【93】果たされた使命


「お待ちなさい! 様子がおかしいですわ」


 見ると、竜の頭上には輝く天使の輪が見て取れた。


「これは……精霊? 精霊でございますね?」


 雨巫女あめみこウズハが驚いたように声を上げる。


「間違いありませんわね。精霊反応が出ていますわ」

「グリサリは、精霊になったと? しかしなぜゆえ?」

「ミュリエルさんの作ってくれた奪還器リヴァーサーを使ったんだ。ずっと眠てたけど、ようやく効果が出たんじゃないかな」

「……じゃあ、上手く行ったのね?」

「もちろんさ! ……っと、グリサリさん、うなじのところに青い十字架の紋様があるはずだからさ、それをタップしてみてよ」


 晴矢はれやの言葉に、竜はクルリと一回転してみせると、尻尾の先でポンと自分のうなじの辺りを叩いてみせた。

 するとその身体が光に包まれ、ストリと、女性が床に降り立った。

 長いストレートの黒髪に、巫女装束。

 床に腰をついて、驚きの表情を浮かべていた。


「……私は……いったい……?」

「グリサリ先生なのです!」

「手品みたいなの……」


 満面の笑みを浮かべて、マヨリンとルナリンが跳びはねる。


「グリサリよ、無事に戻ったか……!」

「おお、アリフ……」


 弱々しく車椅子に腰掛ける皇アリフが手を伸ばすと、グリサリが駆け寄ってその手を取った。


十痣とあざは……?」

「皆、解けている。すべてはミクライのお力だ」


 晴矢の方を振り返り、アリフの手を握ったまま深々とグリサリが頭を下げた。


十痣鬼とあざおにを浄化していただいただけでなく、私のような咎人とがびとまで、思し召しを……心より、感謝いたします」


 グリサリの言葉に、ミュリエルが得意気に高笑いを上げた。


「オーッホッホッホッ! あたくしの施した因子転換が完璧だったという証拠ですわね!」

「さすがミュリエルさん!」

「ありがとう、ミュリエル」

「何はともあれ、万事解決じゃ!」

「すべてのことが、最高の結果に収まりましたこと、嬉しく思います」

「皆の力があればこそだ」


 皆が一斉に歓喜に沸き立つ。

 雨巫女ウズハもグリサリのそばに寄ると、喜びを噛み締めるように抱き合った。

 インディラは一歩下がってその様子を見守り、マヨリンとルナリンが両手で何度もハイタッチを繰り返していた。


 歓喜の輪の中で、晴矢とロコアも顔を見合わせて微笑み合う。


「……晴矢くん、立てる?」

「ああ、全然大丈夫だよ!」


 腰を上げるロコアにつられて、晴矢もスックと立ち上がった。

 「う~~ん」と両手を突き上げ背伸びをすると、久々の重力の感触がヒシヒシと全身に感じられた。

 どうやら、浮遊力は掻き消えているようだ。


「戻りましょ、晴矢くんの世界に。わたしたちの役目はここまでだから」


 ロコアはそっと小さな声で囁くと、スマホを取り出し、部屋の隅へと晴矢を促した。


「ああ……」


 ポリポリと頭を掻きながら、晴矢がグリサリとロコアを交互に見やる。

 その様子を見守っていたミュリエルが、部屋の中央へと進み出てきた。


「お待ちなさいな、ロコアちゃん。ひとつ確認したいことがございますの」

「……何?」


 怪訝そうな表情で、ロコアが振り返る。

 晴矢はホッと、胸を撫で下ろした。


 ロコアに頷くと、ミュリエルはグリサリに視線を向けた。


「グリサリさん、でしたわね? あなたが17年前に産んだというお子のことですわ。ここにいるロコアちゃんが、その子かもしれないと、晴矢がのたまわっておりますのよ」


 驚きの声を上げる一同の視線が、ミュリエルとグリサリとロコアに集まった。


「……ほう、通りで。ひと目見た時、どこか見たことのある面影だと思うたわ。特にその……灰色の瞳がな」


 皇アリフですら、弱々しい口調ながら、ロコアの顔をしげしげと眺めている。

 しかしグリサリは、そっと目を伏せると、小さく首を横に振った。


「名前が……名前がちごうております。あの時、私が『アウロラという名前だけは変えないで欲しい』とお願いしたところ、『しかと、引き継ごう』と申されておりましたので……」


 グリサリの言葉に、杜乃榎とのえの一同から落胆の声が漏れる。

 しかしミュリエルには、簡単に引き下がる素振りがない。


「名前が違っているというだけで、簡単に引き下がってよろしいんですの?」


 ミュリエルの挑発的な口調にも、グリサリは目を伏せたまま、顔を上げようとしない。

 まるで、現実から目を背けているかのように、晴矢には感じられた。


「……グリサリさん。あなたは魔人に魂を売り渡してまで、子をお探しになられたのでしょう? その理由をお聞かせくださいな」

「……ええ、それは、あのお方が……」


 昔を思い出すような表情で、グリサリが顔を上げる。


「……あのお方が、『私は異世界の狭間はざまを統べる者────。もはやこの地に来ることもなかろう』と申されておりましたからです」


 その言葉に、ロコアが目を見開いた。

 サンリッドっとスクワイアーですら、ビクッとして居住まいを正した。


「私が魔人に魂を売り渡したは、娘がこの世界ではない、どこかもわからぬ異世界に旅立ったと知っていたからこそ……。そうでなければ雨巫女を辞した折に、娘を探す旅に出ていたでしょう。たとえ一人でも」

「『異世界の狭間を統べる者』って、フィクサーじゃん!? リリーのことでしょ?」

「リリー……? フィクサー……」


 晴矢の言葉に、グリサリも驚いた表情になる。


「大きな鎌の、サイスを持った女の人! ロコアは赤ん坊の頃に、その人と過ごしてた記憶があるんだよ!!」

「大きな鎌……!」


 ロコアを見つめたまま、グリサリが立ち上がる。

 フラフラとしながらも、ゆっくりとロコアに近づいていく。


「確かに、その通りでございます。大きな鎌を振るわれ、どこからともなく天空城に現れて、私と数日をお過ごしになり……! あの時のことは忘れも致しませぬ。娘とともに過ごした短い季節の中に、あのお方が突然……フィクサーと名乗る、あのお方だけが現れて……」

「やっぱりそうじゃん! グリサリさんはロコアのお母さんなんだよ!」


 晴矢がニコニコとしてロコアの顔を覗き込む。

 ロコアは言葉を失って、蒼白な顔で小さく首を振っていた。


「その灰色の瞳、髪の毛のツヤ……一目会ったあの時にもしやと……ですが、名前が……名前が……」


 ロコアの前で立ち止まり、唇を震わせるグリサリ。

 そんな二人の横に、ミュリエルが、クマのぬいぐるみをキュッと抱きしめて寄り添った。


「いいえ、名前はしかと引き継がれておりますわよ」


 驚いた表情で、2人がミュリエルを見つめる。


「マーカスがリリーからそのまま引き継いだ名は────『ロコア・ランカナル・アンドリアルモア・ウルベスムーン』ですもの」

「……だったら、違くない?」


 首を傾げる晴矢を、キッとばかりにミュリエルが睨みつけた。


「頭一文字ずつだけ並べてご覧なさいな」

「ロ・ラ・ア・ウ……?」


 再び首をひねった晴矢に、ミュリエルがイラッとばかりに顔を歪める。

 グリサリとロコアは「ハッ」として、お互いの瞳を見つめ合った。


「……ああっ! 組み替えると『アウロラ』か!!」

「ほう? ならばやはり、私の異母姉上ということか」


 皇子アフマドが飄々とした笑みを浮かべ、皇アリフが「ふうー」と大きく息を吐き出した。


「フィクサーはその言葉通り、しかと引き継がれたのですわ」

「たしかに、引き継ぐとはいえ、少しも変えないとはおっしゃっておりませぬな!」


 スクワイアーの声に、一同が頷いた。


「初めてお会いした時に、心にズシッと来るものを……まさか、そんな、本当に……」


 まだ信じられぬという表情のグリサリに、晴矢がビッと親指を立ててみせた。


「ロコアを抱きしめてあげてよ! 『細くて優しくて安心する匂いがお母さん、柔らかくてスベスベでいい匂いがリリー、厚くて硬くて臭いのがマーカス』なんだってさ!」


 誘われるようにそっと腕を伸ばし、ロコアを抱きしめるグリサリ。

 ロコアは、手にしていたスマホを、ポトリと落としていた。


「魔人に魂を売り、それ以来、ただただ娘に会いたいと願う日々を……」

「この細くて優しい温もり……?」


 言いながら、その肩口に顔を埋め、震える両腕をグリサリに回した。


「……お母さん……」

「……闇に堕ちた私の願いを叶えてくださった、天の神よ……この御恩は一生を賭して……」


 2人して抱き合ったまま、崩れ落ちるようにして跪く。

 雨巫女ウズハがそっと2人の肩を抱き、「雨巫女のご加護のあらんことを」と呟いた。


「魔人に願いし夢が叶った、というわけですか」

「認めたくないものですわね。悪魔術ラニギロトが人を幸せに導くこともあるなんて」

「今は喜びましょう。いたずらな天の思し召しを」


 ミュリエルがクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、「フフッ」と笑う。

 その横で、サンリッドとスクワイアーが片膝を付いて十字を切り、天に祈りを捧げた。


 晴矢はロコアのスマホを静かに拾うと、感涙にむせぶ2人からそっと離れた。


「……しばらく、そなたの従者じゅうしゃをお借りしたい」


 晴矢の横に皇子アフマドが近づいて、小さく声をかけてくる。


「ああ、もちろん。でも、従者じゅうしゃじゃなくて、マスターだけどね。ロコアが異世界ウォーカーで、俺はその従者アシスタントなんだ」

「ほう? では、そなたの大切なマスターをお預かりしよう。なにせ、いろいろせねばならん事が山積みなのだ」

「俺としても、キミになら安心して任せられるし」

「ふふふ、荷が重いと感じることはある」

「大丈夫さ! だってあんな怖い顔したアリフさんでさえ、キミにすべてを託したんだから!」

「良き臣あればこそ。だが、期待を裏切らぬよう精進するつもりだ。ミクライ……いや、凪早なぎはや晴矢はれやよ」

「ロコアを、よろしくね」


 晴矢は皇子アフマドとコツンと拳を合わせると、部屋の隅へと歩いて行く。

 その肩で、グスタフが「チッ」と舌打ちをした。

 杜乃榎の者は皆、グリサリとロコアを取り巻いて、祝福の言葉を述べている。

 彼らにしてみれば、あるべき姫が国へ戻ってきたのだ。


 しばらく皆で、その喜びを噛み締めているだろう。


「あなたにしては、なかなかの洞察力でしたわよ」


 クマのぬいぐるみを抱きしめたミュリエルが、晴矢にコツコツと近づいてくる。


「サンキュー。ねえ、俺は元の世界に戻るよ。ミュリエルさんなら、帰還ゲートを呼び出せるよね」


 ロコアのスマホを指し示す晴矢に、ミュリエルは驚いた顔をした。

 抱きしめるクマのぬいぐるみも、真っ直ぐな瞳で晴矢を見据えている。


「アナタ……ご自分でおっしゃっていることがよく分かっていて?」

「ん? ああ、たぶんね」


 ミュリエルは「フン」と鼻息をつくと、晴矢の手から奪い取るようにしてスマホを手にした。


「ベースポイントの使用は一度切り……今生の別れとなっても、あたくしを恨まないでくださるかしら?」

「大丈夫だよ。こう見えて、性格はさっぱりしてるんだ!」

「見たまま、ですわ。別に今すぐでなくてもよろしいのじゃありませんこと? この世界でもっとゆっくりしても……皆、歓迎してくれますわよ?」

「俺はロコアの従者アシスタントだからさ。この世界とロコアを、元通りに戻す手伝いをしたまでだよ。だからね、もうここから去らないと! それが異世界ウォーカーの果たすべき使命さ!」


 得意気に言い放つ晴矢に、ミュリエルは小さく溜め息を吐き出した。


 そして小声で何事か詠唱すると、白い光が現われる。

 スマホをその光にかざすと、すぐに白い光は渦となった────。


「ありがと。また会う時まで、ツケにしといてよ」

「覚えておきますわ。いいえ、絶対に忘れませんわ」

「じゃあな、晴矢」


 肩に止まっていたグスタフが、ロコアの方へと飛び去っていく。

 晴矢がビッと親指を立てると、ミュリエルは少しだけ寂しげな表情をしてみせた。


「アナタという従者アシスタントを得て、ロココちゃんは幸せ者ですわ」


 白い渦に消えた晴矢に、ポツリとミュリエルが呟いた。

 その後ろで、サンリッドとスクワイアーが恭しく頭を下げる。


 ミュリエルが手を横に払うと、白い光の渦は、音もなく掻き消えた────。




<最終章 魔人討伐大決戦 終>

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