第34話 花嵐

 翌朝――。

 本日、土曜日は授業がない。助かった、などと心から思ってしまう。


「痛……てぇ……」


 身体中が軋んでいる。筋肉痛だ。肉の身体を使ったわけじゃないのに、鋼鉄の肉体を自分のものと勘違いをしたぼくの脳は、一所懸命に乳酸を筋肉組織に送り込んでしまったらしい。

 筋肉痛ごときでこの有様では、戦闘でネイキッドの腕がぶっ飛んでいたとしたら、もう二度と自分の腕が動かなくなったって不思議じゃない。超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドはつくづくよくできた技術だ。


 だけど前世紀のテレビアニメのロボットのように、操縦なんてしていては機械生命体であるメタルにはとても敵わない。特に反応速度面では絶望的だ。戦うには肉の身体を捨てて、鋼の肉体を手に入れる必要がある。

 ベッドにうつ伏せになりながら両腕を立て、かろうじて起き上がる。洗顔を済ませて私服に着替えると、ドアが遠慮のないノックで揺れた。

 マサトだ。

 ドアがガタガタ揺れるくらいの力で叩くからすぐにわかる。朝食のお誘いだろう。

 ぼくはギクシャク歩きながらドアを開けて、片手を挙げた。


「……おはよう」

「おう! メシ行こうぜ!」


 マサトはいつもと変わらず、爽やかに笑っている。


「おまえ、平気なの?」

「あにが?」


 説明が面倒くさくて、軽くローキックを入れてみた。


「――ッ!? くおぉぉぉ……」


 マサトが顔面をヒドく歪ませて、ドアの横の壁に片手をついた。猿でも出来る、反省のポーズだ。


「……だよな」

「……はい」


 廊下に出ると、驚くほど新入生の数が少なかった。もちろん戦闘でヤラれて減ったわけじゃない。幸いというべきか、ぼくらにはまだ、メタルと戦った経験はない。おそらく授業による筋肉痛で動けないだけだ。

 特進も、特殊も、普通科も。

 オモチャの兵隊のように、ふたり並んでギクシャク歩く。


「リサは?」

「先行ってるって」


 一瞬、藤堂正宗の顔が頭にチラついた。


「……また絡まれてないだろうな」


 こんな有様じゃ、助けに入れるかどうかだって微妙だ。

 そういえばあいつ、リサのどこに惹かれたんだろう。リサは顔はとても綺麗だけれど、白髪赤眼のアルビノだ。

 入学式の日の、教室での他の人たちの反応を見ている限り、よほどの物好きじゃなければ異性としては手を出さないように思える。ぼくは幼少期からずっとリア・アバカロフに憧れていたから、綺麗に見えるけれど。


 ふと思う。

 ぼくはリサがリアの生き写しだから、惹かれているのだろうか。だとしたら、それはあの姉妹にとって、とても失礼なことなんじゃないだろうか。

 そんなことを考えながら食堂校舎に入った瞬間、目の前が真っ暗になった。


「……また絡まれてる……」

「いーんじゃねーの、あれなら。先週は助けてもらったしよ」


 いや、あれはダメだ。もしかしたら藤堂以上に厄介かもしれない。

 マサトは知る由もないが、天川月乃はある意味じゃ藤堂よりややこしいんだ。

 何を話しているのかは不明だが、食券の券売機の横に立っているリサの耳に唇を寄せて、天川月乃が何かを囁いていた。リサは数秒おきに、コク、コクとうなずいている。子供のように素直な表情で。


 天川月乃がぼくの姿を見つけて、唇の端をねじ曲げながらリサにさらに耳打ちをする。リサの真っ赤な視線がこっちを向いた。

 ……イヤな予感しかしない。まさかとは思うが木曜深夜の大浴場での出来事を話しているんじゃないだろうな……。


「あ、天川先輩っ! な、な何してるんですかこんなところでっ!?」


 リサへの耳打ちをやめた天川月乃が、額に血管を浮かせて微笑みを浮かべた。


「やあ、新入生くん。キミの辞書には記憶力という言葉はないのかなぁぁ?」


 わけがわからず、ぼくは戸惑う。

 リサは無表情のまま、ぼくと天川月乃を交互に見ている。マサトは興味深そうな表情で、やはりぼくと天川月乃の間で視線を行き来させていた。


「なに? もう知り合いになったのか?」

「あ、い、いや、そ、そそんなわけないだろっ」


 言えん……。

 天川月乃が切なそうな表情で片手を胸に当て、視線を逸らす。


「木曜の夜はあんなに激しくあたしの足をつかんで押し倒したくせに、ヒドいよ……」


 全身の毛穴が開いて、病的なほどの汗が一斉に噴き出した。マサトがあんぐりと口を開けて、リサは無表情のまま首をクイっと傾げた。


「なっ……!? ご、誤解だ! あれは先輩が丸出し――く!」


 い、言えん……!

 周囲の雑音が遠のいた……と思ったけれど、どうやら単純に周囲も会話をやめて、天川月乃とぼくのやりとりを盗み聞きしているようで。


「パイセン禁止。ツキノ」


 天川月乃が自らを指さして呟く。


「や、だってこんな、みんながいるところで先輩の――」

「ツキノ」


 やはり話を聞かない。同じ言葉をもう一度天川月乃が繰り返した。

 この人、会話のキャッチボールどころか、もはや投げっぱなしジャーマンだ。一方的にぼくに投げてぶつけて、痛がるのを楽しんでいるとしか思えない。


「ツキノさんでいいの? おれは多岐将人。イツキのチームメイトです。マサトって呼んでください。よろしくっす」


 愕然としているぼくの横から、マサトがニィっと笑って右手を差し出した。天川月乃は躊躇う素振りすら見せず、同じくニィっと笑ってその手をつかみ返した。


「いいよー。新入生くん」

「いや、あの……マサトっす。……今名乗りましたよね、おれ?」


 ガン無視。

 もう天川月乃はマサトの方を見ていない。マサトはぽか~んと口を開けた後、苦笑いを浮かべた。

 天川月乃がリサにまた耳打ちをして、リサは素直にコクっとうなずく。


「じゃ、また後でね! 新入生くんたち」

「あ、はい……」


 ん? また後で? 今日は木曜じゃないぞ。木曜だとしても行かないけど。

 天川月乃がピョンと跳ねて、窓枠に飛び乗った。

 別段今日は入口まで人がひしめき合っているわけではなく、入口が閉ざされているわけでもないのに。

 もしかしてあの人、普段から窓を出入り口にしてるんじゃないだろうか。確かに近道だけれど、野良猫じゃないんだから。


「あ、そーだ」


 首を少し斜めに曲げて、ぼくに向かって明るく吐き捨てる。


「次また天川先輩って呼んだら、ちょん切るぞ?」

「えっ? な、なにを――」


 ご丁寧に、ピースサインをチョキチョキさせながら。

 天川月乃の視線の先。自分の下半身おぽこぽこが薄ら寒い。


「うぇっへっへ、ナニかなぁ~?」


 やっぱり……。

 ぼくが言葉を発するよりも早く、天川月乃は窓から食堂校舎の外へと飛び降りた。そのまま立ち止まりもせず、黒髪をなびかせながら植え込みを驚異的なジャンプ力で飛び越え、あっという間に姿を消した。

 マサトが呆然と呟く。


「……可憐だ……」

「えっ!?」


 まぁ、人の好みはそれぞれだろう。しかし、まさかあそこまで異常な人だとは、ぼくだって大浴場での一件がなかったら思いもしなかった。

 それにしてももったいない。顔もプロポーションもおよそ見た目は完璧だというのに、残念ながら行動と言動が跳ねすぎている。話も通じないし。

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