第8話 子守をされる

 私はミッチェルのベッドに胡坐をかいたまま、サミュエルはドアにもたれたまま相手の出方をうかがっていた。お互い口火を切るのは向こうだと思っていた。

 「面倒は起こさないでくれ」

 サミュエルが先に痺れを切らした。

 「日が沈むまで大人しくしていてくれれば、お互い苦労せずにすむ」

 私も譲歩すべきなのだろう。

 「心配しないで。自分のことは自分で出来るから」

 彼は疑わしそうな視線をよこしたが、その言葉を信じることにしたようだ。

 「じゃあ女たちのところへ行こう。その方が君も落ち着くだろう?」

 その口調に神経を逆撫でされて声を荒げた。

 「子ども扱いは止めて」

 「十五は子どもだ」

 彼はみる目がない。

 この会話はこれで三回目だ。いい加減うんざりしてきた。

 「私は二十なの。あなたが広めて歩いて」

 サミュエルは信じられないというように顔をじろじろ見ていた。どこかに真実が隠されているとでも思っているのだろうか。

 「図書室はどこ? ―ミッチェルが好きなものを持って行っていいって言った」

 口答えされる前に釘をさした。だがその言葉の何かが、彼には気に食わないようだった。

 むっつりと黙り込み、私に背を向けると部屋を出た。ミッチェルの頼みを無視できるとは思えないから、きっと図書室へ案内するつもりなのだろう。彼なりの、今の気分に見合った方法で。

 ルシアは置いていかれまいと急いで後を追った。サミュエルもまた足が長かった。それに私のことを気にする気もないから、長い宮殿の床を走って追う羽目になった。

 ようやくサミュエルがひとつの部屋の前で足を止めたときには心臓がバクバクしていた。それでも見下ろしてくるブルーの瞳が、満足そうに光るのを見逃さなかった。

 


 確かにミッチェルは王なのだ。これほどたくさんの本を見るのは初めてだった。

 図書室の壁は本で埋め尽くされており、規律正しく整列した棚にも本がぎっしりと詰まっている。きちんと掃除がなされているために、古い図書館に特有の埃臭さもなかった。

 「すごい…」

 一生かかっても読みきれない本に囲まれていると、幸福感と焦燥感に駆られる。少しでも多くの文字を目で追いたいという、つまらない欲が自己主張するためだ。焦ったところで結果は大して違わないのに。

 「言葉を知らない者はそう言うしかないだろうな」

 ムッとしたが言い返すのは止めた。私も彼と仲良くしようと努力したわけではなかったのだから。

 足を踏み入れるとすぐに彼の存在は消え失せた。タイトルを指先でたどり、豪華な装丁の本を取り出した。中を開くとそこに書かれていた文字がひらがなと漢字だったので驚いたが、心のどこかではわかっていたような気がした。

 含み笑いをしながら本を閉じ脇に抱えた。これはミエルバに持って行ってやろう。今はまだ無理だが、教えてやればそのうち自分で読めるようになる。

 手にした本のタイトルは『シンデレラ』だった。こんな豪華な装飾を子どもの読む本に施すなんて何だか間抜けだ。

 そのあとも本を手にとっては戻すを繰り返した。何となく手に取った『男と女が共に出来ること』というタイトルのものは、ページが擦り切れていた。これだけたくさんある中で、ページが擦り切れるほど読まれているのだ。きっと面白いに違いない。パラパラとめくってみようとしたところにサミュエルがやってきた。

 「そろそろ行こう。昼飯を食いっぱぐれる」

 「もうそんな時間? あなたは食べてきて。私はもう少しここに―」

 「だめだ。朝も食べていないんだろう、食事を与えなかったと思われちゃ困る」

 「でも―」

 それ以上言う前にサミュエルに本を盗られた。彼はそのまま歩き去っていく。仕方なく後を追ったが、正直に言えば少し空腹を感じていた。



 昨日はなかった門の前に見張りの男が二人いた。

 「こんなのあった?」

 見張りはサミュエルに気づくと急いで扉を開け始めた。

 「あったさ。ミッチェルが自分の女を無防備にしておくと思うか? 彼が宮殿にいない間は閉じられているんだ」

 ということは彼の仕事が何であれ、今はここにいないということだ。

 扉が開けられると、そこはもう女の園だった。昨日は気づかなかったが、プールのある庭は白く塗られた壁に囲まれていた。囲われていることを意識させるほどではないが、決して乗り越えることは出来ない高さだ。

 サミュエルの言うとおり、彼は自分のものを守るのに余念がない。きっと壁の向こうにも見張りを立てているのだろう。

 サミュエルはさっさと庭を横切り、ホールに入っていった。 私も後を追って中に入ると、ミエルバが壁際に置かれた黄色いソファーに座っていた。彼女は私に気づくと手を振ってから隣を叩いた。誘われるままに腰を下ろすと、ミエルバがじろじろと顔を見つめてきた。

 「何かついてる?」

 ミエルバは首の付け根を指差して言った。

 「キスマーク」

 「嘘!」

 首をひねって見ようとしたが、曲芸士でもないのに鏡がなければ見えるはずもなかった。

 「ミッチェル様、よかった?」

 諦めてどっかりとソファーにもたれた。

 「してない。私、すぐ寝ちゃったみたいだから」

 「そっか…」

 残念そうな口調は、私とミッチェルが結ばれなかったせいじゃないだろう。

 「でも、勉強してもいいって」

 彼女の目が見開かれた。さながら太陽に向かって花開くように。

 「嘘…! ほんとに! お許しをもらったの? どうやって?」

 正直言えばどうしてOKがでたのか覚えていなかった。ただ彼が『いい』と言ったのはしっかりと覚えている。

 「ああ―ふつうによ」

 彼女は質問をしたことも忘れて、平らな胸にクッションを抱きしめている。

 「ありがとう、ルシア」

 嬉しそうなため息とともに感謝の言葉が呟かれた。

 「どういたしまして」

 サミュエルは床に片膝を立てて、まわりに三人の女をはべらせながら食事を楽しんでいた。

 その光景に眉をひそめてミエルバの肩をたたいた。

 「ねえ、ミッチェルは気を悪くするんじゃない? 自分のいない間に、その―友人がイチャついてると知ったら」

 ミエルバは首を振った。

 「そんなことないよ。ミッチェル様のご兄弟みたいなものだから」

 ふーん。自分の所有物は大事にするとか言っておきながら、ミッチェルは女をほかの男と共有するんだ。

 「じゃあ見張りの男も、ここにいる女を好きにしているのね」

 「まさか。冗談はよしてよ。あの人たち、女には興味ないもん」

 それって…。不意に合点がいった。

 彼らは去勢する必要がない、なぜなら男色だから。女には手を出さないし、彼の言った―何だっけ? 神が与えてくれたものは粗末にしないだった? まあ何でもいい―信条にも叶っている。

 ため息をついて目を閉じ、ミエルバの言ったキスマークがあるだろう場所に触れた。

 自分の所有物は大事にする、か。

 「ミッチェル様が恋しい?」

 パッと目を開いた。

 「まさか、冗談はよしてよ」

 ミエルバの言葉を返すと、可愛らしくくすくす笑った。私は笑う気分じゃなかったからただ黙っていた。

 「お腹、空いた」

 「あたしが取ってきてあげるね」

 軽い足取りで、料理の載っているテーブルに向かうミエルバの後ろ姿を見ながら、申し訳なく思った。横柄な言い方をしてしまった。

 顔を横に向けると、サミュエルが女の腕を撫で下ろしているところだった。目が合うと彼はニヤッとして胸をわしづかみにし、首筋に吸い付いた。

 慌てて目をそらし、羽織っていたヴェーノをスカーフのように首に巻いた。

 「なんて嫌な人。どうして彼みたいのがミッチェルの友人なんだろう」

 「ミッチェルーさまー。ステキ」

 隣で聞こえた甲高い声にギョッとして身構えた。だがそれらしき人物はいない。

 「ミッチェル様。すごいのー。ワオ!」

 喋っていたのは鳥かごの中の赤いオウムだった。丸いつぶらな目がなんとも可愛らしい。

 「オウムちゃん。はじめまして。可愛い子ね」

 オウムは頭のてっぺんから伸びている黄色い羽を揺らして首をかしげた。かと思うと羽を広げて、卑猥な言葉を叫び始めた。

 「ミッチェル様、大きーい! すき。すきー。いいのー。ワオ!」

 「黙りなさい! このバカ鳥。焼き鳥にしちゃうから」

 声を潜めて怒っても、オウムはベッドシーンを熱演し続けている。

 「さあ、どうぞ」

 ミエルバがフルーツとパンが載った皿と金の液体が入ったグラスを差し出した。

 だがいやらしいオウムのせいで食欲が失せてしまった。

 「ミエルバ、この鳥なんとかならない?」

 「女たちが面白がって教えたんだ。でもすぐに飽きちゃった。きっとこの子、寂しいんだよ」

 ミエルバがブドウを一粒やるとオウムは足を使って器用に食べ始めた。

 ハッとして受け取った皿を膝に置いた。

 私も一緒だ。

 飽きられるまでは可愛がってもらえる。でもそのあとはどうしたらいいんだろう。

 皿に何が載っているのかわからなくなった。水の膜を通しているかのように、歪んで全ての色が混じっている。

 本当は気づいてたんだ。これは夢じゃない。私はどこかわからないところに来て、わけのわからない場所に監禁されている。知ってる人は誰もいない―誰も助けに来てくれない。そもそもどうやってここに来るというのだろう。私だってどうやって来たのかわからないのに。

 だが仕方ない。泣いたって何も変わらない。鼻が詰まるだけだ。

 目をこすると、ミエルバが選んでくれたパイナップルを口に入れた。少なくとも食べ物は日本と変わらない。それにずっと美味しい。

 「大丈夫?」

 飲み込んでから答えた。

 「ええ。今日から勉強を始める?」

 「うん! 早く行こう…」

 皿を見下ろしているミエルバの顔には、こんなに盛らなければよかったとはっきり書かれている。

 「急いで食べるから」

 ミエルバは横目で恨めしそうに皿を見ながら、膝を抱えた。

 「十三年、待ったんだもん。五分くらいなんてことないよ」

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