第29話 真夜中の密会

 男子寮までの帰り道を、ひとり歩く。

 夜風が心地良い。牢獄から解放された囚人の気分だ。

 でも、同時に精神的な疲労感がものすごい。あれだけの経験をしたのに、目を閉じれば今すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。

 やはり命を賭けて戦う輩は、ひと味もふた味も違う。あそこまでヘンなのは天川月乃だけかもしれないが。


 結局風呂上がりまで付きまとわれた挙げ句、当然のように「じゃあ、また来週」などと言われて手を振られた。せめてパンツを穿く瞬間くらいは、どこかに行ってほしかった。

 成り行きだったとはいえ、食堂で藤堂からあの女の子を助けようとしたことで、どえらい人に目を付けられてしまった気がする。

 何が大変って、いつまで自分の理性がもつかってことだけど。

 あれがリサだったら……、などと考えながら帰り道の自販機でジュースを買っていると、突然肩に手を置かれた。


「うおっ!? ち、違います先輩!」

「あん? 先輩って誰よ?」


 マサトだ。自販機から紙パックのミルクを手に取ったぼくを見ながら、マサトが自販機にコインを投入した。


「なんだよ~……。コーラねえじゃん……」

「食堂にしかないみたいだね。今は校舎ごと閉まってるだろうし、あきらめなよ」


 ぶつくさ文句を言いながら、マサトが一〇〇%果物ジュースにストローを差し込んだ。


「おまえ、どこ行ってたの? フロ?」

「……お、おう」


 誤魔化しようがない。焦って出てきたから髪は濡れてるし、着替えの入ったナップザックも持っている。


「ふーん、大浴場は気持ちーかった?」

「……う、う~ん……うん、まあ……?」

「歯切れ悪いな~」


 あれがいなければ、もう少し堪能できたかもしれない。いや、あれはあれでとても嬉しい体験でもあったのだが。

 でも、触れられないのでは、ただの生殺しだ。触れたら触れたで全殺しされるだろうけれど。


「おれも今度夜中に行くかねえ。どーにも眠れねーんだわ」


 水曜と木曜はやめとけ。ろくなことにならないから。そう言いかけてやめた。

 勘ぐられて困るのは水曜のふたりでもなく、おそらくまるで気にしない天川月乃でもなく、ぼく自身だ。

 そんなことを考えて、天川月乃の話をふと思い出した。


「マサト、もしかしてメタルとやり合うのが怖いのか?」


 愚問だと思う。マサトはぼくと違って、特進エリートクラスに合格するほどの腕前だ。けれど、ぼくの頭は、天川月乃の話を切り離せずにいた。

 いずれベッドに潜り込み、頭から布団をかぶって震え、眠れなくなる。


「ん? まー怖いっちゃ怖えが、逃げるつもりはねーよ? むしろ眠れねーのは単純に生活習慣だ。おれさぁ、中坊の頃から夜遊び癖があってさ、夜のほうが調子いいんだよなあ」

「ああ、それっぽいわ。チャラいもん、おまえ」

「そっかー? ま、そのうち慣れるだろうさ。早寝早起き上等だよ」


 気を悪くするでもなく、マサトがニヒヒと笑いながらそう言った。

 どうでも良い会話をしながら、ぼくは斜めの空を見上げた。遙か上空にそびえ立つ、高さ一〇〇メートル、幅二十メートルにも及ぶコンクリートの壁。

 国内の業者や自衛隊はもちろん、海外諸国の軍事力まで借りて、わずか一年で東京を囲ったこの壁は、天川月乃の話を聞く前と後とでは印象がまるで違う。


 外の世界から眺めていたときはメタルを外に出さないという名目で心強かったのに、メタルと戦うぼくらを逃亡させないためと聞かされた今は、どこか冷たく重苦しい。

 本物の囚人になった気分だ。


「マサト」

「んー?」


 両手をパックから離して、じゅるじゅるとストローを吸っていたマサトが気怠そうに振り返った。


「生き残ろうな」

「あー? あたりめぇだろ。おれがそのためにどれだけ情報集めてっと思ってんだか。おれは三年間生き延びて、英雄になって十億円手に入れて――」


 マサトが言葉を切った。しばらく待っても、続く言葉はない。夜の風はまだ少し冷たい。

 マサトの横顔から、わずかに寂しげな印象を受けた。


「手に入れて?」

「……ん? ああ、なんでもね。十億手に入れたら、東京離れてのんびり暮らすわ。物価の安い南国とかいいなあ。褐色肌のおっぱいちゃんと知り合ったりなんかしてよー」


 何かを誤魔化したことだけは容易に想像できた。けれど、ぼくにだって話したくない過去はある。マサトはそのことについて触れようともしなかった。

 だからぼくも、話題を変えることにした。


「マサトは帝大には進学しないのか?」


 ストローから唇を離して、マサトが表情を歪めた。


「あたりめーだろ。高校三年間は入学以降強制だけど、進学は自由だぜ? 何も好きこのんで死にに行くこたぁねーだろ。何言ってんのって感じだぜ」

「うん。何言ってんだろうなあ」


 そっか。普通はそうだよな。ツキノさんだってそう言っていた。

 ぼくらは顔を見合わせて笑った。

 それでもぼくは、戦い続けるだろう――。

 早見士郎のように、生涯をかけて。ぼくにはもう、それしか残っていないのだから。


 S字の舗装路を歩いていると、ふと話し声が耳に入ってきた。目を凝らすと、校舎の壁にもたれて大きな影が、その前には小さな影が立って何かを話しているようだ。


「男と女だ。何ヤッてんのか興味ねえ?」

「やめとけよ」


 マサトが屑籠にパックを投げ捨てて、悪戯な笑みを浮かべた。S字から外れ、身を低くして小走りで近づいてゆく。


 ったく……。

 ぼくも身を屈めて静かに走り、植え込みに身を寄せたマサトの肩に手を置こうとして、その場に固まった。

 着流し姿の早見先生と、真夜中なのになぜかセーラー服を着ているリサだ。

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