第23話 滑走

 リサの乏しい言語能力じゃ、それを試験官に説明することは不可能だろう。

 そんなことを考えていると、マサトのレギンレイヴがこっちを向いてうなずいた。


『たぶん、そうなんだろ。だけど、ホバーで浮いている以上は慣性の法則には逆らえねえ。一般的に戦闘時は徒歩、移動時はホバーって言われてる』


 あいかわらず詳しいな。頼もしい限りだ。

 でも、果たしてそうだろうか。


 九年前のあのとき、士郎は黒の機体キャスケットをホバリングさせながらドレッドノート級のメタルと戦っていた。

 足を止めたら、どうなる?

 キャスケットがメタルを中心にしてバーニアを噴かしながら弧を描くように電波欺瞞紙チャフをばらまいていた姿は、今も目に焼き付いている。


「マサト、ホバリングってどうやったら使えるんだ?」

『さーな。スイッチかなんかあるんじゃねーの?』


 といわれても、今ぼくらの視界は機体内ではなく機体外に向けられている。それに、仮に機体内を見られたとしても肉の身体は感覚を失っていてうまく動かない。


「一度接続を解除するのかな?」


 ああ、それさえも自由にならないのか。そもそも装甲人型兵器ランド・グライドからの降り方さえわからないんだった。

 首をひねると、ネイキッドが両腕を胸の前で組んで首をかしげた。我ながらマヌケな姿だった気がする。


『グライドは、イメージ。想像すること』


 リサの機体ベルベットが風を切ってグライドし、ネイキッドの直前でフワリと停止した後、脳内で彼女の声が響いた。

 ぼくとマサト、そしてリサの三名はチームを組んでいるため、常に回線が開きっぱなしなんだ。よくよく聞き耳を立てれば、リサやマサトの息づかいだって聞こえてくる。


『イツキが願えば、鋼鉄の肉体は応えてくれる。――大空を舞うこと以外なら』


 最後の一言が彼女なりの冗談なのかもしれないが、ほんのわずか、どこかリサの声が弾んでいるような気がした。

 クラスメイトたちの機体が必死で歩く中、空色のベルベットはその隙間を縫うかのように滑り、フィギュアスケーターのように機体を回転させて砂煙を上げた。


『こう』


 わっかんねえ。わかんねえけど、リサのやつ、すごすぎないか? 装甲人型兵器ランド・グライドに乗るのが初めての新入生だとは到底思えない。

 もしかしたらあの人の妹ってことで、すでに搭乗経験があったのかもしれない。早見先生とだって旧知の仲だったようだし。


 ふたりの様子を思い出し、何だか胸がギュっと締まった。

 虚しい感情を振り払おうとして頭を振ると、マサトが尋ねてきた。


『何してんだ、イツキ? ネイキッドの頭なんざ振って』

「な、なんでもないよ」


 搭乗中はうかつに態度に出さないようにしたほうが良さそうだ。

 それにしてもリサのやつ、まるで水を得た魚だ。生身で歩いているときよりも、ベルベットに乗っているときの方が断然安定しているように見える。肉の身体のときはよく転んでいるし、あれじゃどちらが本当の肉体かわかったもんじゃない。

 そんなことを考えて、ぼくは少し笑った。


 リサは楽しそうにベルベットの腕を広げてグラウンドをグライドしている。

 早見先生が来るまでにまだ時間もありそうだし……ぼくもやってみるか……。ええっと、確かリサは少し膝を曲げて前屈みになって……。

 ネイキッドが膝を曲げ、前傾姿勢を取る。


「あとはイメージ……」


 肉の身体には存在しない、背中のバーニアを意識的に起動させる。これを無意識にできるようになれば、ぼくも士郎とキャスケットのようになれるのかもしれない。

 ゴォっとバーニアが火を噴いた。瞬間、ネイキッドは無残にもわずかに浮いた足を滑らせて、腰からグラウンドに転がった。


「うわっ!?」


 グラウンドを抉るようなとんでもない音がして、視界は青空に。


「痛……っ!?」


 打ち付けたのは機体の腰なのに、わずかに鈍い痛みがある。

 そういや聞いたことがある。操縦する機械ではない装甲人型兵器ランド・グライドは、肉体として脳に接続された瞬間から、人は機体の痛みを脳で認識するようになると。

 ぼくは焦って立ち上がる。

 メタルを破壊して報奨金を得る前に、肝心の機体を壊してしまったら大変だ。


『ギャッハッハッハ!』


 マサト――というよりもマサトの機体レギンレイヴが、ネイキッド《ぼく》を指さして馬鹿笑いをしている。装甲人型兵器ランド・グライドの姿で腹を抱えて笑われると腹が立つ。

 リサが馬鹿笑いに割り込んできて、教えてくれた。


『イツキ。最初はバランス調整のため、意識的にエアダクトを利用するといい。傾く方向に排気するイメージ。慣れれば脳内のバランス調整だけでグライド可能。速度もリミッター範囲内の一三〇キロまでなら加速できる』

「な、なるほど」


 時速一三〇キロって……クラッシュしたらどうなんの……?

 さすがに想像したくない。


『こーか? お姫さん』


 エメラルドグリーンの機体、レギンレイヴが膝を弛めて前傾姿勢を取り、バーニアを噴かした。


『っとと……!』


 機体が傾きかけた瞬間、レギンレイヴのエアダクトから熱せられた圧縮空気や排ガスが、バシュっという音とともに白煙となって排出される。

 危なっかしく、レギンレイヴがグライドを始めた。傾くたびにダクトからの排ガスでバランスを取り、直線上をレギンレイヴが進む。

 もちろん、ベルベットのように軽やかにではないけれど。


『そう。最初はそれでいい。どのみち装甲人型兵器ランド・グライドは、機内の熱を機外に放出しなければ熱暴走オーバーヒートでいずれ止まってしまう。だから、一石二鳥』

『なるほどな。ありがとよ、お姫さん』

『ん』


 リサに褒められて気をよくしたのか、マサトがわずかに速度を上げた――瞬間、足を滑らせて後頭部からすっころんだ。


『いでっ!?』

「あーっはっはっはっは! いでっ……だって!」

『うるせえぞ、イツキ! けどこれ、慣れたらおもしれーな!』


 今度はネイキッドぼくが腹を抱えて笑った。レギンレイヴが恥ずかしそうに後頭部をガリガリと掻く。ロボットらしからぬ動きだ。

 はは、何だか楽しいな! 装甲人型兵器ランド・グライド


 膝を曲げて前傾姿勢を取り、バーニアを噴かす。さっきよりもイメージはゆっくりと。さっきはリサと同じ速さの動きをイメージして失敗したけれど、ゆっくりなら――。


「お……」


 ネイキッドがゆっくりと大地を滑り出す。正確にはわずかに浮いているけれど、これは気持ちいいかもしれない。


 徐々に速く――。

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