第36話 カレーうどん食べます

 えっ、えー……。箸が使えないくらいでそんな……。


「な、何も泣くことないだろっ!?」

「……泣く?」


 リサが首を傾げた瞬間、赤い瞳から落ちた涙がリサの手の甲をぬらした。リサは不思議そうにそれを眺めて、ごしごしと目をこする。


「わたし、泣いてる?」

「う、うん」


 どうしたらいいんだ、これ……。


「泣いてる。わたし泣いてる。お腹空いたから?」

「ぼくに訊かれても知らないよ……。たぶんお箸が使えなかったからじゃない……?」


 マサトがカツ丼を貪りながら、さも当然のように言った。


「あ~ん、してやれば~?」

「はあ!? 学校だぞ、ここ。しかも小さな子や恋人関係でもあるまいし、そんなこと……」

「おれがしてやろーか、お姫さん?」

「……?」


 何のことかわからないのか、リサがまた首を傾げた。


「ほら、口開けな」


 マサトがカレーうどんに箸を伸ばした瞬間、ぼくはとっさに自分の箸で受け止めていた。


「あん?」

「ぼくがやろう」


 みっともない嫉妬全開の独占欲丸出しだ……。本人の前なのに……。

 マサトがニヤっと笑った。


「最初っからそう言っとけよ」


 ここでようやく、ぼくはマサトの計略に乗せられたことを悟った。腹黒キューピッドはもう平然とした顔でカツ丼をかきこんでいる。

 仕方なく、仕方なくだぞ。

 ぼくはマサトの隣からリサの隣へと移動して、フォークとお箸の二刀流でどうにかうどんを食べようと苦戦しているリサに話しかけた。


「リサ、口開けて」

「……?」


 素直にパカっと口を開くリサ。警戒心らしきものがまるで見られない。こんなことじゃ藤堂あたりにサクっと騙されやしないだろうか。

 あめ玉あげるから……とか言われて。


 ぼーっと彼女を見ているうちに、何だか急に照れくさくなった。見れば見るほど、リア・アバカロフとうり二つだ。クセのない白い髪も、透き通る赤い瞳も、整った顔も。あの日、ぼくを胸に抱いて走ってくれた身体も。


「じゃ、じゃあ食べさせるよ」

「ん。ばっちこい」

「う、うん。……どこでおぼえたんだ、そんな言葉……」

「ツキノ」


 ですよねー……。

 ぼくは大きな咳払いをしてカレーうどんにお箸を突っ込み、数本うどんをつかんでリサの口へと運ぶ。

 もぐもぐとリサが口を動かした。その表情がわずかに険しく変化した。真っ白な額から、ジワッと汗が滲み、赤みが差してゆく。

 おいしいんだろうか。それとも、もしかして照れてくれてるんだろうか。


「イツキ」

「ん?」

「熱かった」


 うわっ、また泣いたぞ! 何か小刻みに震えてるし!


「ご、ごめん!」

「もうさ、ふーふーまでしてやればぁ?」


 マサトの投げやりな意見に、ただでさえ上昇気味だった血流が一気に体内を駆け上がった。


「お、おまえなあ――」


 振り返って言葉を呑んだ。何だか食堂中の生徒から注目されている。ぼくが視線を向けるとあわてて会話を再開、視線を戻すと再び沈黙してこちらを横目で盗み見て。

 昨日も食堂で問題を起こしたところだし、ましてやリサの特異な容姿は、良くも悪くも人目を惹く。考えてみれば何も不思議なことじゃないんだ。

 クスクス、笑い声が至るところから聞こえてくるが、マサトもリサも一向に気にした様子はない。


「ほら、リサ」


 うどんをすくい上げて少し冷まし、リサの口へと運ぶ。今度は口に入れても顔を赤くすることもなく、もぐもぐと口を動かした。

 そんな様子を見てか、やはりクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 ぼくがこの笑いに対して、入学式の教室での一件ほど腹が立たないのは、リサ自身をバカにしたような笑いじゃないからだ。


「イツキ」

「今度は何?」

「口の中、ぴりぴりする」

「カレーだからね」


 香辛料を知らないのだろうか。ロシアにはカレーなんてないのかな。


「嫌い?」

「ん。体細胞が活性化。新陳代謝上昇による発汗作用、自浄作用、体温上昇による血流作用、それに――」


 カツ丼を食べ終わったマサトが、栄養補助の野菜ジュースをぶほっと噴き出した。


「お姫さんよぉ、こういう場合は好きか嫌いで答えりゃいいんだって」


 リサがマサトを見つめて、目をパチパチさせた。


「いや、だからよ、口ん中や舌が食ってて幸せかどうかで答えりゃいいってことな?」

「それはヘン。幸せという言語は該当しない。だけど類似している。つまりわたしは、カレーうどんが好き?」


 マサトとぼくが同時に苦笑いを浮かべた。

 まわりくどい。


「好き、でいいんだよ、リサ」

「じゃあ、好き」


 衆人環視の中、ぼくはリサの口にうどんを運んでやる。リサは照れることもなく、時折ぼくに視線を向けながらうどんを食し、残ったスープは自分で丼を持って飲み干した。


「ごちそーさま」


 口の周りや制服は、もうカレーの水玉模様だ。また制服の袖で拭こうとしたので、ぼくはあわててハンカチを取り出して、口の周りを拭ってやった。

 温かいカレーを食べ終えた直後だろうか、リサの真っ白な肌には、わずかな赤みが差している。それに、心なしかいつもより表情が柔らかい気がする。微笑んだりはしていないけれど。


「はい、次からは自分でハンカチ持ってくること」


 何だか子供に教えているみたいで、ヘンな気分だ。


「……? ハンカチ、持ってる」


 さも当然のようにポケットからハンカチを取り出すリサ。


「何で袖で拭いてたんだよっ!?」

「合理的判断」


 絶対おかしいよっ!?

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