第27話 メタルの噂

 東京の源泉がいくら黒湯だといっても、天川月乃がいくら肩まで浸かってたって、そんな近くではうっすら透けて見える。


「おお、見てる見てる。横目でこっそりとか、良い度胸してるねぇ」

「見てません! ……向こうの方で泳いできたらどうです?」

「ヤダ飽きた」


 手強い。

 見たくないわけじゃない。むしろ天川月乃は、ずっと見ていたくなるくらい綺麗だ。でも一方的に見るのと、等しく自身も見られるのではわけが違う。


「まだ二時台ですよね」

「そーね」


 まったく察してくれない。きっとこの人の神経は背中に一本ぶっといものが通っているだけで、他には存在しないんだ。


「他の男の人も入ってくるかもしれま――」

「困るなー」


 さして困った様子もなく、反射的に応えたようだ。


「ぼくがいることには困らないんですか?」

「困ってる」

「じゃあ向こうを向いておきますんで、そのまま出てください」

「ヤダ」


 理屈抜きで、半ば予想できていた。

 これでぼくの方が出て行くのも、不条理に負けたみたいでイヤだ。でも、この広さの大浴場なら、距離を取るくらいなら可能だ。

 泳ぐフリをして距離を取ろうと、身体を動かした瞬間。


「はい、あたしの勝ちー」

「……何がですか?」


 イラっときて、額の血管が脈打って浮いた。ぼくは再び背中を岩壁に当てて、平然と両足を組み直す。


「べっつにー?」


 この女、ムカつくな。危機感ないのかよ。こっちがめちゃくちゃ気ぃ遣ってることくらい察しろよ。正視できないくらいすごいんだよ。

 ふざけやがって、超一級品だ。けしからんほど素晴らしい。現代に生きるビーナスかよ。いちいち美しいんだよ、クソったれ。


「もしぼくがトチ狂って襲いかかったらどうするんですか」


 相当ムラムラしますよ、あなたのその姿は。

 むろん口には出さない。


「え? もちろん撃退するけど?」

「ですよね! 藤堂に負けたぼくを、藤堂を締め上げて助けてくれた方ですもんね!」

「うん」


 ぼくは両手で頭を掻き毟った。

 死ぬほどくやしい。


「心配しなくても、どうせ誰も来ないよ。一年間、何度かこうして偶数時間まで入ってたことあったけど、木曜の夜は誰も来なかったもん。ああ、もちろん奇数時間は余計にね。女の子は誰も好きでもない男の出汁がたっぷり出たお湯なんかに、好きこのんで入ろうとしないから。たま~に、部屋のユニットバスが壊れた子が訪れるだけよ。だから木曜の夜中は、あたしのワンダーランドなの。新入生くんはそこに迷い込んできたアリスのようなものよ」


 アリス……。ウサギでもいいからせめて男キャラにして欲しかった。そういやまだ、ぼくは名乗ってさえいなかったな。

 あまりの異常な事態にずいぶんと遅れてしまったが、今さらながらに自己紹介をすることにした。


「高桜一樹です。さっきはありがとうございました」

「……? ハダカ? え~っ、ヤダぁ! そんなにうれしかったの~? 照れる~っ」


 天川月乃が、湯の中で悶えるように全身をくねらせた。

 ホントにどうしたらいいんだ、この人。


「違いますよ! 食堂でのことですって!」

「……ハダカはうれしくなかった?」


 声のトーンが下がった。視線を背けているためにどんな顔をしているかまではわからないけれど、これはマズい。

 機嫌を損ねさせたりしたら、何をされるかわかったもんじゃない。


「い、いえ、決してそんな、けっこうなお手前で――」

「そんなことよりさ、新入生くん」


 ……ホント、人の話を聞かないな、この人。名前もおぼえてくれそうにないし。小学校の通信簿に六年間通して「落ち着きがない」と書かれるタイプだ。


「木曜はあたしのワンダーランドだからいいけど、水曜はダメよ?」

「なんでですか?」

「毎週のように、三年生ふたりが逢い引きしてるから。もうガッツンガッツン!」


 ぼくは体勢を崩して湯に沈んだ。


「ぶっはっ! 毎週って知ってるってことは、ツキノさんはまさかそれを覗き――!?」

「そうそう、そうなのよ! あたしさあ、たまたま水曜の夜に行って現場見てびっくりしちゃってさあ、思わず言っちゃったのよ。――ヤるならお湯の外に出てヤらんかいッ!! ってね」


 壮絶にズレている……。何もかも、何一つ噛み合いそうにない……。


「だからその日、そいつらを湯船から引きずり出して正座させて、あたしはルールを決めたの。水曜の夜中はここをあげるから、絶対にお湯は汚さないこと。いちおう温泉は掛け流しだから常に循環はしてるし、定期的にお湯を抜いて掃除もしてくれてるけど、気分的にね。それと、木曜の夜中はあたしのワンダーランドだから絶対に来ないことってね」


 なぜか得意気な温泉のヌシ。

 天川月乃はあきらかに頭の配線が間違って繋がっている。ちょっと怖くなってきた。そのふたりも相当な災難だったことだろう。

 それにしても、上級生を引きずり出して正座させるとは。さすがは有名人だ。


「でもさ、彼らの行動も少しわかるのよね。明日メタルが出現して、そいつがもしもランド・グライド級だったら、あたしだって明日の夜はこうして生きていられるかどうかわからないもん。……知ってる? メタルのランド・グライド級」


 メタルの格付けは戦艦であるドレッドノートなどと同じく、人類兵器の大きさで言い表される。つまり人類の装甲人型兵器ランド・グライドと、メタルのランド・グライド級はほぼ同じ大きさだということだ。


「ええ。噂程度にですが」


 ランド・グライド級メタル。ドレッドノート級に比べれば大きさは微々たるものだが、実のところ確認されたメタルで最も厄介とされるのが、ランド・グライド級だ。


「その噂はすべて真実よ」


 ドレッドノート級のような兵器積載量や広範囲の破壊力はなくとも、聞いた話ではAI性能知能が非常に高く、動きの素早さも出力も精度も、人類の装甲人型兵器ランド・グライドを遙かに凌駕している。

 人類は首都大戦の五日目に計三〇〇機の装甲人型兵器ランド・グライドを投入し、わずか二日で勝利と引き替えに、うち二九七機を失った。ここまでは噂ではなく、歴史的な事実だ。

 その事実の中にあって、まことしやかに囁かれる噂――。


「……冗談でしょう?」

「いいえ」


 破壊された機体のうち、実に一四八機は、たった一機の小型メタル、つまりランド・グライド級の攻撃によるものだという噂。

 そして、大戦以降の九年間にその機影を見たものはいない。

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