玉座も鏡にゃ映らない

しすい

伝説の訪れ

第1話 手を入れられる

 気がつくとスカートに手を入れられていた。

 「ちょっ―何やってるのよ!」

 慌てて裾を押さえたが、男は歯牙にもかけず探索の手を伸ばしてくる。

 馬車の中にいるもう一人の人物に目を向けた。

 「この人に何とか言ってよ。だいたい女の子が困ってるのに、ただ見てるなんてどういう神経してるの?」

 彼は自分に言われても困るというように、ただ肩をすくめただけだ。

 その間も男は捜索範囲を広げ、今にも下着の端に触れそうになっている。

 「やめて、やめてったら! 痴漢! 変態!」

 男は口元を歪めた。

 「まったく騒々しい女だな。宮殿で女たちが飼っているオウムの方がまだましだ」

 男はようやくスカートから手を抜き、ドサッと座席にもたれかかると腕を組んで、人助けという概念を持たない非情な男に語りかけた。

 「なによりわたしのことを変態よばわりした。エルフレッド王国の王をだぞ。鞭打ってやろうか―どう思う、サミュエル?」

 サミュエルはじろじろと私を見た。濡れて透けた下着を見られないようにさっと胸を手で覆ったが、彼は興味なさそうに、自分のことを王だと思っている痴漢魔の方を向いた。

 何となく侮辱された気がして、そろそろと手を下ろしサミュエルを睨んだ。

 「この女は見たことのない装いをしているし、聖なる泉でずぶ濡れになっていた」

 サミュエルが痴漢魔に指摘した。

 「君のことも知らないようだし―男との接し方もわかっていない」

 黙って聞いていれば…。

 「接し方くらい知ってます」

 二対の目がこちらを向いた。その表情を見れば、話の途中で口を挟まれるのに慣れていないことがわかる。

 痴漢魔が眉を上げ、おかしそうに口元を歪めた。

 「ほお…。それならばなぜペチャクチャとくっちゃべってたんだ? その口にはほかにもっといい使い道があるだろうに」

 頬に血が上った。異性とあからさまにこういう話をしたことはなかった。

 ますます痴漢魔の口角が上がり、さながら黒い悪魔のように見える。

 「生娘か…。こいつはいい。気が変わった。鞭打ちは止めだ―さしあたりは」

 サミュエルが気乗りしない様子で尋ねた。

 「それでどうするつもりなんだ?」

 「わたしのハーレムに連れて行く。それからのことは―」

 肩をすくめた。

 「どうにかなるだろう」

 サミュエルは不満げに何か言ったが彼は聞いていなかった。男は身を乗り出し、私のおとがいを掴んで目を合わさせた。

 「わたしはエルフレッド王国の王―ミッチェル・アレグザンダー・エイレム・エルフレッドだ。覚えておけ、女」

 ミッチェルの表情が名を名乗るように促している。だがこのときばかりは声が出なかった。近くで見る彼の瞳は、深く底知れない琥珀色だった。色濃い樹液に守られたその奥には何があるのだろう。中を覗き込んだ者を惹きつけずにはおかないその色合いに溺れていた。

 目は心の鏡…。ふとそんな言葉が浮かんだ。痴漢魔―ミッチェルは、それほど悪い人ではないのかもしれない。

 「…ルシア」

 「それがお前の名か?」

 可能な範囲で頭を縦に振った。

 ミッチェルは手を離し、座席に戻った。

 「ルシア。光という意味だな―綺麗な名だ」

 彼は舌先で転がすように何度か名前を呟き、満足げに頷いた。

 彼の舌に載った名前は何だか違うもののように聞こえた。

 「ありがと」

 「ずいぶんしおらしくなったな。どういった心境の変化だ―」

 ミッチェルが恐怖に近い表情を浮かべた。

 「まさか馬車に酔ったんじゃないよな? 間違ってもここで吐くなよ」

 「ええ、そのまさかなの。もどされたくないならほっといて」

 彼が話しかけないでくれるならどう思われようがかまわなかった。恐ろしかったのだ。彼に近づきすぎれば傷つくことになるような気がした。

 またあの琥珀色の深みにはまるのが怖くて、揺れる風景を眺めた。変わった服の人々が、まるでテレビコマーシャルのように現れては消えていく。本当に酔ってしまいそうになり目を閉じると、今日の不思議な出来事が、まぶたの裏に鮮やかに蘇ってきた。

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