第6話 晩餐に呼ばれる

 ミッチェルは長方形のテーブルに着いていた。上には肉や野菜、フルーツ、金色の液体の入った瓶がところ狭しと置かれている。

 ルシアが入ってきたとき、彼は自分のグラスにウイスキーを注いでいるところだった。

 「座れ」

 空いてる席を顎で示した。席は一つしかなかったが。

 ルシアは何も言わずに彼の前の席に収まった。

 彼女は彼の女たちはもう穿いていない流行遅れの、藍色に染められたハーレムパンツと、サーモンピンクのブラトップを身に着けていた。うまく身を屈めさせられれば豊かな胸が転がり出るのではないかと期待した。

 ルシアのグラスにはワインを注いでやった。彼女は眉を上げて彼を見ただけで飲もうとしない。ウイスキーを傾けながらルシアを見つめた。きめ細やかな白い肌に、長いまつげに縁取られた黒い瞳。髪はたくさん灯された蝋燭の明かりで、赤銅色に染まって見える。外で太陽が振り注いでいる中では、黄金の如く輝いていたのに不思議なものだ。

 「飲まないのか?」

 「お酒と煙草はやらないって決めてる。不健康だもの」

 拳で口元を拭った。

 「一度も?」

 彼女は頷いた。

 まだ口をつけられていないグラスを見やった。飲まなくてもわかる。そのワインは彼が貿易で得た極上品だ。

 「味見くらいしてみたらどうだ?」

 彼女は胡散臭そうにグラスを手に取りにおいを嗅いだ。それから小さな舌でワインを舐めた。

 「どうだ?」

 「よくわかんない」

 今度は傾きを大きくして一口すすった。

 「まずくはない、と思う」

 自分のグラスにウイスキーを注ぎ足した。

 「食え」

 手を膝に置いたままルシアは不満げに料理を眺めた。

 「好きじゃないか?」

 「ええ―その命令口調がね」

 「わたしは王だからな。それを言うなら、わたしもおまえの言葉使いをかなり大目に見ているのだが」

 「確かにあなたは王かもしれない―」

 「やっと認めたのか」

 彼女は手を振ってその言葉を退けた。

 「でも私の王じゃない」

 ウイスキー片手に思案した。

 「私はここの住民じゃないし、あなたの所有物でもない。あなただってことあるごとに『おまえの国では』って言うじゃない」

 ため息をついてグラスを置いた。

 「そのことについて話を聞きたいと思っていた。だがそれは食ってからにしようと考えていたのに。その方が互いにくつろいで、語り合うことができただろう」

 目の前の骨付き肉を手にとり、かぶりついた。風味豊かなソースと熱い肉汁が口の中に広がる。

 「しかしおまえは早く話したいようだからな」

 指についたソースを舐め取った。彼女はその様子をじっと見ていたが、目が合うとさっとそらした。少なくとも昼から何も食べていないはずだ。本当は腹が減っているのだ。

 「これだけの量をわたし一人で平らげられると思うか? 手付かずの皿が戻ってきたら料理人はどう思うだろうな」

 「あなたは気にしないんでしょ」

 ルシアは無意識にグラスを傾けていた。なみなみと注いでやったワインはすでに底をつきかけている。

 「だがおまえは気にする―そうだろ?」

 彼女は口を引き結んでサラダを皿に取った。フォークをつき立ててサラダにあたっているが、彼女が優しい女だということはわかっていた。さっきルシアに会う前に、見張りの男に彼女の様子を聞いた。ルシアはミエルバと楽しそうにしていたそうだ。

 「美味いか?」

 「ええ」

 「もっと食え」

 野菜以外にもさまざまな料理を皿に盛ってやった。

 彼女は口につめる合間に尋ねた。

 「で、話はしないの?」

 彼はまだあまり食べていなかった。ルシアが美味そうに食べるのをただ見ていた。 

 「―ああ。では、おまえはどこから来た?」

 「日本」

 「そこで何をしていた?」

 「歩いてた」

 「いつここに来たんだ?」

 「今日」

 簡潔な返答にいらいらしてきた。

 「おまえには親切心というものがないのか? もっと説明を加えてやろうとか、そういったことは考えないのか」

 ルシアは静かにフォークを置いた。

 「私は日本から来たの。日本って言うのは一億人くらいの人が住んでて、定められてはないけど公用語は日本語なの。あなたたちが話しているのは何語かしらないけど、こうやって通じるんだから同じような言語よね。どうしてこんな国に来ちゃったのかもわかんないけど、ここに来る前は高校の同窓会があったの。それで皆と別れて夜道を歩いてたら、つまずいて転んだ―と思う。暗いところを通って、光に向かって進んだ。そしたら急に息が出来なくなって、噴水で溺れてることに気づいた。後はあなたも知ってるように、嘘つき呼ばわりされて誘拐され、脚を触られた」

 彼女は言い終えたあと急に困った顔をしたかと思うと、目から大粒の雫を溢れさせた。

 ぎょっとして立ち上がった。大またでルシアに近づき、椅子から抱き上げてそのままソファーに沈み込んだ。

 膝に乗せた彼女は軽く、途方に暮れているように見えた。

 「大丈夫だ。わたしがそばにいるから。落ち着け」

 泣きじゃくるルシアの髪をなでながら、優しく囁きかけた。嗚咽が弱まるのを見計らって尋ねた。

 「急にどうしたんだ。国が恋しくなったのか?」

 「わかんない」

 ルシアは彼のシャツに出来た大きなしみを見つめて言った。興味深そうに指先でゆっくりとなぞっている。

 男を誘惑する手つきだ。出会って間もなくても、だれかれかまわずこんなことをする女でないことは断言できる。

 眉をひそめ、おとがいを掴んで顔を上げさせた。

 「ルシア?」

 彼女の頬はピンクに色づき、濡れた目はとろんとしている。彼の視線は空になったワイングラスに吸い寄せられた。

 酒を飲むのは初めてだと言った。彼女はくしくもアルコールに弱い体質なのだ。

 素肌に滑らかな手の感触を感じてルシアに目を戻すと、シャツのボタンが外され、むき出しになった浅黒い胸を撫でられていた。

 「なんと…」

 「だめ?」

 「そんなことはない。だがおまえは初めてだからソファーなんかじゃなく、ベッドでゆっくりする方がいいだろう」

 見上げるルシアの唇はワインの色に染まり、誘うように小さく開いている。

 誘いに応じ、ゆっくりと顔を下ろしていった。

 「いくつに見える?」

 重ねるまであと少しというところで、唐突にルシアが怒鳴った。

 「何がだ?」

 「私、いくつに見える?」

 「今じゃなくてもいいだろう」

 顔を近づけると肩を押された。

 「ねえ」

 体を起こし、じっくりとルシアを観察した。

 「十六」

 「ミエルバもそう言った。二十才なのに」

 彼女はぽつりとつぶやいた。

 驚いた。どうみてもそんな歳には見えない。わたしと六つしか違わないなんて。

 ルシアは目を見開いた。

 「女が勉強しちゃいけないのはなぜ?」

 酔っ払いの思考回路にはついていけない。その気が失せてソファーにもたれた。

 「必要がないからだ。女たちはずっとここにいる。覚えたとして、その技能をどこで使うんだ? それに教えられるのは男だけだが、ふつうの男はハーレムには入れない」

 酔った相手に懇切丁寧に説明してもしかたがないのはわかっていたが、うやむやにするわけにもいかない。

 「じゃあ、教えるのが女ならいいでしょう?」

 ルシアが何を言うつもりか予想がついた。

 「おまえが教えるのか」

 ルシアは勝ち誇ったように微笑んでいた。

 不意に笑みを向けられ、その明るい表情を曇らせたくなくて頷いた。

 どうせ明日になれば忘れているだろう。このときばかりは上等のワインに感謝した。

 「いいだろう」

 満足した様子でルシアは顔を彼の胸にすりよせた。

 「猫みたいだな。小さくて、あたたかくて、柔らかい猫」

 ルシアの尻をなでた。喉の奥で音を鳴らす様子に、口元が緩んだ。

 「ベッドへ行こう」

 抱いたまま立ち上がり、彼のベッドにそっと降ろした。温もりがなくなってルシアは不満げに彼を見上げた。

 「服を脱ぐだけだ」

 子どものようにいやいやと頭を振って手を伸ばすので、しかたなく隣に体を横たえた。すぐにルシアが体を押しつけてくる。欲望を感じてはいるが、どうやって満たせばいいのかわからないのだ。

 「ゆっくりだ。時間はたっぷりある」

 せがむように開いた唇を今度は正確に捕えた。やわらかく甘い果実を存分に味わう。ルシアが小さな声を上げた。舌を隙間に差しこみ絡めると、彼女もおずおずとその動きを真似た。

 ベッドから下り、大急ぎで身に着けている衣服を剥ぎ取った。

 ベッドに戻ったミッチェルは、拍子抜けして顔を片手で覆った。笑えばいいのか怒り狂えばいいのかわからなかった。

 目を離したわずか三十秒足らずの間に、ルシアはすっかり眠りこんでいた。彼に欲望に脈打つ厄介なものを残して。

 胡坐をかき、眠るルシアを見つめた。眠っているとさらに幼く見える。呼吸に合わせて上下するふくらみや、かたちのいい尻をみれば、どう考えても子どもとは思えないが。

 うめき声を上げて心乱すものを上掛けで覆った。横に寝転がり天井を見上げた。女を呼ぼうか。この分じゃカーテンから薄明かりがさすのを眺めることになる。

 小さく舌打ちした。かといってほかの女は欲しくなかった。欲しいのは今、横で眠りこけている女だ―彼のベッドで、何もしないうちから眠り込んだ女はかつていなかった。

 自分でも正気の沙汰ではないと思いながら、ルシアを腕の中に閉じ込めると温かな息が胸にかかった。顎の下にルシアの頭をうめて深く息を吸い込んだ。花のような甘い香りがする。女たちの甘ったるい香水のにおいとは違う自然な香り。目を閉じると安定した鼓動が伝わってきた。

 こういうのも悪くないな―。

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