【43】皇アリフ


 ────和服姿の人混みでごった返す大通りを、カラカラと音を立てて牛車は進んでいく。


 日が暮れたというのに、皇都おうとのお祭り騒ぎは止む気配がない。

 あちらこちらで笑い声があがり、子供たちが元気よく駆けて行く。

 シトシトと降り注ぐ雨もなんのその、といった様子だ。


「桃源郷とは、まさにこの事。信じられぬ光景にござる」


 インディラの呟きに、雨巫女あめみこウズハが黙って頷いた。


 華やかな祭太鼓に笛の音。

 射的や金魚すくいの出店に子供たちが群がり、ゲームや賭け事に興じる大人の一団もあれば、さまざまなお面をつけて練り歩く若い衆もいる。

 皆、手に手に食べ物を持ち、貪るように食べている。

 大通りを横切る横道では、大道芸人たちが芸を披露し、拍手喝采も沸き起こっていた。


 どうやら杜乃榎とのえの民だけではないようだ。

 浅黒や褐色の肌に、異国情緒溢れる衣装を身に纏った人々も入り交じっていた。


 裏路地の店先には、前を大きくはだけた半裸の女たち。

 時折、「おにいさん、寄ってかない」だとか「いい夢見ましょう」だとか言いつつ、手をヒラヒラさせて誘ってくる。

 そのうちの1人、白い太ももに赤い十痣とあざを浮かせている者までいる。

 店の奥からは、甘ったるい芳香とともにあられもない嬌声も響いてくる。

 晴矢でさえ、思わず視線を逸らせてしまう痴態が垣間見えた。


「ほら、よく見て」

「……え!?」

「そっちじゃなくて、向こう」


 ロコアが指差す先、軒先の下からこちらの様子をジッと伺っている人相の悪い男がいた。

 着物の裾をまくり上げたその腕に、十痣が見て取れる。


「あちらに2人、こちらに3人……市中くまなく、十痣鬼とあざおにが配置されているようにござる」

鬼人きじんは、悪魔が号令をかければ、意のままに動くから……」

「魔人がその気になれば、いつでも俺たちに襲いかかれる、ってことか」

「我らに脅しを掛けているのでござるな……」

「うん、そうだと思う」


 牛車の4人の間に、緊張感が漂う。

 やがて、進行方向に立派な門構えが見えてくる。


「あれが杜乃榎とのえ皇都の宮中大社きゅうちゅうおおやしろにございます」


 雨巫女ウズハの呟くような、小さな声。

 牛車は、沸き返る人混みの中をゆっくりと、正門に向かって進んでいった────。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ────宮中大社にたどり着くと、4人はすぐさま大広間へと通された。


 大広間奥の上座中央に鎮座する皇アリフ。

 その左右からズラッと、各国の王侯貴族たちがご馳走を囲んでいる。


 モニタースクリーンで見たままの光景が、そこには広がっていた。

 4人が入ってきても、誰一人として気にする者は無い。

 皆、大声で語り合い、笑い合っている。


「(……あれ?)」


 大広間に入ってすぐ、晴矢はれやとロコアは、チラリと視線を交わした。

 暗殺者集団シャムダーナの、あの緑髪の仮面男の姿がそこに無かったからだ。


 ともあれ、異様な盛り上がりの大広間を、雨巫女あめみこウズハを先頭に、皇アリフの前まで進み出る。

 そのすぐ後ろにインディラが控え、晴矢とロコアは最後尾。

 雨巫女ウズハとインディラが揃って腰を落として頭を下げたのに習って、晴矢とロコアも片膝をついて腰を落とした。


 直に見る皇アリフは、思っていたより小柄に感じられた。


 その玉座を取り囲む、妖艶な笑みを浮かべた上半身裸の女たち。

 皆、丸くて大きな乳房を惜しげも無く見せびらかしている。

 しなやかな腰には、小さな下着に透け透けの布。

 皇アリフの肩や腕、太ももや腹に、唇や指先を這わせていた。


「ハッハッハッ、よう戻ったな雨巫女ウズハ、インディラよ。まあ一杯、やれ」


 皇アリフが手に持つ盃を2人に向ける。

 雨巫女ウズハは巫女服の両袖を合わせ、恭しく頭を下げた。


「古来よりの習わしに従い、『彌吼雷ミクライ召喚の……」

「よい、すでにサウドより聞いておる。今は宴の席であるぞ、楽にせい。……おい誰か、雨巫女ウズハとインディラに酒を!」


 上機嫌の様子で、皇アリフが手を叩く。

 すると奥からすぐさま、膳を持った侍女たちが現れた。

 晴矢とロコアの前にも、同じように配膳される。

 贅沢に盛られた大きな焼き魚と炙り肉。

 徳利と盃もついている。


「(う、美味そう……!)」


 ぐうう~~~~ぎゅるぎゅるるる~~~。


 ゴクリと生唾を飲み込んだ瞬間、晴矢のお腹が盛大な音を立てた。

 周囲の王侯貴族たちが、手を叩いて大笑いだ。


「フハハハ! 我慢せずともよい! 存分に口にするがよいぞ! 南方の海の幸に、西方が自慢のラム肉の炙りもの。酒は那良門ならかどの50年ものの古酒よ」

「すべては、雨巫女の加護があったればこそにござる」

「うん? それは違うぞ、インディラ。これらは全て、魔人の妖術によって作り出したモノ。そう、この場でな」


 そう言って、皇アリフが口の端を上げてニヤリと笑う。


「これが意味するもの、わかるか?」


 意地悪そうに言い放つと、目をギラギラと光らせたまま、グイと盃を煽った。


「雨巫女など無くとも、この世のぜいはすべて手に入る。豊穣の地さえもいらぬということだ! フワーッハッハッハッハァッ!」


 大広間中に響き渡るほどの高笑い。

 雨巫女ウズハはそっと視線を上げると、穏やかな口調で口を開いた。


「この世のぜいが溢れるは、もはやぜいで無し。怪しげな術をろうして手に入る物に、価値などございませぬ。ぜいを知るは即ち、生命の重みを知ることにございまする」

「ほほう、言いよるわ! 面白いではないか。では問おう! 人が欲するは、ぜいいなや?」

ぜいあらずとも、満ち足りることにございましょう」

「異議なし! さようであればこそ、この状況じゃ! 満ち足りる事こそが、人の望みよ!」

「真に満ち足りるは、ぜいの何たるやを知るに通ずるものなり。現況、伺いまするに、その道より外れておられるのでは、と思う次第にございまする」

「ほほう?」


 皇アリフが、ピクリと左の眉をあげた。


「我が愚息アフマドも、雨巫女ウズハと同じ事を申しておったな。フフフ、今頃、牢で深く反省しておろう……インディラよ、そちも同じ意見か?」

「御意に」

「フフフッ、まあよいわ」


 可笑しそうに笑うと、皇アリフは盃をグイッと煽った。

 盃が空になったそばから、脇に控える半裸の女が酒を注ぐ。

 盃に酒が注がれるのを満足気に眺めながら、皇アリフは言葉を紡ぎ出した。


「今宵、そちらを招き寄せたは『五方豊穣ごほうほうじょう平和協定』への参画さんかくを促すためである」

「五方豊穣平和協定……? それはどのようなものでございましょう?」

「天空城による雨巫女制を放棄し、魔人の妖術によって豊穣と平和を維持するという協定である。そのために、東方二大国の王と重臣、南方連合に西方諸国の王侯貴族諸侯をお招きいたしたのだ」


 皇アリフは誇らしげにそう言うと、両腕を広げて大広間に集う人々を指し示してみせた。

 各国の要人たちが、これに応えて盃を差し上げる。


「すでにここにおられる要人たちは了承済みである。魔人は敵にあらず。我らの手で制御できる無限の力なのだ!」

「魔人万歳! 過ちの歴史よ、さらば!」


 どこかの国の誰かの声に、一同から次々に賛同の声が上がる。

 皇アリフは満足そうに頷くと、雨巫女ウズハに視線を向けた。


「雨巫女ウズハよ、あとはそちが雨巫女の職を辞すれば協定は成立ぞ。さあ今すぐにでも神楽鈴を床に置き、この場でその雨巫女装束を脱ぐがよいぞ────」


 皇アリフの言葉に、周囲から下卑た笑いが巻き起こる。

 男たちの目が怪しく光り、雨巫女ウズハに視線が注がれた。


 雨巫女ウズハは屈辱にも畏まった姿勢を崩さず、蒼白な表情のままで身じろぎもしなかった。



「────お断り申し上げます」



 凛として言葉を発すると、雨巫女ウズハは皇アリフをそっと見据えた。

 大広間がザワリと大きくざわついた後、水を打ったようにしーんとなる。




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