【03】異世界ウォーカー


「────異世界ウォーカー?」

「うん」

蔦壁つたかべが?」

「そう」

「へえ……」


 凪早なぎはや晴矢はれやは、ピンと来ない様子で首を傾げた。

 クラスメートの女の子が、しかもこれからデートに誘おうと思っていた子が、異世界を渡り歩く『異世界ウォーカー』などという聞き慣れない職業(?)だと言うのだからそれも当然だろう。


 フワフワする身体を支えるため、無意識の内に近くの本棚にすがりつく。

 まるで、木に止まるセミのように。


「バグ玉は異世界からのSOS。異世界ウォーカーのわたしは、バグ玉を捕獲して情報を得て、異世界で発生したバグを修復する役目を負っているの。そういう役目は、隠しておかないといけなくて。すぐに信じられない気持ちはよくわかるけど……」


 蔦壁つたかべロコアが優しく諭すように語りかけている、その時だった。


 晴矢のすがりついている本棚がいきなり、ガタガタと振動し始めたのだ。

 棚の本がバタバタと音を立てて崩れ去り、バサリバサリと床に落ちていく。


「げげっ!? も、もしかして、本棚が浮いてる!?」

「凪早くん、本棚から離れて」


 ロコアの声に、晴矢はパッと手を離す。

 すると本棚はドスンと音を立てて床に落ちた。

 明らかに、元の場所からズレているが。


「……え、えーと……悪気はなかったんだ」

「うん、わかってる。大丈夫だよ」


 そそくさと本を拾い集めて本棚に戻していくロコアに、晴矢は所在無げに頭を掻くしか無い。


「そのままだと、いろんな人に迷惑をかけちゃうだけじゃなく、大変な騒ぎになるわ。だから、誰にも見られない内に治すべきだと思うの」

「蔦壁は、治す方法を知ってるの?」


 本を元に戻し終えたロコアが、キュッと口を引き締めて、小さく頷いた。


「うん。……たぶん、ね」

「た、たぶん?」


 自信の無さそうな言葉に、思わず尋ね返してしまう。


「バグ玉が人に取り憑くなんて、今までに無かったから……。いつも通りの方法で、たぶん治るはずだけど……でも、それだと凪早くんを危険に巻き込んじゃうし、時間も掛かっちゃうかな、って……あ」


 自分に言い聞かせるように呟いているロコアが、晴矢の視線にハッとした表情になる。


「不安にさせちゃったみたいで、ごめんなさい。でも、わたしの先輩なら、安全ですぐに治す方法を知っているかもしれないから」

「先輩……それって異世界ウォーカーの先輩、ってことだよね?」

「そう。こことは別の、異世界にいるの。とても頼りになる人だから。きっと、いろいろアドバイスをしてくれると思うの」


 そう言って、ロコアはニッコリと微笑んだ。

 その先輩に対して、相当に信頼を寄せているようだ。

 そんなロコアの様子に、なぜだか晴矢の心が嫌な感じにグラグラと揺れ始める。


「(まさか、その先輩ってヤツ、イケメン男子じゃないだろうな……。

 いや、すでに彼氏彼女の関係だったり……?

 だとしたら……ちょ、ちょっとカッコ悪ぃな……)」


 ライバル登場の予感に、気後れせざるを得ない。

 しかも有能にしてすでにロコアと親密となれば……。


「そんな不安そうな顔しないで。絶対に、治してみせるから」


 気づくと、ロコアがとても心配げな眼差しで見つめていた。

 思いっきり勘違いさせたようだが、晴矢にはロコアの気持ちが妙に嬉しく感じられた。


「……ま、俺の気持ちはともかくさ、こんなんじゃどうしようもないよね」


 勝手に上昇しようとする身体を抑えるには、立泳ぎのようにしてゆっくりと手を動かし続けるしか無い。

 動いているときは楽しいが、ゆっくり休む間が無いとなると……。

 落ち着かないどころではないだろう。


「ここは素直に、蔦壁に従うよ」

「ホント? よかった……」


 ホッと胸を撫で下ろすロコアが、小さく微笑む。

 とても控えめで何でもない仕草だが、晴矢の心をドキドキと高鳴らせた。


 もともと、デートに誘う目的で図書室に来たのだ。

 結果は予想の斜め上を行っているが、どうやらロコアと交流を深めることになりそうな気配だ。

 となれば、晴矢としては期待に胸を膨らまさざるを得ない。

 もし仮に万が一にも、その先輩が強力なライバルだったとしても……。


「じゃあ、すぐに準備をするね」


 ロコアは晴矢に頷きかけると、自分の左手をポンポンと軽く叩いた。


「────スリープモード解除」


 即座に青白い光がパアッと広がって、ロコアの左手の甲に奇妙な紋様が浮かび上がる。

 ロコアはその紋様に右手を被せると、スッとばかりに前方へ両腕を伸ばした。


「魔術師セット、装着!」


 キリッとした表情で言い放つ。

 再びキランと青い光が煌めいたかと思うと、一瞬にしてロコアの衣装が変わっていた。


 襟高で裏地が薄紫色の、膝下まで隠れる黒のマントを羽織り、右手には背丈ほどの長さのある錫杖を携えている。

 腰にはよく使い込まれている様子のポーチ。

 マントの下は、どうやら高校の制服のままのようだが、上履きはハーフブーツに変わっていた。


「どうした、ロコア」


 しゃがれた男の声が聞こえたかと思うと、マントの奥からバサバサと羽音を立てて、濃紺色の何かが飛び出してきた。


 人語を操っているが、どこからどう見てもコウモリにしか見えない。

 体長は10cmほど、翼を広げても30~40cmほどの大きさだ。

 バサバサと忙しく飛び回りながら、鋭い目つきで辺りに素早く視線を走らせている。


「グスタフ、緊急事態なの」

「あン? 緊急事態だ?……おい、なんだコイツぁ?」


 グスタフと呼ばれたコウモリが、晴矢の存在に気づいたようだ。

 顎をしゃくり目を細めて、どギツい視線を投げかけてくる。

 「テメーどこ中よ?」と言わんばかりだ。


「いきなりバグ玉が現れて、そこの凪早くんに、取り憑いちゃったの」

「はあ? バグ玉が人に取り憑いただぁ? そんな話、聞いたことねーぞ」

「だよね」

「おい、そこの間抜けヅラ。テメー、ホントに人間か?」


 人語を操る使い魔とはいえ、まさかコウモリに「おまえ、本当に人間か?」なんて見下された言い方をされるとは、思ってもみないところだ。


「ごめんなさい、凪早くん。グスタフは口はとても悪いけど、根は優しくてとても気の利く使い魔さんなの」


 ロコアの弁解を遮るようにして、グスタフが忙しなく羽をバタつかせる。

 そして、ロコアの左肩に舞い降りて、ふんぞり返って見せた。


「おい、ロコア。バグ玉に取り憑かれるとかアリエネーほどの間抜けボウズなんざ、バグ玉ごと悪魔のところへ放り込んじまおうぜ」

「やめなさいってば、グスタフ。脅かすようなこと言わないの」


 少し頬を膨らませながら、ロコアがグスタフをツンとつつく。

 グスタフは舌打ちすると、そっぽを向いた。


 ────今ので、厳しく叱ったつもりだろうか?


 まるで、幼児をあやしているような雰囲気だったが……。

 思わず、晴矢の顔に笑みがこぼれた。


 確かに口は悪いが、ロコアとも仲が良さそうだし、あれで良いところがあるのかもしれない。

 そんな風に感じずにはいられなかった。


「まずはミュリエルのところに行こうと思うの。凪早くんも一緒に、ね」

「なるほどな。ロコアが決めたんなら、さっさとそうしろ」


 ロコアはクスっと苦笑すると、錫杖を両手に構えた。

 そしてゆっくりと円を描くように動かすと、シャリーンと甲高い金属音が図書室に響き渡った。



「聖なる灯台よりい出し光よ


  そは大海に漂う木の葉の如き迷い子に 清浄なる光明を与えし者なり


 我ありし時空の刻印 今ここに記さん────


 ────ワールドマーカー!」



 シャリーンと音を立てて、錫杖を床にドンと突く。

 錫杖の先端の真ん中にある三角柱のクリスタルが眩い光を煌々と放つと同時、ロコアの足元に、白い円形の魔法陣が現れた。

 ロコアはポケットからスマホを取り出すと、その魔法陣をパシャリと撮った。


「それって……何を?」

「これはね、わたしたちの戻り先をマーキングしたものなの。これがあれば、異世界で何日過ごしても、この時間のこの場所に戻って来られるの」

「そう、なのか……。RPGで言うところの『帰還ポイント』みたいなヤツ?」

「ゲームのことはよくわからないけど……たぶん、そんな感じ」

「なんでスマホで写真を?」

「専用のマーキング記録アプリが入ってるの。それを元に、『異世界移動ゲート』を開く仕組みなの」

「へえ、機械と魔法が融合してるのか……」

「うん。今度は、異世界に行く『異世界移動ゲート』を開くね」


 ポカーンとするしかない晴矢をよそに、ロコアは手慣れた手つきで、スマホ画面をスライドさせていく。

 ほどなくして、ロコアの指先がピタリと止まる。

 そしてすぐさま、錫杖を振り上げると、ゆっくりと言葉を紡ぎだした────。



「炎天の砂原に沸き立つ赤き陽炎かげろう


  蒼天そうてんゆるオアシスの水鏡すいきょう 緑に染むる南木の木陰


 そは御世みよの狭間に現れし常火とこひの 煌々たるしるべなりけり────


 ────トゥ・ジ・アナザーワールド!!」



 シャリーンと錫杖を鳴らすと白い光がフワリと輝く。

 その白い光にスマホをかざすと、シュンと風切り音を上げて、白い光の渦となった。


「これが異世界移動ゲート。わたしについて来てね、凪早くん」

「この向こうは、異世界……? ホントに?」

「うん。グスタフは、しんがりをお願い」

「おうよ」


 ロコアの指示に応えて、グスタフがバサリと羽ばたく。

 グスタフが離れたのを確認すると、ロコアはもう一度、晴矢に向かって頷いた。


 そして、迷うこと無く白い光の渦へと飛び込んだ。

 シュルンと軽い風切り音を残して、ロコアの姿が掻き消える。


「つ、蔦壁が、き、消えた……! ホントに……ホントに、こことは別の異世界へ……?」

「驚いてないで、さっさと行け。ロコアが向こうに行っちまったら、数秒も経たずにに閉じちまうからな」

「うはっ、マジか! よ、よし、じゃあ……い、行くしかないよな!」


 頬に一筋、冷汗が伝い落ちる。

 まさかこんなことになるとは……。

 驚きに満ちた数分間だが、ここで気後れしていても始まらない。


 晴矢はドキドキ高鳴る胸に手を当て、フンッと鼻息を鳴らした。

 その肩に、グスタフがバサリと舞い降りる。


「早く行けってんだよ」

「い、行くさ! 行ってやるぜ、異世界に!!」


 元気よく声を上げると、ドンと本棚を蹴りつけた。


「うおおおおおおおお!」


 雄叫びとともに晴矢が渦に突進する。

 頭の先が異世界移動ゲートに触れた瞬間、晴矢の身体は光となって、シュンとばかりに渦の中へと消えた────。


 しばらくして、白い光の渦がフワッと掻き消える。

 薄暗い図書室は、しんとして静けさを取り戻した。


 床で仄かに光る、白い魔法陣を残して────。




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