第五章 Run

第38話 クイーンビー

 男子寮に戻ると、なぜかぼくの部屋の前に人だかりができていた。それも数人なんかじゃなくて、食堂に行っていなかった新入生男子が、特進も普通も特殊もなく、ほぼ全員が集まってしまっているかのような、そんな規模で。

 マサトが訝しげに尋ねてきた。


「……おまえ、何かしたのか?」

「知らないよ」

「イツキ、何かさっきから不機嫌になってねー? どうかしたか?」


 そんなつもりはなかったけど、どうやらそうらしい。リサの言葉が耳について離れない。

 あの言葉を彼女が口にするまで、ぼくはリアとリサを明確に分けていなかった。それがどれだけ失礼なことだったかを考えると、自分に対して腹が立つ。

 でも、それをマサトにぶつけるのは筋違いだ。


「なんでもないって。それよりホントになんだコレ? 自分の部屋に戻れないぞ」


 まるで祭りで御輿みこしを担ぐかのように、ぼくの部屋のドアを中心にして半円形に男子生徒がひしめき合っている。


「ごめん、ちょっと通して」

「イテ、足踏むなよっ」


 むさ苦しい肉の壁にムリヤリ分け入って半分まで進んだところで、ぼくは聞き慣れた声を聞いてしまった。


「おーい、イーツーキーくーん! まだ戻ってなーいのー?」


 女の声。それも、こんな集団に囲まれてもまるで動じた様子もなく。次いでドアを拳でゴンゴン叩く音が響いてきた。


「はーやーくしないとセンセーに見つかっちゃうじゃーん! あーけーてーよー!」


 ちなみに、男子寮は女人禁制だ。その逆もだが。


「大丈夫っす! 先輩のことはおれたちが守るっす! 先生が来たら自分たちが壁になりますんで、窓から逃げちゃってください! あ、自分は柏木と――」

「あ~い、りょーかいりょーかい。スケープゴートよろしくねっ。新入生くん」


 どっと湧くバカ集団。「美しい」だの「可憐だ」だの「好きだ」とか、どさくさに紛れて告白までしてるやつもいる。

 新興宗教のようで、若干気持ち悪い。


「いや、自分の名前は柏――」

「何よー、まだ帰ってないのー? いつまでメシ食ってんのよー! 男ならガツっと食べてズバッと戻ってきたらいいのにね?」

「ですよね! あ、自分は柏――」

「あーもう! ほんとにいないの!? どうしよ」


 ドアを蹴り出す声の主。しかも、わりと重い音がしている。なかなかの足癖だ。木曜深夜の出来事を思い出して、側頭部が痛くなってくる。


「……出直すのめんどくさいから、みんなもうちょっとだけ匿ってもらってもいい? もうすぐ戻ると思うのよ。あ、そこから動かないでね?」

「了解しました! 先輩! よろしければ先輩のお名前――」

「はい、そこ隙間開けないで。センセーが来たら見えちゃうでしょ?」


 うむ……。

 後ろ姿しか見えないけど、あの見事なボディラインとあの他人の話の聞かなさ具合は間違いなさそうだ。

 ぼくは人混みの中で回れ右を――しようとしたところを、天川月乃と目が合ってしまった。片方の口角だけを持ち上げて、ニヤっと笑う天川月乃と、ニヘラと悲しい愛想笑いを浮かべてしまった自分。


「捕まえてーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! そいつが高桜一樹よ!」

「ンなぁーーーーーーーーーーーーーっ!?」


 バカなぼくは、とっさに逃げだそうとしてしまった。

 そのまま平然と静かに去ればよかったのに、激しく動揺してしまって、人混みを掻き分けて走――ろうとして、天川月乃によって調教された汗臭い肉の壁に挟まれ、あっさりと捕まってしまった。

 時代劇なんかでよく見る、お奉行様の前に連れて行かれる罪人のように引っ立てられて、天川月乃の前になぜか正座をさせられる自分。


「やいやいやい、神妙にしろい! 高桜、てめーこの先輩に何をしやがったんだっ!」


 なぜか大張り切りの柏木くん。見たことなかったから、たぶん普通科か特進だろう。天川月乃よりぼくのほうが名前を先におぼえたよ。ごめんな。

 しかし、何がどうなってこうなったのか。混乱は深まる一方だ。


 豊満と言っても差し支えのない胸で両腕を組んだ天川月乃が、仁王立ちでぼくの眼前に迫った。自然、スカートの前がぼくの鼻先に近づけられる。

 このポーズは大浴場以来だ。周囲を取り囲む男子生徒が、心なしかうらやましそうな視線を向けてきている気がするが、実際に裸でやられてみろ。百年の恋も冷める……か、妙な性癖があれば発情するだろう。


「えへん。というわけであらためまして。やっほ、ツッキー」

「……あ、はい、やっほー……ツキノさん。……何ですか、そのツッキーって……」

「イツキだから」

「ああ、いちおう名前はおぼえてくれていたんですね」


 拳がゴツっと落とされた。

 加減をしたのか痛くはなかったけれど、情けなさで涙が出てきそうだ。


「ババアじゃないんだから名前くらいおぼえるわよ!」

「はぁ……。でも、できれば名前で呼んでくださいよ……」


 我ながら対照的なテンション。

 周囲のざわめきと嫉妬の言葉がすごい。どうやらこの天川月乃という生物からは、雄を無尽蔵に惹き寄せるフェロモンが大量分泌されているようだ。

 なぜか、ぼくには効かないのだが。


 ひそひそと「どういう関係?」「入学数日で手ぇ早すぎね?」「あれ上級生だろ」「なんであんなパッとしないやつに」「アバカロフだけじゃねーのかよクソ」などなど、まぁ~色々と聞こえてくること。

 明日からは夜道を歩く際にも気をつけなければならない。入学して間もないというのに、クラスだけじゃなく、学園内でもどんどん孤立してゆく自分に、もう泣きそうだ。


「じゃ、ドア開けて」

「えっ? 何で?」

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