ルシアは黙って豊かな髪を撫で続けた。彼の体は小さく震えている。

 「もっと優しくしてやれたはずなのに…。おまえを傷つけてやりたいと思った。自分の痛みを、おまえにも…」

 ぽたぽたと肩に熱が落ちてくる。

 「もう失うのは嫌だ。大切なものはみんな消えていった。おまえはどこにも行かないでくれ」

 「どこにも行かない。ここにいる。あなたのそばにいる」

 言い聞かせるように囁いた。

 しばらくして震えがおさまるとミッチェルの体が重たくなった。ゆっくりと体を横たえていき、彼の体重をベッドと分担した。

 深い息遣いが心を落ち着かせてくれる。

 彼の顔は濡れていた。涙の跡を拭いながら、顔の造作一つ一つを手に刻み付けるようにそっと触れていった。額は広い。頬に影を落とすまつ毛は女がうらやむほど長い。鼻筋は真っ直ぐで、頬骨は高い。唇は大きくふっくらとしていて、いつもは何かを面白がっているように口角が少し上がっている。

 紺色の空はいつの間にか紫に、赤色に、黄色に侵食されている。

 ミッチェルはいくつで王になったのだろう。ひとつの国を治めるのに、十分なほど歳をとっているようには見えない。そもそもたった一人の人間の肩に、一国の重圧がかかるというのはいかほどのものだろう。きっと苦しいことに違いない。

 彼は今までに泣いたことがあるのだろうか。思いの丈を打ち明けることが出来る人間はいるのだろうか。

 『もう失うのは嫌だ。大切なものはみんな消えていった』

 彼の言葉が蘇ってきた。いったい誰のことを言ったんだろう。

 誰が彼を苦しめたの? もし見つけたら私が髪を引っこ抜いて、顔を引っかき…。

 ぎょっとしてミッチェルの顔から手を放した。

 彼を愛している。

 一体いつからそこにあったのか、その想いはすんなりと自分の一部となった。

 私はミッチェルを愛している。

 愛する人を腕に抱いている今はとても幸せな気分だった。たとえあとで昨日の罰が待っているとしても。



 ミッチェルはしばらくすると目を覚ました。涙を見せてしまったことを恥ずかしがるだろうと思ったが、目が合うとゆっくりと口角を上げていき笑みを形作った。

 「おまえがいるとよく眠れる」

 擦れた声で囁かれるだけで、何でも言うことを聞きたくなってしまう。

 「ならずっといてあげる」

 ふっと笑って彼は身を起こし伸びをした。朝日を浴びて筋肉が黄金に輝いている。

 「いつまでも寝ているわけにはいかない、仕事がある。だがおまえは寝てろ」

 「眠くない」

 「なら横になってるだけでいい」

 彼はベッドを出て洗面の用意を始めた。

 「そんなの退屈よ」

 「じゃあ賭けをしよう。おまえが一人でトイレに行けたら今日は寝てなくていい。出来なければ、わたしの言うことを聞いてろ。いいな?」

 彼は自信ありげに振り返った。

 出来ないと思ってるんだ。バスルームまでほんの十五歩程度だ。歩きたての赤ん坊じゃあるまいし、出来ないはずがない。

 ベッドから脚を垂らし立ち上がった。と思うとグラッとして倒れそうになった。ミッチェルは用意周到に脇に控えていたから、私の体を抱きとめると安全なベッドの上に戻した。

 「わたしの勝ちだ―トイレに行くか? 抱いていってやろう」

 「うるさい。何で立てないのよ! 毒を盛ったの?」

 ミッチェルはニヤニヤしながら見下ろしてきた。

 「まさか。体を交えると普段は使わない筋肉を使うからな。一種の筋肉痛みたいなもんだよ―昨日は激しかったし」

 「勝つとわかってる賭けをやって楽しいわけ?」

 「負けるよりはな。おまえなら気力だけで辿り着くかとも思った―で、トイレはいいのか?」

 生理的欲求には逆らえない。

 「行く」

 ミッチェルに運ばれ便座の上におろされた。

 「終わったら呼べ。外にいるから」

 彼はバスルームの戸を閉めた。

 小さな心遣いに感謝した。親密になる前なら排泄の間、嫌がらせのために目の前にいるのではと考えただろうが、ミエルバの言うとおりミッチェルはとても優しい人だ。

 ベッドに戻されると彼の残り香に包まれた。

 「わたしは仕事に行くがミエルバを呼んでやる。それから部屋の前には見張りを立てておくから大人しくしてろよ。おまえの部屋まで抱いていってもいいが、夜にはまたここに連れてくるんだから―」

 「ええ、ここで待ってる」

 彼が長々と説明するのを遮った。横になっているのなら自分の部屋でも彼の部屋でも同じことだ。それにここなら彼を感じられる。だが…。

 ふと思いついて言い足した。

 「ミエルバに青いスカーフを頭に巻いてくるように言って。自分がどんな風に見えるのか見てみたいの」

 ミッチェルは鏡があるじゃないかと言って眉を上げたが、使用人にことづけた。

 「ありがと」

 「何かあったらミエルバに言え。彼女が使用人に頼んでくれるだろう」

 彼がいつまでもぐずぐずしているので顔をしかめて見せた。

 「消えたりしないから。いってらっしゃい」

 ミッチェルは身を屈めて名残惜しげに唇を合わせてから部屋を出て行った。

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