【44】決裂
「……今、何と申した?」
「
「ほう……。そちが
「もとより、魔人との戦闘は不可避にございます」
「フンッ!
さも気に入らないとばかりに顔を歪めると、皇アリフは顎を上げて雨巫女ウズハを睨みつけた。
「先ほど、申し上げた通りにございます。額に汗無くして実り無し。労せず得られる
淡々として言葉を紡ぎ終えると、雨巫女ウズハは深々と頭を下げた。
大広間はシーンとしたまま、誰一人、身動ぎしない。
すべての人々の視線が雨巫女ウズハに集中し、歌も踊りも鳴り止んでいる。
ゆっくりと視線を上げた雨巫女ウズハは、毅然とした眼差しで、皇アリフを見据えた。
「雨巫女は、額に汗する人の道に、わずかな支えを成すための職にございます。充足を超えた、横暴なる
皇アリフの、盃を持つ手がプルプルと震える。
こめかみに太く青筋が浮き上がり、抑えきれないほどの怒りが沸き上がっているのが、誰の目にも明らかだった。
「インディラ、そちはどうだ? 雨巫女なぞ不要となった今、雨巫女を辞すればウズハは普通の女よ。なれば、ウズハはそちの思うがままぞ。フフフッ……朝となく夜となく、その白き珠肌を貪り尽くし、朱に染めるがよかろうぞ。花の時期は短きものよ。今、それを味わわずしてなんとする?」
「衆目集まるこの場で、卑しくも我れらが雨巫女にそのような無礼、我が皇の言葉とは思えませぬ!」
インディラは、我慢の限界に達したと言わんばかりに吐き出すように言葉を口にした。
「フンッ……いつまでそのような金魚の糞を演じているつもりだ? 真に勇なる男ならば、己の心に槍を持ち、自らの道を貫け!」
「雨巫女に従ずるは任、ウズハ殿に従ずるは信! 我が武士道に迷い無し! 我が皇よ、貴方様こそ何者の世迷い言に心乱されておられるか?」
インディラの言葉に、皇アリフが「ブン」と盃を投げつけ、「ダン」と足を踏み鳴らして立ち上がる。
悲鳴を上げて、その場から逃げ出していく半裸の女たち。
「
「無礼ではござらん!
「貴様……」
「お止め下さりませ、皇アリフ。インディラ、あなたも収めるのです」
「もう遅いわ!」
言うやいなや、皇アリフが脇差しを抜き放つ。
しんとしてこれに注目していた各国の要人たちも、インディラを憎々しげに睨みつけながら立ち上がる。
「協定は決裂だ────! 皇に
「おう!」
呼応する男たちが、ダンと床を踏み鳴らして剣を抜く。
「よいか、インディラ、ウズハ! 我が言いたき事は────」
刀を斜め後ろに構えつつ、皇アリフが声の限りに吠え叫ぶ。
「────雨巫女も天空城も、時代錯誤の糞食らえよ!」
目の前の配膳をバンと蹴り上げ、皇アリフがにじり寄る。
「雨巫女たる資格は人を選ぶが、魔人の妖術は人を選ばぬ! 人に上下を作らず、誰もが
再び、周りの男たちが「おう!」と吠える。
「民を守る王もいらず、大地を耕す農もいらず! 魔人の妖術こそ、人の世を平たく統べる最上にして唯一の法よ!」
「ですが、皇アリフ! 人の集団をまとむるに各々の役割と決め事は
「黙れ、ウズハ! 今ならそちは許して使わそう。その者から今すぐ離れよ!」
腰を落としたまま畏まるインディラの息が荒い。
今にも刀を抜き放ち、皇アリフに斬りかからんばかりの雰囲気だ。
「我は念ずる! 魔人がもたらす泰平の世を────!!」
大広間いっぱいに響く怒声に
「────でも、
シャリーンと鳴る錫杖と、凛として冷たい響きが、大広間の空気を変えた。
一瞬の静寂ののち、うろたえたような声が周囲から上がる。
ロコアを見据える皇アリフは、ふと、小さく首を傾げた。
目を細め、斜めから覗き見るようにして、ロコアを見据えている。
「……貴様、何者ぞ?」
油断なくロコアを睨めつけなが、ゆっくりと噛みしめるように言葉を紡ぎ出す。
「わたしは……ミクライの従者」
「ミクライの従者とな?……黒髪の、従者……」
「
「その夜映が許さぬ、とは何たる意味ぞ?」
「────魔人を倒さなければ、夜映が墜ちてくるの。この地上に」
一瞬にして、大広間に動揺が広がった。
各国要人は口々に「夜映が墜ちる?」「大きくなっているという噂はたしかにあれど」などと囁き合っている。
「世迷い言に騙されては成りませぬ!!」
その時、金切り声とともに、大広間の奥のふすまが開いた。
ドスドスと足音を立てて、宰相サウドが踏み込んできたのだ。
「我らが新しき世に、雨巫女も天空城も必要なし! 夜映が墜ちると言うならば、ミクライを縛り付ければよいのです!!」
細い目をいっぱいに見開いて、歯を剥き出しにして言い放つ。
「ミクライを縛り付けたら、なんで夜映は墜ちないのさ?」
思わず問いかける晴矢に、宰相サウドが地団駄を踏んだ。
「そなたの中に渦巻く浮遊力があれば可能であろう! それぐらいわからっしゃい!!」
「……へえ、俺の中に浮遊力があるって、よく知ってるね。なんでかな?」
「やはりすべては貴様の仕組んだ罠か!」
インディラが怒りに震えて刀を抜く!
その怒声に、宰相サウドの顔が怯えの色に染まった。
「魔人の目的は人の霊魂を集めること。できるだけたくさんの霊魂を。そのあとに、この世界が滅びようが彼らには関係ないわ。他に、異世界はまだまだあるもの。サウドさん、あなたは魔人に利用されているだけなのよ」
「なに……なにを……な、なん、な、なにを言うておる……」
宰相サウドが腰を抜かさんばかりに後ずさる。
「で、出会えええええ! 出会え出会え出会えええええいっ!!」
皆、黒に赤の紋様が入った仮面をつけ、忍者のような格好をしている。
緑髪の仮面男も混じっていた。
「シャムダーナか!」
同時に、部屋の端々からしゅわしゅわと白い煙が立ち上り始める。
「これは……『疑心の靄』!」
雨巫女ウズハもさっと立ち上がり、神楽鈴を手にする。
しかし時すでに遅く、魔人の霧に当てられた各国要人たちの目が、紫色の光を帯び始めていた。
中には赤い光を帯びている者もいる。
「狼藉者め、この場で討ち果たしてくれよう……」
低く唸るような声とともに、皇アリフの目が真っ赤に燃える。
「鬼人の目……やっぱり、アリフさんもすでに……」
4人は周囲を囲まれ、逃げ出す隙が無い。
「インディラ、各国要人を傷つけてはなりません! 杜乃榎の名を汚すばかりでしょう」
「もとより承知!」
「多勢に無勢、一旦、逃げましょう!」
「御意に! 拙者が道を切り拓きまする! 続かれよ!」
言うなり、インディラは皇アリフに向かって斬りかかった。
「でやああっ!!!」
「フンッ!」
ガキーンと音が響いて、2人の刃が交錯する。
インディラが振り下ろす刀を、皇アリフは軽々と受け止めていた。
ジリジリとした鍔迫り合いの中、2人の視線が火花を散らす!
「
「温故知新、祖を
「フンッ!
「クッ……!」
「ククククッ……であるから、魔人にそそのかされるのだ」
鍔迫り合う2人をゆっくりと、『疑心の靄』が包み込んでいく。
「インディラよ、己の心に素直になれ……!」
「ならぬ! 我が身を賭しても守るべき人道が有る!」
「では見せてみよ、貴様の信ずる礼とやらを!」
赤い目をギラつかせ、皇アリフがニヤリと笑った。
「うおおおおおおおっ!」
雄叫びをあげて、インディラが刀ごと皇アリフを押し返す!
皇アリフは段差に足を取られてバタンと倒れ伏した。
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