第53話 生死をわける一秒

 頭は冷静なのに、心が熱い。血潮が滾る。

 やってやる……。


「ふたりは御苑で武器を探してくれ。ぼくが接近してメタルの動きを止める」


 ああ、ダメだ。鋼鉄の感覚になっているはずの首筋が、またしても疼く。メタルを破壊しろと、頭の奥で騒いでいる。

 誰にもわからないだろう。数え切れないほどの死を見つめながら、あの七日間を生き抜いた人間でなければ、こんな感情は。

 だけど、ぼくと接続されたならわかるだろう? なあ、ネイキッド。

 だから一緒に行こう。最後まで。


『このバカッ、アンタ何言ってるかわかってんの!?』

『やめろイツキ! できるわけねえ!』

「――行くぞ、ネイキッドォ!」


 大量の排煙を撒き散らしてキャタピラを動かし、徐々にドレッドノート級が這い出してくる。

 同時にぼくはふたりの制止を振り切ってバーニアを全開まで噴かし、ちっぽけなタングステンナイフを手に、ネイキッドを最高速度でグライドさせた。

 追ってくる声は、もう聞こえなくなっていた。


 瓦礫を崩したドレッドノート級が、機関砲を二門、こちらに向けるのがわかった。

 一門であればシールドで押し切れるが、二門同時では、そうはいかない。それでもぼくは速度を落とさなかった。

 九年前のあの日、ぼくはその瞬間を見ていたから。早見士郎とキャスケットを見ていたから。それが不可能なことではないと信じられる。

 まだ希望に、すがっていられる。


 行け、行け、行けェーーーーーーーーーーーーっ!

 二方向から連射される鉛弾。ゆっくり、ゆっくりと迫る。ネイキッドの最高速度はさらに遅く、けれどもぼくの意識だけは高速で動いて周囲のすべてを知覚する。

 まるでスローモーションのように。


 生死をわける一秒。

 無数の鉛弾が眼前に迫ったとき、ぼくは強化された視界をフルに扱い、最初の一発目をかろうじて屈んで躱した。ネイキッドの頭部を掠めて通過したのを確かめることもせず、次々と迫る鉛弾の射線を身をよじって回避し、バーニアにまかせて直進する。


 お・そ・い!

 自分の思考以外のすべてが遅い。

 緩慢な動作でネイキッドは二門目からの鉛弾を肩を掠めさせるようにして躱し、射線下を滑るように最高速度を保ったままドレッドノート級へと向かってグライドする。

 機関砲の方向転換など間に合うはずもない。


 その程度かッ、鉄屑めッ!

 すべての弾丸を回避した瞬間――、


「~~っ!」


 世界の速度が戻る。


「――がぁっ!?」


 同時に凄まじい頭痛に見舞われて視界が歪んだけれど、もうネイキッドの特攻を遮るものは何もない。

 痛みなら精神力で乗り切れる! 目を開けろ!


「うおおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーッ!!」


 暴れまわるドレッドノート級の懐へと入り込み、タングステンナイフを、装甲を剥がされて剥き出しとなっていた右側前部のキャタピラへと突き刺し、一気に振り抜いた。

 金属が砕け散る音がしてキャラピラが剥がれ、やつの脚が滑って空転する。


『……なんだ、そりゃ……』


 マサトの声。

 ツキノさんに至っては、息を呑んだだけで言葉もない。

 ぼくは我に返って己のしたことを思い返す。機関砲二門からの攻撃を正面から受けながら直進し、そのすべてを回避した。まるで九年前に見た早見士郎のように。

 高揚する! 力が溢れてくる! 負ける気がしない!


「どうだぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」


 なおも暴れまわる別のキャタピラへとタングステンナイフを突き刺し、破壊する。その後方に位置するキャタピラも。

 けれどこんなもの、本当は虚しい時間稼ぎだ。ドレッドノート級はあまりにも巨大すぎる。キャタピラの数など把握しきれないほど存在する。

 メタルは左側のキャタピラをフル回転させてわずかに回頭し、至近距離から二門同時に機関砲をネイキッドへと向けた。


「しまっ――」


 あるいは、マサトが命懸けで倒してくれたビルの重みがなければ、ぼくは死んでいたかもしれない。天川月乃やリサが、ドレッドノート級の大半の攻撃手段を壊してくれていなかったら、やはり死んでいたかもしれない。

 いくらスローに見えても、この距離では物理的に回避はできないはずだった。

 けれど、みんなのおかげで偶然は重り、必然となった。


 ドレッドノート級の動きは鈍かったんだ。少なくとも、真っ黒な鉄塊を両腕で抱えてこの場に滑り込んできた空色の装甲人型兵器ランド・グライドベルベットよりも。


『……んうっ!』


 ベルベットは真っ黒な物体を無造作に四つめのビルの根本へと投げつけてから、体当たりでもするようにネイキッドを両腕部で抱え込み、最大までバーニアを噴かしてその場から離脱する。

 かつてリア・アバカロフが、幼いぼくを抱えて戦地から逃げ切った日のように。

 一瞬遅れでぼくらを機関砲の鉛弾が追ってきたけれど、ビルの重みに回頭しきれず、砲門は沈黙した。


「リサ!?」

『……ん』


 直後、四つめのビルの直下で、巨大な爆発が起こった。


「うがっ!?」


 あまりに近すぎる位置での閃光と轟音と震動に視界は眩み、ぼくの脳がネイキッドとの感覚器官のリンクを一瞬だけ遮断した。

 意識が暗黒に覆われる。

 だからぼくには、何が起こったのか理解できなかった。


 数秒後にカメラアイが復活して映し出された視界には、唖然として立ち尽くすタランテラとレギンレイヴが映っていた。

 ぼくの命を救ったリサは、こともなく、やはりいつもと同じ調子で呟いた。


『メタルの不発弾、見つけた』


 ベルベットはネイキッドをタランテラやレギンレイヴの側まで運ぶと、ゆっくりと両腕の拘束を解いた。

 ぼくが振り返ってみんなと見たものは、十字路に立っていた四つめの高層ビルがドレッドノート級のメタルを押し潰しながら砕け落ちてゆく瞬間だった。


「ふ、不発弾を運んできて投げたの?」

『ん!』


 いつもより若干誇らしげに、リサが答えた。

 ムチャをする……。途中で爆発したらどうするんだ……。

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