第43話 メタル出現
ぼくらは波間に棒立ちだったリサへと海水をかけ始めた。
「ぎゃっははははは!」
マサトが大声で笑いながら両手ですくってはかけ、すくってはかけ。天川月乃に至っては、サッカーボールでも蹴るかのように足で水飛沫を上げまくっている。
「……」
けれど当のリサは、びしょ濡れになってもやはりぼーっと突っ立っているだけで無表情だ。
バッシャ、バッシャ!
容赦なくリサに海水をかけてゆく。
「……」
どれだけ濡れても、やはり平然とした表情で突っ立ったままの体勢さえ崩さないリサ。
何か……こう……暖簾に腕押しという感じが……。
バッシャ、バッシャ!
「……」
あと、ものすごい罪悪感のようなものが……。
自然とぼくらの動きは緩慢になり、やがて動きを止めた。
海水でわかりづらかったけど、リサは小刻みに震えてちょっと泣いていた。食堂のときと同じで、やはり無表情なまま静かに涙だけポロポロと。
リサがぽつりと呟く。
「……しおからい……おいしくない……」
「海水飲んでたの!?」
脱力して、海水にぺたんと腰を落とすぼくとマサト。
リサの涙のスイッチは、本当にわからない。まるでぼくらとは別の生物のようだ。
けれど天川月乃だけはリサに歩み寄って、一回り近く小さなリサを突然抱きしめた。愛おしげに細いカラダを抱きしめて、耳もとに唇を寄せる。
水はまだ冷たいけれど、太陽は暖かく、潮風は優しく、波音は静かに。
その波音にさえかき消されそうなほど小さな声で、しかし天川月乃は確かに囁いた。
「……ごめんね、リカ。……あなたを救えなかったわたしを……ゆるしてください……」
深い水底から空気を求めて喘ぐように、切なげに眉を寄せ、静かに――。
きっとぼくらに聞かせるために言ったわけじゃない。リサにだけ聞かせるつもりで囁いていたんだと思う。まるで懺悔のような言葉を。
これって、水をかけて泣かせたからじゃ……ないよな……。
「……ごめんなさい……」
ぎゅっと強く、さらに強くリサの小さなカラダを抱きしめて。
苦しげに囁いたその言葉が聞こえなかったのか、マサトは先に立って服を絞りながら、海岸へと歩き出す。
リサではなく、リカ。本当に単なる言い間違いか――?
何かが引っかかる。九年前のあの日、ぼくを救ってくれたのはリア・アバカロフだ。その人、つまり九年前のその日に亡くなったリアを、ぼくより一歳しか違わない天川月乃が知っているはずがない。
目の前にいるリサ・アバカロフが
ではなぜ今、天川月乃はリサを「救えなかった」なんて言ったんだ?
早見士郎も同じく、リアを「救えなかった」と言った。
天川月乃が救えなかったのは本当にリサか? 単なる名前のおぼえ間違い? それとも、リカという三人目のアバカロフ?
……クローン……。
突拍子もないことを思い浮かべてしまって、ぼくは頭を強く左右に振った。
だけど、九年前から代々ベルベットを乗り継ぎ、最新鋭にまで強化し続けてきた人物は誰だ……? 亡くなったリアではない。今年から参戦したリサでもない。
……三人目のアバカロフ。リカ・アバカロフも実在していた……?
「どしたの?」
もう平然とした顔で、天川月乃がぼくに尋ねてきた。
「あ、いや。……あの、ツキノさん――」
それは、思い切ってリカが誰なのかを訊いてみようと思った瞬間だった。
突如、自然のものではない音が大音量で鳴り響いた。海岸のマサト、海中のぼく、リサを抱きしめたままの天川月乃が同時に音源へと視線を向けた。
「これって……
太陽の光を受けて、黄金に輝く天川月乃の機体タランテラから、けたたましく鳴り響いている。
何事かと尋ねるよりも早く、天川月乃が水飛沫を上げてタランテラへと向かって走り出した。
「リサ、ベルベットの実弾装填状況はッ?」
「四十五パーセント。一戦なら大丈夫」
天川月乃の後を追って、リサが走り出す。
今、間違いなく天川月乃はリサのことをリカではなく、リサと呼んだ。やはり天川月乃は、リサ・アバカロフという人物を認識しながら、リカと呼んでいたということか。
なら、リカ・アバカロフは実在したということになる。けれど、リアと同じように
いや、今はそんなことを考えていられる状況じゃなさそうだ。
「ツキノさん! どうしたんですか!?」
ぼくが声をかけると、天川月乃はタランテラの腕に飛び乗ってコクピットを開けながら、振り向いた。
先ほどまでとは別人のような険しい表情に、息を呑む。
「メタルが出現した! 高桜一樹、多岐将人はそのまま帝高に戻って学内の指示に従え! ――リサ、やれるわね?」
「ん。問題ない」
リサが空色の機体ベルベットの腕を走り、コクピットの中へと飛び込む。
直後、二機の
「メタルが出現しただって……?」
ざわ、ざわ、血管を突き破りそうなほどに血潮が騒ぐ。心臓がバカみたいに跳ね上がり、自分の額に血管が浮かぶのと同時に、どす黒い感情が鎌首をもたげるのを感じた。
ようやく、だ。
「行こう、マサト」
「ああ」
ぼくとマサトは目を見合わせてうなずき合い、ネイキッドとレギンレイヴに搭乗する。
早いか遅いかの違いだ。帝高に在席している以上、戦闘を避けては通れない。それに、戦場にはすでに帝高、帝西の二年生や三年生、それに帝大生たちも向かっているはずだ。見るだけでも勉強になる。
いや、そんなことじゃない。ぼくは思い出したんだ。
九年前のあの時に抱いた、仄暗い感情を。あのときから劣化することなく、今も胸中で渦巻き続けている激しい憎悪を。
やつらはまた、性懲りもなく人を殺しに出てきやがった。
いいだろう、いくらでも出てこい。貴様らを、一機残らず殲滅してやる……!
「マサト、……わかってるな? 行き先は帝高じゃない」
『ああ! ハンドガンとナイフだけじゃあ、ちっとばかし不安だけどな! サポートに徹してでも見ておくべきだ!』
さすがだ。この先三年間を生き残るつもりなら、この程度の逆境は当然のように跳ね返せなきゃならない。ここで戦場に背を向けるようなやつは、生き残れない。
マサトは持っている。温泉でツキノさんが言っていた、未来に強固な希望や目的、というやつを。
こいつは多岐財閥を潰すまで、恐怖に打ち勝ちながら戦い続けるだろう。
『イツキ、戦地に着くまでにバックグライドをマスターするぜ。ついてこいよ!』
「了解。ぼくもメタルに向かってカミカゼはご免だ。イグニッション・スタート」
『笑えねーし効果もなさそーだ。イグニッション・スタート』
ネイキッドとレギンレイヴが、同時に海岸線をグライドし始める。
「座標は? ネイキッドにはメタルの情報は送られてきてない」
当然か、新入生の機体に……しかも学内にないものに情報など送られるはずもない。
『こっちもだ。けど、お姫さんとツキノさんの位置は把握できてる。チームってのは存外に便利だな』
乾いた唇をナメとって、ぼくはネイキッドの前傾姿勢を強めに取った。
「……ハ……、ハハハ……」
『イツキ?』
「……何でもない」
憎悪に駆られて醜く歪んだ笑みを、誰にも見られずに済む。
「行くぞ! ネイキッド、リミッター・オフ!」
『レギンレイヴ、リミッター・オフ!』
ぼくらは先攻する二機を追って崩れかけの首都高へと飛び乗り、荒れた高速道路でグライドを開始した。
――こうしてぼくらは、地獄の戦場へと
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