第28話 おぽこぽこ?

 ちなみに生還した機体は言わずと知れたキャスケット、ベルベットと、残る一機は確かエスペランスといったか。


「早見士郎のチームがランド・グライド級のメタルを仕留めなければ、今頃人類は滅んでたかもしれないのよねー。感慨深いわー」


 つまり、リサの姉と早見士郎の所属したチームは、九年前の技術しかない装甲人型兵器ランド・グライドで、やつらを撃退したということだ。

 だとするなら、ぼくが見たドレッドノート級のメタルを単機で撃破したのも、彼にとっては難しいことではなかったのかもしれない。


 やはりあの人たちは別格だ。

 それでも、ぼくは追いついてみせる。そのために生き延びた。


「だから刹那的に生きるのは悪いことじゃないと思うのよね。学校の校則がほとんどないのも、あたしたちは世間的にはもう死んだも同然の存在だからだね、きっと」


 天川月乃の声に思考を引き戻されて、ぼくは彼女がじっとこちらに視線を向けていることに気がついた。

 わずかに身をずらし、生唾を飲んで距離を取る。


 天川月乃がイヤだってわけじゃない。むしろものすごく女性的で、魅力的だ。だけど、ぼくの心はリサの姉からまだ離れられずにいる。

 けれどもう、ぼくはあの人の声も思い出せない。

 思い出せなくなったのは、この学校に入学してからだ。ぼくの頭の中で囁く声は、無機質で無感情なリサ・アバカロフに上書きされてしまった。


「聞いてる? おーい、新入生くん?」


 天川月乃が立ち上がり、ジャブジャブと水面を波打たせてぼくの正面に回り込む。もちろん、ぼくはその動きに合わせて首を回転させ、視線を逸らしている。

 この体勢は危険だ。


「聞いてます聞いてますっ」


 テンパって二回言った。情けない。


「でも新入生くんはアリスだからなあ」

「あ、え? あ、はあ」


 わからん……。会話が端から端にぶっ飛んでる気がする……。


「アリスなら、木曜の夜中に迷い込んできてもゆるしてあげる」

「……だ、だから高桜一樹ですって! ああもう! 正面に立たないでもらえますかっ!」

「ああ、はいはい」


 ちゃぷっと音を立てて一度深く沈み込み、数秒後に天川月乃が顔だけを水面から出した。


「先輩はいつもこんなことしてるんですか?」

「ツキノ」


 めんどくさい人だ。


「ツキノさんは、いつもこんな――」

「――してない。キミがヒドい顔をしていたから絡んでみた」


 やはりわからない。


「気づいてるかな? あなたは新入生の顔をしていない」

「意味がわかりません」


 天川月乃がそっと瞳を閉じた。


「帝高で三年間を生存することは難しい。あと一ヶ月もすれば、もしかしたら明日にでもキミはそのことに気がつく。そうしたらね、少しずつポロポロと自分の心が砕け散っていくの」


 声色が、それまでの彼女とは違って真剣なものになっている。


「そして三年生になる頃には、どうしたら生き残れるか、だけしか考えられなくなる。三年間を生き延びて十億手に入れて、残りの人生を遊んで暮らすの。対メタルの防衛ラインは次世代の帝高生に任せて、のうのうと生きてゆく。そんな夢ばかりを見るようになる。――ねえ、どうしてこの大浴場には誰も来ないと思う?」


 ぼくが応えるより早く、天川月乃はぼくの耳もとに唇を寄せて静かに囁いた。


「夜を恐怖に震えて過ごすからよ。ベッドに丸まって頭から毛布をかぶって祈るの。明日、メタルが出現しませんようにって。震えて眠れなくなる。三年生のほとんどがそう。あたしはそうなるのがイヤだから、こうしてここへ来ている。誰もいなくても、ここには誰かが来るかもしれない。それで十分。誰かが来ようが来るまいが、あたしは木曜の夜にはこうしている。たったひとりで夜や恐怖に圧し潰されたくないから」


 身体を少し離して、天川月乃はさらに言葉を紡ぐ。


「どうして東京が壁に囲われたと思う? メタルのミサイル三発で砕ける壁なのに必要だった理由は?」

「それは――」

「ハズレ。たぶん見当違い。答えは簡単。メタルの侵攻を防ぐためじゃない。消耗品であるあたしたちを、この都市から逃亡させないためよ。死ぬまで戦えってこと」


 消耗品……。

 温泉が徐々に冷たくなってゆく錯覚に囚われる。


「だから水曜のふたりのような人たちは貴重なのよ。あたしに未来を夢見ているふたりの邪魔をする権利はない。だけど、なのに、キミは怯えきった三年生と同じ疲れた瞳をしていると思ったのに、なぜかここへ来た。たったひとりで」

「それは――」


 言葉を遮るように、天川月乃がぼくの鼻に指先をあてた。


「まるで、そう。あなたには死の恐怖を知った上で、生き残ることよりも大切なことがあるように見えた」


 ほんの一瞬、新雪の髪を持つ赤い瞳の少女が脳裏に浮かんだ。それがリサなのか、それともあの人なのかは、わからない。


「そういう子にはね、どれだけ絶望していたって戦い抜けるだけの強さと覚悟が備わる。ここで生き残れるのは、毛布を被って毎晩震えているような人間じゃない。未来に強固な希望や目的を持っている水曜のふたりや、恐怖なんて両手で丸めてゴミ箱に投げ捨てられる人間だけなの。たぶんだけど、キミは後者。あたしもね」


 見抜かれている……。

 ぼくの中で恐怖という感情は今もまだ死んだままだ。天川月乃は、そのことを見抜いた。


 首都大戦――。

 メタルの恐怖を知って以来、ぼくはすべての恐怖を失った。だからぼくは、他のみんなと違って逃げ出さずに死ぬまで戦えるだろう。

 だけど、他の新入生は恐怖を抱えている。上級生に至っては、その経験からさらに大きな恐怖を。

 だから、ここには誰も来ない。


「あたしは生き残る。あたしには腕がある。装甲人型兵器ランド・グライドタランテラと、最高のチームメイトもいる。恐怖になんて負けたりしない」


 切れ長の瞳が、鋭く攻撃的なものに変化した。すっかりと幼さの抜けた、大人びた視線に、ぼくは全身を痺れさせた。


「――ッ!」


 死線をくぐり抜けてきた戦士だけが持つ、鋭い視線だ。

 そうだ、この人は一年以上もの間、帝高でメタルとの戦いを生き抜いてきた人なんだ。ぼくよりずっと、早見士郎に近い位置にいる凄腕のパイロットだ。

 生身で藤堂を撃退したのだって、マグレじゃない。体格、体型、性別、それらの不利な要素をすべて払いのけて圧倒して見せた体術。どれをとっても規格外だ。


「新入生くん」

「は、はい」


 姿勢を正し、ぼくは鋭い視線に生唾を飲む。


「ごちです。ご立派なおぽこぽこをお持ちで」


 天川月乃は、やはり異常だった。

 ぼくは遠い目で、ゆっくりと首を左右に振ってから呟いた。


「あんたの胸ほどじゃない……」

「きゃっははははは!」

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