第22話 鋼の肉体
ネイキッドを通して早見先生の声が脳へと直接響いた。
『全員乗り込んだな。では、いよいよ君達自身を
言われた通りに
瞬間、それまで眠っていた
な、何だ?
目をこすろうとして右手の感覚がなくなっていることに気づく。どれだけ力を入れようとしても、腕が動いた感覚はない。まるで肉体がなくなり、魂だけとなってしまったかのような不安に駆られた。
バケットシートに固定されているというのもあるが、それ以前に力が入らないんだ。それに、変な表現ではあるけれど、脳がわずかにこそばゆい気がする。
『混乱を避けるため、瞳を閉じろ。これより君達は自由にならない肉の身体を一時的に放棄し、メタルに抗するための鋼鉄の肉体を手に入れる』
瞳を閉じるなんてとんでもない。その頃にはもう、ぼくの視界はすっかり失われていた。呼吸をしている感覚さえない。視覚と触覚が失われている。呼吸を意識できない時点で嗅覚も、口を動かせない時点で味覚まで。
『落ち着け。パニックにはなるな。パイロットにとっての最大の敵は己の精神だ。混乱を来せば、鋼鉄の肉体はいともたやすく暴走する』
ネイキッドに、肉体の機能の何もかもを奪われてゆく感覚――。
『君達自身の肉体と同じく、な。いつでも冷静でいろ』
そう、これは、ぼくの脳が鋼鉄の肉体を、鋼鉄の肉体がぼくの脳を受け入れるための儀式だ。
他のやつはどう思うか知らない。けれど恐怖を感じないぼくは、不思議とあの人の腕の中を思い出していた。
衰弱して動ける状態じゃなかったぼくを抱いて走ってくれた、リサの姉。あのときの感覚に似ている。どこまでも柔らかく、どこまでも優しく、暖かく。まるであの人の腕の中で、胸の鼓動を聞いているかのような感覚だ。
心地良いとすら感じる。
『よし、インストール作業終了だ。これでその機体は、君達固有の
概念。それは概念でしかない。
ぼくは瞳を開けた。己の肉体のものを、開くつもりで。
「――!」
けれど、ぼくの視界に広がったのは。
『うおっ! すげえ!』
マサトの声が聴覚ではなく、脳内に直接響いた。
無理もない。あきらかに人の目ではない。異様に視界が広いんだ。180度すべてが認識できる。
『どうだ? 目が見えない、気分が悪いといった、調子の悪いものはいるか?』
早見先生を注視しようと考えた瞬間、視界は急激に早見先生をロック。段階を追ってぼくの脳が満足するまで、どんどん拡大してゆく。視力がいいとかいう問題じゃない。カメラのズーム機能だ。これなら頬についた米粒だって認識できる。
『いないようだな。では、いよいよ機体に命を吹き込むぞ。これは声紋認証であるため、君達自身の声でやらねばならない。それぞれ唱えろ。――“イグニッション・スタート”だ』
誰かが唾液を飲み下す音が聞こえた。誰も先陣を切ろうとしない。あのマサトでさえも、誰かが先に実行するのを待っている。
けれどぼくに、ためらいなどなかった。
「イグニッション・スタート」
『イグニッション・スタート』
同時に、リサの声が重なった。
瞬間、壁に設置されていただけの
「足の感覚がある……」
まるで自分の足のようだ。右足を一歩、前へ。
ガシャンと大きな音を立てて、純白の機体ネイキッドが右足を前へ出す。倒れたりはしない。なぜならこれは、ぼくが自分の肉体を動かすのと変わらない動作なのだから。
『高桜、跳んだり跳ねたりはするなよ。
「は、はい!」
クラスメイトたちが次々と機体を動かしはじめた。中には首をかしげたり、人間がするように頬を指先でかいたりしている機体もいる。もちろん機械の肉体なんだから、痒いなどという感覚はないはずなのだが。
『では、全員グラウンドに出たまえ。私が自分の機体を取ってくるまでそのまま待機だ』
早見先生が格納庫のドアへと消えるのを見送ってから、クラスメイトたちは恐る恐る機械の足を一歩、また一歩とグラウンドへ向けて進めてゆく。
ぼくやマサトだって、これには慎重を期さなくてはならない。
ガシャン、ガシャン、多くの足音が響く。
そんな中、リサの機体、空色のベルベットだけが奇妙な動きをした。両足を軽く開き、わずかに膝を曲げて、まるで氷の上を滑るかのようにクラスメイトたちの隙間を縫い、グラウンドへと滑り出たんだ。
暴風が巻き起こり、グラウンドに立つベルベットが砂煙に覆われた。
「な、何だあれ? てゆーか、リサ、
隣を歩くエメラルド色の機体から、マサトの驚愕の声が響いた。
『グライドっ!? おいおい、お姫さんグライドが使えたのかよ!』
「グライド? 何だよ、それ?」
『このロボットが
「それって余計に燃料食わない?」
『減りは早いが、その分短時間で距離を稼ぐことができる。おれたちみたいに普通に歩いて移動なんてしてちゃ、辿り着く頃にゃ余計に燃料も時間も食ってるぜ』
ぼくの頭脳の指示に従って、ネイキッドが格納庫入り口をくぐった。続いてマサトのレギンレイヴがグラウンドへと姿を現す。
「ちょっと待って。……ってことは、もしかして入試でリサが一歩も動かずに撃墜された理由って、シミュレータにグライド機能がついていなかったからか?」
要するに、グライドで回避しようとしたけれど、シミュレータにはその機能がなかったってことだ。
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