第7話 頭を割られる
ルシアは物音を聞いて目を覚ました。普段から寝起きがいいほうではないが、頭は割れそうに痛いし、口が土でも食べたような状態では、目についた相手が誰であろうとあたってやりたい気分だった。
頭を上げたときの不快感といったら、金槌で叩かれて脳がグシャグシャになったのかと思うほどだ。目もかすんでよく見えない。
「何? 泥棒? 私から盗もうなんていい―」
「おまえから盗みを働く度胸のある奴はいないさ」
眠りで掠れた男の声が聞こえた。
一気に目が覚め、ガバッと起き上がったがそれが間違いだった。大きなうめき声を上げて頭を抱えた。
「すまないがあとにしてくれないか。彼女は初めてだったんだ」
顔に落ちかかった髪の隙間から見えた範囲では、使用人は意味ありげな目配せを交わし、持てるだけの皿を持って部屋を出て行った。
「死ぬかも」
「二日酔いで死んだなんて話、聞いたことがない」
ミッチェルの大きな手が後頭部を包み込み、親指で首筋を揉まれた。
「力を抜け」
知らず知らずのうちに体を強張らせていた。意識して体から力を抜く。
彼の手は優しかった。よくわからないツボを刺激されて、小さな声が漏れた。
「昨夜、もっといいところを触ってやったときにもそんな声を出していた」
これ以上ないほどに体が硬くなった。ミッチェルの手の届かないところに移動して向き直った。
もしかして…。使用人の目つきの原因はこれ?
「私たち、したの?」
彼はくつろいでいた。片肘をついて引き締まった体を太陽の光の下にさらしている。その浅黒い体を覆うものはなく、シーツの白さとのコントラストを惜しげもなくみせている。
片笑みの浮かんだ顔から下へと、どうしようもなく視線が動いて、軽く開いた足の間で存在を主張するものへと―。
薄い上掛けを投げた。それは彼のものを覆ったが、薄いためにその形をはっきりと示して、まったく隠しきれていなかった。
「見たことはあるんだろう?」
ミッチェルはルシアの努力に眉を上げただけだった。
気を抜けば視線はあらぬところを彷徨おうとする。中途半端に片付けられたテーブルに目を据えた。
「あなたは私と寝るためにワインを飲ませたのね」
強張った口調で言った。私は確かに服を着ている―この薄っぺらなものをそう呼べるのならだが。でも彼は素っ裸だ。
「ベッドに連れ込むのに酒は必要ない。女の方から進んで抱かれるからな」
「私は違う」
シーツが音を立て、彼が動いたのがわかった。
「おまえから誘ってきたのだ、ルシア。昨夜、おまえは欲しがっていた、このわたしを」
「だからって、私は初めてだったのに! それなのに何も覚えていないなんて…」
顔を手で覆った。
ベッドが彼の重みできしんだ。この音すらも私には聞き覚えがない。
ミッチェルの温かな体に抱き寄せられた。朝の男のにおいがする。スパイシーで少しツンとするにおい。
「おまえを抱く栄誉にはたまわれなかった。おまえはすぐに眠ってしまったからな」
彼は静かに言った。彼から逃れるべきだ。そんな言葉に騙されてはいけない。
「嘘よ」
本当は信じたかった。最初に味わう愛されているという感覚は、いつまでも心の中に、すばらしい思い出としてしまっておきたかった。
「もしわたしが抱いたなら、おまえは忘れはしない―たとえ意識を失っていようと。もう止めてと言うまで一晩中、愛し慈しむつもりだから」
胸が疼いた。
「もっといいところって、どこ?」
「何がだ?」
「さっき言った。もっといいところを触ってやったときにも、そんな声を出していたって。どこ触ったの?」
彼の口調を真似た。
「似てないぞ。わたしはそんな猫が喉を鳴らすような話し方はしない」
肩を押して顔を覗き込んだ。
「どこ?」
彼の視線が胸に落ちた。胸板に押し付けられているから、白いふくらみがビキニから溢れ出しそうだ。
「ここだ」
指先でかすめるように触れられただけなのに、喜びを知っている場所は硬くとがった。
やっぱり。
「もう放して」
腕を突っ張って体をそらした。精一杯押しても彼はびくともしなかった。腹立たしくてぺしぺし胸板を叩くと、彼は片手で軽々と私の両手を捕らえ笑った―そう、笑ったのだ。まったく忌々しい。
「本当に気性の荒い女だな、おまえは。だが悪くない」
ミッチェルは空いたほうの手でルシアの髪を掴み顔を仰け反らせると、すかさず身を屈めて唇を奪った。呆然としてなすがままになっていた。唇を離すとミッチェルは如才なく、ルシアの手の届かない場所へ身を引いた。
「ちょっ…どこへ行く気?」
ベッドから降りた彼は引き出しを開けた。
「残念だがここまでだ。仕事がある」
こちらに向けられた引き締まった尻を睨みつけた。彼はわざと意味を取り違えたフリをしたのだ。この状況で私が続きをねだると考えるほど彼は馬鹿じゃない。
「私は何をしてればいいの?」
ベッドに胡坐をかき腕を組んで、彼が黒いズボンを履くのを眺めた。ルシアの繊細な神経を気遣って、その間ずっと背を向けたままだった。だが恐ろしいことにズボンの下には何も身につけなかった。
「好きなことをしてればいい。ハーレムの女たちがしているようなことを」
嫌味なほど真っ白なシャツのボタンを留めながら、ミッチェルは振り返った。
「たとえば?」
「行って見てみろ」
「つまり、あなたは知らないのね。彼女たちが何をしているのか」
彼はボタンを留め終え、それがどうしたという顔をした。
「なら教えてあげる。お菓子を食べたり、おしゃべりしたり、ただのんびりとしてるの」
「ならおまえもそうしろ」
目を細めて睨んだ。もし本当に目からビームが出るなら、彼はとっくに死んでいる。
「いや」
「何だって?」
「いやと言ったの。いいの反対。英語ならノーだし、フランス語ならノン。あなたがわかるまで何度だって言うわ。いや、いや、いや、い―」
彼が手を振ったのを黙れという意味にとって口をつぐんだ。
「意味は知っている。なぜいやなんだ」
「だってそんなの退屈だもの」
彼はため息をついて椅子に腰掛けた。
「わたしにどうしろと言うんだ」
彼は意外に話がわかる。昨日の『筋肉馬鹿』というあだ名は撤回してやることにした。
「本は持ってないの?」
心なしか彼がほっとしたように見えた。
「ああ、それなら図書室にいくらでもある。好きなものを持っていくといい」
「ありがとう―でも何て言うと思ったの?」
「うむ? 一緒に行く、と―わたしはそろそろ行かなくては」
なるほど。彼の仕事がどんなものかみてみるのも楽しそうだ。
扉の方にミッチェルが歩いていったので、そのまま置いていかれると思ったが、扉を開けてサミュエルを呼ぶように使用人に言いつけただけだった。
「サミュエルって昨日の伊達男?」
彼は眉を上げておかしそうに口元を歪めた。
「確かに少々身だしなみにうるさいやつだが―まったくおまえは楽しませてくれる」
ミッチェルは腕を組んで頭を振った。
「わたしがおまえを一人きりにすると思ったか? サミュエルがちゃんと面倒をみてくれるだろう。あいつは嫌がるだろうがな」
ノックと同時に扉が開いた。淫らな現場を押さえても、合図をしたと言い訳は出来るというわけだ。親切心から出たものなら開ける前に間をおくはずだもの。
サミュエルはちらりとルシアに目をくれ、すぐにミッチェルの方を向いた。
「おはよう。何か用かな」
「今日はルシアの面倒をみてやってくれ。勝手もわからないだろうから」
サミュエルはぎょっとして目を見開いた。彼の瞳は明るいブルーだった。
「僕に子守をしろというのか! 勘弁してくれよ。君の女の誰かにやらせればいいだろう」
「おまえに任せておけば安心だからだ」
その言葉はすばらしい効果をもたらした。まるで魔法のようにサミュエルは大人しく頷いた。
「…わかった」
「感謝する、友よ」
ミッチェルは部屋を出て行った。馬の合わない私たち二人を残して。
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