第5話 ハーレムに入れられる

 ハッと目を開くと、琥珀色の瞳がもの問いたげに顔を覗き込んでいた。慌てて顔を上げるとゴツンと音がして星が瞬いた。

 悪態をつく声が聞こえ、そろそろと目を開けると星はなくなった。

 「なんて頭の固い女だ」

 ミッチェルはムスッとした顔をして額をさすっていた。

 「着いた」

 確かに景色が変わっていた。小さな家はない。あるのは砂漠の国に付き物の大きな玉ねぎ形のドームがのった宮殿だ。近すぎて小さな窓からでは全てを見ることは出来ないが、この中に彼の住まいがあるのだろう。

 たぶん王に仕える下っ端の下っ端の下っ端の下っ端…。

 「はやく降りろ」

 先に降りたミッチェルが苛立たしそうに振り返っていた。

 少なくとも尊大さだけは王に引けをとってない。

 大人しく従うのは癪だからそろそろと出口に進んだ。飛び降りようと身構えると、腰を掴んで降ろしてくれた。

 予想に反した紳士的な行為に目を丸くした。

 「ありがとう」

 ミッチェルは眉を上げチラッと私を見下ろした。

 「当然のことだ―おまえの国の男は手を貸さないのか?」

 「ええ。だって自分で出来るもの」

 ミッチェルは私の腕を掴み、入り口へと急き立てた。

 「おまえなら出来るだろうな。だがここでは自分の所有物は大事にする」

 私はあなたのものじゃないと言ってやりたかった。だが宮殿に入ると「お帰りなさいませ、陛下」とか「お疲れでしょう、ご主人様」などと通り過ぎる人に声をかけられるものだから、機会を逃してしまった。いまさら言ったところで、彼はもう自分の言ったことを覚えていないだろうし、本当に王なのだと信じ始めている自分を慰めるのに忙しかった。

 彼の長い足についていくのに息が上がっていたが、腕を引っ張られているから、足を止めれば引きずられるかもしれない。彼ならやりかねない。その思いを胸に必死に脚を動かした。 ずっと真っ直ぐ進んでいたがようやく彼が方向を変え、景色にも変化が訪れた。色とりどりの花が咲き誇る開けた庭に出て、ミッチェルが歩みを緩めた。

 「これからおまえが暮らすところだ」

 プールのようなものがあって、中で女たちが優雅に泳いでいた―何も身に着けずに。ベンチに座っておしゃべりしている女も、草地に横たわって日光浴している女も、着ているのはビキニに透けた薄っぺらな布地を羽織っているだけだ。これはおかしい。公然わいせつ罪で訴えるべきだ。

 「こんな庭で野宿するの?」

 ミッチェルは面白くないぞとねめつけてきた。上等だ、私だって面白くもなんともない。

 「いや、おまえには部屋を与える」

 「なんてお優しいこと」

 ミッチェルがまた腕を引っ張り始めた。庭を抜けると、そこはホールのような広い部屋で、また多くの女がくつろいでいた。部屋の入り口には男が二人見張りとして立っていたが、ミッチェルが通りかかると頭を下げた。女は彼に気づくと媚びるようにまつげをはためかせて瞬きだした。一斉に皆が瞬くものだから、風がおきないのが不思議なくらいだ。

 「ハーレムみたいね」

 「みたいじゃない。わたしのハーレムだ」

 女が手癖の悪い男に向ける殺人レーザーのような視線を彼に向けた。ここにいる女たちは彼のベッドを温めるためだけにいるのだ。

 「へえ。それって自慢すること?」

 「当然だろう。高貴さの象徴だ」

 鼻を鳴らした。まったくもって馬鹿馬鹿しい。

 「じゃあ、彼らは宦官なのね。あなたのおん―所有物を守るためにいる」

 見張りの男のほうに手を振った。

 「カンガン?」

 ミッチェルはわけがわからないという顔をした。あまりにも真に迫っているので本当に彼は知らないのかと思った。

 「ふざけるのはよしてよ。彼らにはアレがないんでしょ?」

 「何のことだ、アレとは?」

 眉をひそめた。嘘をついているとは思えない。いや、からかっているのだろう。

 「もういいわ」

 手を振ってその話を終わりにしようとした。

 彼は手首を掴んで顔を覗き込んできた。

 「何のことだ?」

 しつこいったらありゃしない。答えを得るまで放さないつもりだ。

 「つまり、彼らには、あー…」

 それとなくほのめかす方法はないかと思案した。

 「何だ、早く言え」

 もういい加減にしてよ。

 「だから―去勢されてるんでしょ!」

 ホールはその機能を十分に果たした。声は端から端まで響き渡り、聞こえなかった者はいないはずだ。

 顔がかっと熱くなった。女たちは瞬きをやめ、じっとこちらを見つめていた。見張りの男はぎょっとした顔をして、自分の股間を守るように手で覆っていた。 

 「神が与え給うたものを粗末にするのは罪だ。おまえの国ではそうするのか?」

 ミッチェルは頭を振り、恐ろしそうに口元を歪めていた。

 それならこのハーレムは安全じゃない。彼らが立ち向かうべきは外から来る敵ではなく、己の欲望自身なのだから。

 「私の国にハーレムはないわ。だけどほかの国では、そうする」

 彼は不思議そうに考え込んでいたが、それをとりあえずは脇に追いやったようだ。

 「ミエルバ」

 彼が呼ぶと、ほっそりした長い髪の―もちろん黒い―十八才くらいに見える女がやってきた。

 「ルシアだ。琥珀の間に連れて行って世話をしてやってくれ」

 ミエルバは可愛らしくにっこりしたので釣られて笑みを返した。

 「はい、ご主人様」

 「わたしはまだ仕事がある。ルシア、夜になったら会おう」

 そう言い残すとミッチェルは踵を返し、私を女の園に残して去っていった。

 ミエルバが手を引っ張っていた。

 「ついてきて。部屋に案内するから」

 女たちの好奇の視線に晒されていると落ち着かないので、大人しくついていくことにした。

 「ねえ―」

 「ミエルバって呼んで」

 「ミエルバは未成年よね。お母さんやお父さんはあなたがここにいること知ってるの?」

 ミエルバの歩調が乱れた。

 「あなただって未成年でしょ」

 「私? 私は二十才だけど」

 ミエルバは疑わしそうに振り返った。

 「どうみても十六才くらいにしか見えないよ」

 私は童顔じゃない。アルコールの場で身分証を見せろと言われたこともないし。

 ミエルバの顔を見つめた。

 「あなたはいくつ?」

 「十三」

 まさか! 確かに胸のふくらみはゼロに等しいけど、その表情や立ち居振る舞いにはあどけなさがない。

 「ここがあなたの部屋」

 立ち止まったミエルバが開けた部屋は、その名のとおりどこもかしこも琥珀色だった。壁もベッドも鏡台も色の濃淡はあれ、ウイスキーのように輝いている。ここにいては嫌でもミッチェルの瞳を思い出す。彼はそれを承知でこの部屋を与えたのだろうか。

 カーテンをあけ、窓を開くとオレンジの太陽に照らされた黄金色の砂丘がどこまでもうねっていた。

 「これに着替えて」

 振り返ると差し出されているのは、思ったとおり女たちの制服だった。最初は二十才にもなって高校の制服は恥ずかしいと思ったけど、今は断然こっちのほうがいい。

 「もっと肌を覆うものはないの?」

 ミエルバはこれのどこが不満なのかという顔をしたが、チェストに取って返した。

 ベットは天蓋つきだ。一度はこんなメルヘンなベッドで眠りたいと思っていた。

 ―ベッド。

 「ねえ。彼は今夜、私とベッドを共にするつもりだと思う?」

 「不満なの?」

 チェストの中から声がした。

 「そういうことはむやみにすべきじゃないと思うの。お互い愛し合ってて、結婚した男女のみに許される行為だと思う」

 「ふーん。お堅いのね―これでどう?」

 ミエルバが広げたのはハーレムパンツだった。上は相変わらず肩紐のないビキニだったがよしとしよう。

 「いいわ。ありがとう」

 脱ぎ捨てた制服をミエルバは物珍しそうに持ち上げていた。

 「着心地が悪そう」

 「今は濡れて重くなってるからね。確かにブレザーはちょっと窮屈だけど―」

 指差してどれのことか伝えた。

 「ブラウスは薄いし、リボンがついててかわいいでしょ。スカートも履いてみれば気に入るわよ」

 ミネルバは興味深そうに見入っていた。その様子でやっと年相応に見えた。

 「乾いたら、着させてあげる」

 「ほんとに?」

 「ええ」

 ミネルバは嬉しそうに約束と言った。

 「これどう?」

 ミエルバの前で一周してみた。羽織った布がさらさらと音を立てる。

 「似合ってるよ」

 私たちの間には友情が芽生え始めていた。ベッドに腰掛けて女どおしの話をした。その中で彼女は薄い羽織物のことをヴェーノと呼んだ。ここでは日本と同じ言葉が話されているが、全てが全て同じというわけではなく、しばしば意味のわからない言葉があることに気づいた。

 「あなたたちはここで何してるの? その…彼に呼ばれない間は」

 「あたしたち好きなことしてるよ。ミッチェル様はすごくお優しい方だから」

 彼がすごく優しいというのには異論があったが、彼女に言っても仕方がないので無視することにした。

 「例えば?」

 「おしゃべりしたり、泳いだり、お菓子を食べたり」

 「それだけ? 本を読んだり、出かけたりしないの?」

 「文字が読めるの?」

 ミエルバが身を乗り出した。

 「もちろん。それに書けるわ」

 崇拝するような眼差しが面映い。

 「教えてあげましょうか?」

 ミネルバの表情が曇った。

 「だめ。ミッチェル様がお許しにならないわ」

 「さっきは彼のことを優しいと言ったじゃない」

 眉を上げてミエルバをからかったが、明かりの消えた表情のままだ。

 「どうしていけないの?」

 優しく尋ねた。

 「女は学ぶ必要がないと考えていらっしゃるの」

 ふむむ。ミッチェルはずいぶんと遅れた考えの持ち主のようだ。

 「私が彼を説得してあげる、ね?」

 「そんな。ミッチェル様は女に意見されるのは―」

 見張りに立っていた男がドアを開いて、ミエルバの言葉が遮られた。

 彼は私を見て何を思ったのか、自分の大切なものがまだそこにあるのを確かめるようにズボンに手を伸ばした。

 「陛下がお待ちだ」

 よほど怖がらせてしまったのだろう。彼は頑なに目を合わせようとしなかった。

 ベッドから飛び降り、ミエルバにウインクした。

 「任せといて」

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