第2話 窒息させられる
「また連絡するね。じゃあ」
二次会へ向かう、春の夜風に吹かれただけで倒れてしまいそうなほど泥酔した同窓生たちに別れを告げた。
高校の同窓会で久しぶりに会った彼らは、社会に出たことでどこか変わったようにも見え、アルコールに煽られて馬鹿騒ぎしている様子は、あの頃のように何も変わっていないようで何ともいえない切なさがこみ上げてきた。
私もどこか変わったのかな。
無意識に懐かしいブレザーを撫でつけた。同窓会は高校の制服姿で会おうと約束していたから、私たちは皆一様に紺色のコスチュームを身に着けていた。
喪失とは寂しいものだ。だが一方で余白が生まれ、新たな自分を構成する要素を取り込むことが出来る。
内に目を向けていたために、足元を見ていなかった。時すでに遅く、気づいたのは生暖かい塊に足をとられた後だった。
「転ばないようにね」
小さな頃、耳にたこが出来るくらい母に言われた言葉が聞こえた気がした。
冷静な自分は、もう体勢を立て直すのは不可能だと思っていた。だがなぜか体はあきらめようとせず、本能に任せて体をひねっていた。その瞬間、暗い淵に引き込まれ、果てしなく落ちていくような気がした。どこまでも黒い底知れない闇の中へ―だが光は唐突にやってきた。金色の筋が手招きするようにゆらゆらと揺れている。
そっちへ行きたい―念じれば望みが叶うかのように必死で唱えた。そっちへ行きたい。すると光のほうから近づいてきた。
―そして抜けた。
息が出来ない!
無だけが広がる暗闇か、明るい無酸素状態かの選択だったというの?
冗談じゃない。
手を伸ばし必死に手探りすると、硬いがっしりしたものを掴んだ。必死に握り締めたものを頼りに体を持ち上げ、肺の中に甘い空気をこれでもかと詰め込んだ。空いた手で目にかかる髪をかきあげると、掴んでいるのは筋肉質な男の上腕だった。
男は魔女でも見るような目で私を見つめ、顔に似合わない甲高い悲鳴を上げた。そして目が反転したかと思うと、石のように騒々しい音を立ててぶっ倒れた。
悲鳴だけでも十分なやじ馬が集まってきていたのに、大男を気絶させたことで、何かのパフォーマンスと考えた観客がさらに集まってきた。
気絶されるほど醜いとは思ってなかった。
確かに濡れてメデューサのような髪になっているのだろうが、石に変えるほどの迫力はないはずだ。皮肉な考えがわいたが、のんきにそんなことを考えている場合ではない。これほどの人を集めてしまったのだ。警察がやって来るに違いない。
ふと足元を見下ろすと、膝まで泡立つ澄んだ水に浸かっていた。ここで窒息しかけたのだ。こんな幼稚園児でも溺れそうにないところで。飽きれて濡れた頭を振り、図らずも命の恩人となり、今はカラフルな石畳の上で伸びている男の傍にひざまづいた。
「ねえ、大丈夫?」
観衆は一定距離を空けて事の成り行きを見守っていた。
気がつく気配がないので、立ち上がって水の滴るスカートを男の顔の上で絞った。
周囲に押し殺したざわめきが広がった。
男はうめいたが目は開けなかった。賢明な判断だ。私だって出来ることなら、現実に目をつぶってしまいたい。
蹄が石を叩く音と重いものを引くがたがたという音が近づいてきて、観衆は蜘蛛の子を散らすように私たちから遠ざかった。
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