【91】穢れた霊魂


「……どこまで行っても、何も無いんだけど?」


 いつの間にか、飛び出してきたはずの白い世界も見えなくなっていた。

 曇りひとつない灰色の世界で、上も下もわからない。

 右を向いても左を向いても、果てしなく続く灰色ばかり。


 そんな灰色の中で、フワフワとした感覚だけが、晴矢はれやを包み込んでいた。

 いつの間にか、背中のサンダードラゴンウイングは消えている。

 今は平泳ぎで泳いでいる状態だ。


 そして黄緑色の光は消え、あの霊魂状態の白い肌が真っ赤に染まっている。

 赤い肌に、ところどころ白い肌も残ってはいるが……。


「髪の毛の先っちょも、まだ白いや」


 なんてことを呑気に呟く。


「しかし、この硬いのは、何だ? 紅瞳玉石レッドアイアダマントみたいなんだけど……」


 赤い肌のところどころに、ルビーのようにキラキラとした硬い部分が、鱗のように浮き出ていた。


「……はあっ、困ったな……。とりあえず、霊魂状態が治らないのは、な~ぜなんだぜ~?」


 無理矢理にでもテンションを上げていなければ、このまま灰色の世界に飲み込まれてしまいそうだ。

 ガックリと首を項垂れたその時、頭上で渦巻く混沌が「フアアア~~~アァ……」とあくびのような声を上げた。


「なんだよ~。暇を持て余しちゃうぜ、って感じ?」


 思わず苦笑しながらも、一人じゃないことに安心感を覚えていた。

 そしてまた、なんとなく、前へ前へと進んでいく。



 ────そうして、どれほどの時間が経っただろうか?



「……お?」


 頭の中で、「ゴォ~~~ン」と響き渡る低い鐘の音が聞こえた気がした。


 キョロキョロと辺りを見回してみる。

 すると、かすかな光を感じる場所があった。


「……なんだ?」


 晴矢に分かろうはずもない。

 ともかく今は悩んでいても仕方がないと、光の見える方へと泳いでいった。


 徐々に近づいていくと、それは白い靄の塊のようだった。

 さほど大きくはない。


「手のひらサイズ、ってやつ?」


 言いながら、晴矢はその白い靄の塊を、そっと両手ですくい上げてみた。


 瞬間、辺りが真っ暗闇になり、頭上からサッと光が差し込んだ。

 そして鳴り響く、「ゴーンゴーン、カランカラン……」という教会の鐘のような音。


「お?」


 見上げると、白い雲から、幾筋もの光が差し込んでいた。

 暗闇の支配する空間に、晴矢の周囲だけが、スポットライトのように照らし出されている状態だ。


「我が使徒たる少年よ────」


 年老いた男のような声が、頭上の雲の間からジワッと響いてくる。

 荘厳な趣だが、どこか優しい響きに満ち溢れている。


「そなたの霊魂は、紅瞳玉石レッドアイアダマントけがされておる。汝をこのまま外界へ出すわけにも行くまいて────」


「……どういうこと?」

「まあ、そういうことじゃ────」

「答えになってないぜ……」


 肩をすくめる晴矢に、声の主が「フフフ」と笑った。


「元の世界に、戻りたいようじゃな────」

「そりゃまあ、当然でしょ。だって、魔人と戦ってる最中なんだ」

「ほう────?」


 老人の声が尋ね返してきた時、周囲の暗闇にフワフワと映像が浮かび上がってきた。


 どこかの、板の間のようだった。そこに、人が集まっている。

 その人の集まりの真ん中に、2つの身体が横たえられていた。


「……お、俺だ! その横は……竜になったグリサリさんか?」


 よく見れば、周りの人々は、見慣れた顔ぶれだった。


「アフマドさんにムサビさん! インディラさんとウズハもいる! マヨリンとルナリンの横の生首は……ゴラクモさんか!? サンリッドさんとスクワイアーさん、それにミュリエルさんも! 車椅子の人は……もしかしてアリフさん? ちゃんと十痣鬼とあざおにから解放されたのかな……? みんな、包帯だらけだけど、もう戦いは終わった、ってことか?」

「あの者たちは、そなたのことを大切に思っているようじゃ────」

「そ、そうなのかな……よく、わかんないけどさ……」


 頭を掻く晴矢の目に、ロコアの姿が飛び込んできた。

 晴矢の頭を膝に乗せ、優しくおでこを撫でている。


「おおお、ロコアの膝枕だ!……って、ロコア……泣いてる……?」


 晴矢の心の奥が、チクリと痛む。

 ジッと見つめるうち、やがて映像がゆっくりと遠のいていく。


「もうちょっと見せてくれてもよくない?」


 チラッと視線を上げる晴矢に、声の主がゆっくりと答えた。


「そうもいかぬ。そろそろ、少年の処遇を決めねばな────」

「そうなんだ?」

「今のままでは、少年は、このまま闇に飲まれるじゃろう────」

「マジで? ヤバイじゃん」

「よく聞き、よく考えよ。そして、どうするかは、少年が決めるが良いぞ────」


 老人の声がひとつ咳払いすると、頭上から差し込む光がゆっくりと弱まった。



「ひとつは、けがれた霊魂をこのまま闇に浄化すること────

  つまり、死という名の解放じゃ────


 もうひとつは、我らがアークに加わること────

  つまり、生という名の束縛じゃの────


 よ~くよ~く、考えるが良いぞ────」



「……その二つだけ? じゃあもう、答えは決まってるようなもんじゃん」


 そう言ったあとで、晴矢は首を傾げた。


「でもさ、アークって何?」

「ふふふふ……じっくり考え、答えを出すのじゃ────」

「あ~、教えてくれないってことね……」


 ボヤく晴矢の頭上で、混沌がまたあくびをした。

 周囲に、再び映像が浮かび上がる。

 竜の姿のまま、身動ぎをしないグリサリ。

 そして……。


「『……晴矢くん……絶対に、帰ってくるって言ったでしょ……』」


 つと、ロコアの声が聞こえた気がした。

 晴矢は、「ほうっ」と一つ息を吐き出した。


「そういえば、約束してたっけ……」


 クイッと視線を上げて、光射す方を仰ぎ見る。


「決意は変わらぬようじゃな────」

「うん、そうみたいだね。俺は────アークに加わるよ!」


 ビッと親指を立てて言い放つ。

 頭上から差し込む光が、緩やかにその頬を撫で上げた。


「良い判断じゃ……だが少年よ、アークに加わるには、ひとつ条件がある────」

「ええっ、なになに?」

「そなたがアークに加わるということは即ち、新しき法則が一つ生まれるということじゃ────」

「……は?」

「そなたにはすでにその資格がある。胸の内に秘めたる新しき法則を唱えるがよいぞ────」


「新しい法則? 俺の胸の内に?……そんなの、あったっけ?」


 突然の話に、晴矢は首を傾げるしか無かった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る