第四章 Archive

第32話 仮想敵

 早見先生の機体、暗黒色のキャスケットの高速グライドを追って、機体をグライドさせる。

 前方から後方へと高速で景色が流れてゆく。

 崩れかけのビルを回避しながら、ハンドガンから模擬弾を射出しようと構えた瞬間、首都高に放置されたままの廃車につまずいて体勢を崩し、すぐに立て直す。


 だめか!

 その一瞬で、黒の機影は遙か遠く。


 ハンドガンを下ろしてバーニアを噴かすも、キャスケットは強化されたぼくの視界の中を左右に揺れて、突然首都高から飛び降りた。そのまま破棄された小型のアミューズメントパークの裏手へと姿を消す。


『イツキ、無駄弾は使うな。今は追い込むことに専念しろ』


 マサトの声が脳内に響いた。装甲人型兵器ランド・グライドに標準搭載されている、超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドを介した無線機能だ。


「けどマサト。先生が反転して反撃されたら、ぼくなんて秒殺されるよ?」

『大丈夫だ。おれを信じろ。お姫さんがこっちのチームにいる限り、彼女の位置を先生が捕捉するまでは迂闊に反撃してきたりはしねえはずだ。お姫さんの射撃能力は一発必中。どこから狙われてるかわかったもんじゃないからな』


 なるほど、リサの位置を把握するまでは、キャスケットを一定位置に留められないというわけか。


 マサトの機体、エメラルドグリーンのレギンレイヴがアミューズメントパーク横の崩れた文化会館から、グライドで一瞬だけ姿を見せてビル群の影に消えた。

 チームメイトの無線は常時開きっぱなしだ。ぼくは乾いた唇をなめて、無線の向こう側にいるリサに語りかける。


「――リサ、そろそろだ。準備はいい?」

『ん。大丈夫』


 ぼくやマサトの射撃の腕では、稀代の英雄である早見士郎のキャスケットを仕留めることは不可能に近い。

 そんなことはわかってる。ましてや、ぼくの射撃の腕は並以下だ。けれど並外れた射撃能力者であるリサが、先生の隙をつけば、あるいは。

 それがマサトの立てた作戦だ。


 ぼくは首都高から飛び降りて、崩れ残ったプリンスホテル方面へとネイキッドをグライドさせる。

 帝高のグラウンドとは違って東京の道路はめくれ上がり、至るところでビルや高速道路が倒壊しているため、機体をまっすぐにグライドさせるだけでも大変だ。

 人体同様に脚部関節のショックアブソーバーをきっちり使わないと、機体はいとも容易くバランスを崩してしまう。

 にもかかわらず、あの速度。やはり早見士郎とキャスケットは、とてつもない腕と最新技術の結晶だ。


 ホテルの影から飛び出したキャスケットを、数秒と置かずにレギンレイヴが追う。

 ネイキッドぼくの姿を認めた早見先生が、直角に方向転換をして池袋駅方面へと逃走した。ぼくとマサトは合流し、キャスケット包囲網を狭めて大通りへと追い込んでゆく。

 ここまでは予定通りに進んでいる。問題はここからだ。

 頼むぞ、リサ。


『追い詰めたぞ! 気ぃ抜くなよ、イツキッ!』

「わかってる! ――リサ、カウントに入る!」

『……』


 リサからの返事はない。構わずカウントを開始する。


「三、二、一……」


 ネイキッドとレギンレイヴに追われたキャスケットが大通りへと飛び出した瞬間、地下鉄入口で腕を固定し、ミサイルランチャーを構えて身を伏せていたリサのベルベットが静かに囁いた。


『……ロックオン、ショット』


 直後、赤外線誘導ミサイルがベルベットから射出された。

 捉えた!


 早見先生がキャスケットでどれだけ逃げたとしても、ミサイルのセンサーから外れない限りは回避不能だ。それにキャスケットは高速グライドで大通りに飛び出したため、慣性の法則で移動できる方角が限られている。


『よっしゃあ!』


 マサトが叫ぶ。こいつの立てた作戦通りの結末だ。さすがは特進クラス合格者だと認めざるを得ない。

 ……そう思った。

 だけどキャスケットはわずかに機体を揺すりながら両肩の射出口を開き、そこから煌々と赤く輝く二つの光の玉を空へと打ち上げた。


『……あ』


 リサが息を呑んだ直後、リサの放った赤外線誘導ミサイルが射線上のキャスケットから逸れて、打ち上げられた光の玉へと向かってゆく。


『ちっくしょ、欺瞞装置フレアまで積んでんのかよ! おれたちのもんとは機体性能も装備も違いすぎるぜ!』


 マサトの絶望的な声。だけど、実戦では恨み言なんて意味はない。メタルの装備にしたって、わかっていることの方が稀だ。


「リサ、避けろ!」


 キャスケットが背中の大剣を引き抜いて、空色のベルベットへと迫る。

 しかし――!


『ロック、ロック、ロックロックロックロック――ショット』


 ベルベットはその場から微動だにせず、神仏の光背のように両肩から頭部を覆うように装備していた多連装ミサイル砲カチューシヤから六基のレーダー誘導ミサイルを射出した。


「すげ――」


 今度は浮いたままの欺瞞装置フレアには引き寄せられない。全方向から迫るレーダー誘導ミサイルに、キャスケットの逃げ場はない。

 今度こそ決まった。……と思った。


『――ッ』


 再び息を呑むリサ。キャスケットの両肩から、今度は大量の電波欺瞞紙チャフが撒き散らされる。

 あれは確か九年前、キャスケットが単騎でドレッドノート級のメタルを破壊した際に、メタルのミサイルの進行方向を狂わせた装備だ。


 六つの模擬ミサイルが投げ捨てられた鉄塊となって、周囲のビルに叩き付けられて跳ね返り、アスファルトを転がった。

 キラキラと銀色に輝く数千枚もの電波欺瞞紙チャフの中で、キャスケットとベルベット、二機の装甲人型兵器ランド・グライドが交差する――!


 ベルベットは棒立ちからバックグライドへと移行後、脚部収納庫から二挺のハンドガンを取りだして乱射し、キャスケットは大剣を盾に銃弾を防ぎながら正面から斬り込む。

 火力装備でずんぐりとした出で立ちのベルベットが、機動力重視でシャープなキャスケットにも迫る勢いでグライドする。重量はかなりのもののはずなのに、エンジン出力も桁外れのカスタマイズをされているのだろう。


 縦に、横に、斜めに。二機の装甲人型兵器ランド・グライド電波欺瞞紙チャフを舞い上げ、互いの位置を入れ替える。

 ベルベットはハンドガンからゴム弾を次々と撒き散らし、キャスケットは大剣をうならせて。


『す……げ……、早見先生はとーぜんだが……』


 マサトがゴクリと唾を飲み、途切れ途切れにそう呟いた。

 都市の残骸を踏み砕き、繰り出され続ける互いの攻撃を掠らせることもなく、まるでダンスでも踊っているかのように円を描き、粉雪のように舞い上がる電波欺瞞紙チャフの中を、バーニアの赤熱の軌跡を残しながら、二機の兵器がグライドする。


 リサが撃つ、撃つ、撃つ! 早見先生が斬る、斬る、斬る!

 ベルベットが大剣をかいくぐって二挺のハンドガンを零距離で放つと、キャスケットは上体を傾けることでそれを回避し、大剣を横薙ぎに払う。リサはバックグライドでわずかに退き、紙一重でそれを回避して、再び乱射する。


 だが、あたらない。

 あれは本当に、あのリサなのか?


 とても装甲人型兵器ランド・グライド初心者とは思えない動きだ。今世紀最高の英雄にも引けを取っていない。それにベルベットのカスタマイズも想像以上だ。


 冷や汗が浮く。心臓の音が鳴り止まない。

 銀色に輝く電波欺瞞紙チャフの嵐の中で交差する二機の戦いは、信じられないほどに幻想的で美しい。そこに入ってゆくことを躊躇ってしまうほどに。


『……っ』


 ガチン、と鉄の音がした。ベルベットのハンドガンの、弾切れだ。

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