第22話 鋼の肉体

 ネイキッドを通して早見先生の声が脳へと直接響いた。


『全員乗り込んだな。では、いよいよ君達自身を装甲人型兵器ランド・グライドに生体認証させる。シートから金属の端子を引き出し、君達の超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドと接続したまえ』


 言われた通りに超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドをシートから引き出した端子に接続すると、数十本ものベルトが自動でぼくの肉体を固定した。驚くほど身動きが取れない。同時に、射撃管制装置ロックオン・システムが頭部を覆うように降りてきた。


 射撃管制装置ロックオン・システム内の疑似モニターが起動する。そこには早見先生が映っていた。

 瞬間、それまで眠っていた装甲人型兵器ランド・グライドネイキッドの機器に光が灯る。それを見ていた視界が、何の脈絡もなく突然歪んだ。


 な、何だ?

 目をこすろうとして右手の感覚がなくなっていることに気づく。どれだけ力を入れようとしても、腕が動いた感覚はない。まるで肉体がなくなり、魂だけとなってしまったかのような不安に駆られた。


 バケットシートに固定されているというのもあるが、それ以前に力が入らないんだ。それに、変な表現ではあるけれど、脳がわずかにこそばゆい気がする。


『混乱を避けるため、瞳を閉じろ。これより君達は自由にならない肉の身体を一時的に放棄し、メタルに抗するための鋼鉄の肉体を手に入れる』


 瞳を閉じるなんてとんでもない。その頃にはもう、ぼくの視界はすっかり失われていた。呼吸をしている感覚さえない。視覚と触覚が失われている。呼吸を意識できない時点で嗅覚も、口を動かせない時点で味覚まで。


『落ち着け。パニックにはなるな。パイロットにとっての最大の敵は己の精神だ。混乱を来せば、鋼鉄の肉体はいともたやすく暴走する』


 ネイキッドに、肉体の機能の何もかもを奪われてゆく感覚――。


『君達自身の肉体と同じく、な。いつでも冷静でいろ』


 そう、これは、ぼくの脳が鋼鉄の肉体を、鋼鉄の肉体がぼくの脳を受け入れるための儀式だ。

 他のやつはどう思うか知らない。けれど恐怖を感じないぼくは、不思議とあの人の腕の中を思い出していた。


 衰弱して動ける状態じゃなかったぼくを抱いて走ってくれた、リサの姉。あのときの感覚に似ている。どこまでも柔らかく、どこまでも優しく、暖かく。まるであの人の腕の中で、胸の鼓動を聞いているかのような感覚だ。

 心地良いとすら感じる。


『よし、インストール作業終了だ。これでその機体は、君達固有の装甲人型兵器ランド・グライドとなった。各自、瞳を開けてみろ』


 概念。それは概念でしかない。

 ぼくは瞳を開けた。己の肉体のものを、開くつもりで。


「――!」


 けれど、ぼくの視界に広がったのは。


『うおっ! すげえ!』


 マサトの声が聴覚ではなく、脳内に直接響いた。

 無理もない。あきらかに人の目ではない。異様に視界が広いんだ。180度すべてが認識できる。


『どうだ? 目が見えない、気分が悪いといった、調子の悪いものはいるか?』


 早見先生を注視しようと考えた瞬間、視界は急激に早見先生をロック。段階を追ってぼくの脳が満足するまで、どんどん拡大してゆく。視力がいいとかいう問題じゃない。カメラのズーム機能だ。これなら頬についた米粒だって認識できる。


『いないようだな。では、いよいよ機体に命を吹き込むぞ。これは声紋認証であるため、君達自身の声でやらねばならない。それぞれ唱えろ。――“イグニッション・スタート”だ』


 誰かが唾液を飲み下す音が聞こえた。誰も先陣を切ろうとしない。あのマサトでさえも、誰かが先に実行するのを待っている。

 けれどぼくに、ためらいなどなかった。


「イグニッション・スタート」

『イグニッション・スタート』


 同時に、リサの声が重なった。

 瞬間、壁に設置されていただけの装甲人型兵器ランド・グライドネイキッドとベルベットが、エアダクトから大量の排煙を噴射して自らの両足で大地に立った。


「足の感覚がある……」


 まるで自分の足のようだ。右足を一歩、前へ。

 ガシャンと大きな音を立てて、純白の機体ネイキッドが右足を前へ出す。倒れたりはしない。なぜならこれは、ぼくが自分の肉体を動かすのと変わらない動作なのだから。


『高桜、跳んだり跳ねたりはするなよ。格納庫ドックがもたん』

「は、はい!」


 クラスメイトたちが次々と機体を動かしはじめた。中には首をかしげたり、人間がするように頬を指先でかいたりしている機体もいる。もちろん機械の肉体なんだから、痒いなどという感覚はないはずなのだが。


『では、全員グラウンドに出たまえ。私が自分の機体を取ってくるまでそのまま待機だ』


 早見先生が格納庫のドアへと消えるのを見送ってから、クラスメイトたちは恐る恐る機械の足を一歩、また一歩とグラウンドへ向けて進めてゆく。


 ぼくやマサトだって、これには慎重を期さなくてはならない。装甲人型兵器ランド・グライドは肉の身体と違って、壊れたら修理が必要だ。そして、振り分けられる予算は無限にあるわけではない。


 ガシャン、ガシャン、多くの足音が響く。

 そんな中、リサの機体、空色のベルベットだけが奇妙な動きをした。両足を軽く開き、わずかに膝を曲げて、まるで氷の上を滑るかのようにクラスメイトたちの隙間を縫い、グラウンドへと滑り出たんだ。

 暴風が巻き起こり、グラウンドに立つベルベットが砂煙に覆われた。


「な、何だあれ? てゆーか、リサ、装甲人型兵器ランド・グライドを動かせるじゃないかっ!」


 隣を歩くエメラルド色の機体から、マサトの驚愕の声が響いた。


『グライドっ!? おいおい、お姫さんグライドが使えたのかよ!』

「グライド? 何だよ、それ?」

『このロボットが装甲人型兵器ランド・グライドと呼ばれる所以だ。ランド・グライド、すなわち大地を滑走するもの。もちろん実際に滑っているわけじゃない。高速移動システム、つまりバーニアによるホバーだ。戦場が遠方のときは燃費を稼ぐために、ああするらしい』

「それって余計に燃料食わない?」

『減りは早いが、その分短時間で距離を稼ぐことができる。おれたちみたいに普通に歩いて移動なんてしてちゃ、辿り着く頃にゃ余計に燃料も時間も食ってるぜ』


 ぼくの頭脳の指示に従って、ネイキッドが格納庫入り口をくぐった。続いてマサトのレギンレイヴがグラウンドへと姿を現す。


「ちょっと待って。……ってことは、もしかして入試でリサが一歩も動かずに撃墜された理由って、シミュレータにグライド機能がついていなかったからか?」


 要するに、グライドで回避しようとしたけれど、シミュレータにはその機能がなかったってことだ。

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