第31話 彼女の名は……

 クローン? リサが?


 ひんやりとした夜風が流れてゆく。

 マサトは何も応えない。こいつは早見先生を誰よりも尊敬しているはずなのに、その質問にだけは応えなかった。


「多岐将人……。なるほど、そうか。君はクローン技術を完成させた、あの多岐家の御曹子というわけか」

「実家のことはおれの行動とは関係ありません。勘当同然で帝高に入学したもので。おれ自身、もう二度とあの家の敷居を跨ぐつもりもありませんから」


 マサトが前髪を苛立たしげに握りつぶして吐き捨てた。


「それより質問に応えてください。リサ・アバカロフは誰かのクローンなんですか? あの腐った技術を使って、いったい誰を蘇らせたんですかッ!?」


 ざっ、と砂を踏みしめる音がした直後――!


「多岐ッ!」


 滲んだ怒りを隠そうともせずに詰め寄ったマサトの胸ぐらを、凄まじい形相と圧力で早見先生がつかみ上げていた。それでもマサトは叫ぶ。


「あれは生命を弄ぶ研究なんです! あんなもの、世界に出すべきじゃない!」

「多岐、多岐将人ッ!」

「おれは、多岐家のあの研究をぶっ潰してやるために、この学校に来たんだ!」


 その言葉に、ぼくは息を呑んだ。

 夜の風に、木の葉がざわめく。

 しばらく睨み合っていたふたりだったが、やがて早見先生は震えながら長く息を吐いて、マサトをそっと押した。


「おまえに何があったのか、私は知らない。だが、二度とクローンのことを口に出すんじゃない」


 その瞬間、ぼくもマサトも、稀代の英雄の見せた苦しげな表情に絶句した。


「ひとつだけ信じて欲しい。いや、信じてやってくれ。リサ・アバカロフは誰かのクローンなどではない。彼女はヒト以上に唯一無二の人間だ。彼女とチームを組んでくれた君達にまで不信感を抱かれては、リサは行き場を失ってしまう」

「そんな説明で――!」


 なおも食い下がろうとするマサトの肩を強くつかみ、振り向かせる。


「もういいだろ、マサト!」


 およそ初めて見せる苦渋の表情で、マサトが静かにうつむいた。


「おれだってリサちゃんのことを悪く言うつもりはねーんだ……。けど、クローンは……あの技術だけは……」


 マサトが苦しげに歯を食い縛った。その瞳が歪な笑みを形作る。


「妹が……いた……。だが、首都大戦で逃げ遅れて死んだ。よくある話だ。……瓦礫に圧し潰されて……おれは何もできなかった……。――あいつはおれの目の前で死んだんだ! なのに、その妹と同じ姿をした人間が、多岐家の中にいる!」


 早見先生の瞳が大きく見開かれた。マサトが歪な笑みのまま両手を広げる。


「なあ、わかるか? あいつ、誰だよ……。は、はは……笑えるだろ……? 記憶もなんもねえ……ただの他人だ……。妹と同じ姿をしてるだけの……。……おれは親父をゆるせねえ……」


 愕然とした。

 これが、マサトが帝高に来た理由だったんだ。だから英雄としての称号と権力、そして富を手にして、強大な財閥である多岐家に戦いを挑もうとしていたんだ。


「だから頼むよ、先生……本当のことを――」


 ぼくはマサトの言葉を切って、ぴしゃりと言い放つ。


「違う。リサはクローンじゃない。冷静になれよ、マサト。いつものおまえならわかるはずだぞ。もしリサが凄腕のパイロットのクローンだとしたら、姿形を変えてでも彼女を量産した方が、メタルとの戦いは有利になる。それをしていないってことは、リサはやっぱりクローンなんかじゃないってことの証明にならないか?」


 口から出任せだけど、実際そうだ。

 それこそ、この早見士郎だってクローニングするには最適な英雄だ。本当に技術が完成しているのならば、このふたりの天才は無尽蔵に生み出され、遺伝子レベルで未来永劫、メタルと戦わされ続けてゆくだろう。

 だけど、そうじゃない。そうはなっていない。だからパイロットを育成するための高校なんてものができたはずなんだ。

 つまり、リサはクローンじゃない。


 確かにわからないことだらけだ。リサの謎の言葉の数々も、装甲人型兵器ランド・グライドの操縦技術も、リハビリ中だと言った身体のことも。

 あの人に似すぎているとも思う。身体的特徴となる新雪のような白髪も、血管の色を如実に映し出す赤く美しい瞳も。

 だけどそれだって姉妹だと考えるなら、不思議じゃない。

 マサトが唖然とした表情で、ぼくに視線を向けてきた。


「そ、そうか……そうだよな……。早見先生、申し訳ありませんでした……。さっきの話は忘れてください……。――イツキも、すまん」

「もう忘れたよ」


 早見先生が長いため息をついて、いつもの穏やかな表情に戻った。


「いや、私もどうかしていた。高桜、多岐。リサは自らの出自を何と語った?」

「……姉がいた、と。それしか聞いていません」

「そうか」


 早見先生が直立の体勢を取り、ゆっくりと深く、ぼくらに頭を垂れた。


「え、ちょ、ちょっと先せ――」


 稀代の英雄の行動に面食らって、マサトと一緒にアタフタと動き、息を呑む。


「リサ・アバカロフは私の相棒だったリア・アバカロフの妹だ」


 リア・アバカロフ! あの人の名前は……リア……!


「不甲斐のない私はチームを組みながらもリアを救ってやることができなかった。このようなことを頼めた義理ではないが……どうか君達ふたりには、リサを救ってやって欲しい。いつか、すべての真実が語られるその日まで」


 苦渋を滲ませた声。息が詰まるほどの重圧。なのにどこか物悲しく、すがりつくかのような声で早見先生が繰り返した。


「リサを、リサ・アバカロフを頼む。あれは強いが、誰よりも孤独で、何よりも脆い。だから、頼む。――たとえ世界と彼女を天秤にかけようとも、おまえたちは選択を誤らないで欲しい」


 早見先生がゆっくりと頭を上げて、穏やかに微笑む。


「これは教師としての指示ではない。ひとりの人間としてのお願いだ。どうか、私と同じ轍だけは踏まないでくれ」


 ぼくとマサトが、同時にうなずく。


「頼まれるまでもありません。もともとそうするつもりですから」

「仲間を守んのぁ、当然のことですよ」

「ありがとう。高桜、多岐」


 もとより、ぼくはそのつもりだ。あの日にリアがぼくを守ってくれたように、リサはぼくが守る。

 だけど、早見先生がこの言葉に込めた本当の意味を知るまでに、ぼくらは長い長い月日を要することとなる。


 ――真実はどこにある?

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