第20話 宣戦布告

 天川月乃は冷笑を浮かべて、藤堂の耳元で静かに囁く。


「じゃ、折るから。女の顔を殴ったんだから、これくらいの覚悟はあるでしょう?」

「き、貴っ様ぁぁぁッ!」


 徐々に持ち上げられてゆく藤堂の腕。藤堂の顔色が羞恥と憤怒でさらに赤色を強めた瞬間、野次馬の向こう側から野太い大声が響いた。


「何をしているっ!?」


 ピクっと天川月乃の動きが制止する。

 痛みで顔中に脂汗を浮かせていた藤堂の背中を蹴って突き放し、天川月乃は開けっ放しになっていた廊下の窓枠へとバックステップでヒョイと飛び乗った。

 とんでもない運動神経だ。


「あとヨロシクネ、新入生くん。他の子たちはみ~んな木のカカシだったけど、キミたちふたりは、なかなかステキだったよ」


 ぼくに向かって軽くウィンクをした後、窓枠からさらにバックステップ。すっかりと闇に包まれていた中庭へと溶け込むように消えてしまった。

 な、何だありゃ……。忍者の末裔かなんかだろうか……。

 野次馬の壁が綺麗に割れた。ジャージ姿の男性教師が、片膝をついていた藤堂に視線をやってから尋ねる。


「おい! どうかしたのか、藤堂? 大丈夫か?」


 藤堂が怒りをかみ殺したような低い声で呟く。


「…………いいえ、何もありませんでしたよ、先生。少しばかり立ちくらみがしましてねェ。あぁ~……、もう平気ですよ。お手を煩わすまでもない」


 差し出された教師の手には目もくれず、藤堂がゆっくりと立ち上がる。

 暗い炎が灯るような、粘着質な声色に表情。見ているだけで気分が悪くなる。


 おそらく天川月乃の話を教師にしなかったのは、女に負けたプライドを保つためだ。でも野次馬が天川月乃のことを話さないのは、藤堂の悪行を見ていたからだろう。


 どうやらあの天川月乃というハリケーンのような女子生徒は、そこそこ皆に愛されている人物らしい。

 藤堂が立ち去り際に、ぼくの目の前で一度立ち止まった。


「高桜一樹、気に入らん名だがおぼえておいてやる。多岐将人、天川月乃共々、せいぜい俺の機体ディヴァイデッドの射線上には立たんことだ。……貴様ら特殊クズの全員が、メタルに殺されるとは限らない」


 煮えたぎる怒りを抑えて、ぼくは静かに返す。


「……おまえこそ、もう一度リサに手を出してみろ。殺すぞ、サイコ野郎」

「フン、あのアルビノは貴様のような劣等種にはもったいない。ようやく見つけた、い~い匂いの牝だ。いずれ、俺のものとする」

「ふざけるな。リサはものじゃないッ」


 互いにだけ聞こえるように、宣戦布告を交わす。

 藤堂が食堂校舎から去ると、ようやくその場に集まっていた野次馬たちも解散した。空気があきらかに弛緩する。


 しかし驚いた。

 マサトからあらかじめ「関わるな」と言われてはいたけれど、まさかあそこまで頭のイカレたやつだとは思ってもみなかった。

 自分の命を預けるチームメイトの、しかも女の顔を拳で殴るなんて――。

 殴られた女子生徒は、野次馬の女子たちが保健室まで連れて行ったようだけど、大丈夫だろうか。かなり派手に吹っ飛ばされていたのが心配だ。


「はぁ……」


 マサトが深いため息をついて、食券を買う。


「どうかした?」


 ぼくも食券を買って、ふたりして食堂内に足を踏み入れた。


「どうかしたもくそもねえよ。だから藤堂のバカには関わりたくなかったんだよ。あいつ、本気だぜ」

「しょうがないだろ。目の前で女の子が殴られたんだぞ。リサだって――」


 そうだ。そうだった。


「マサト、リサは?」

「女子寮に帰した。メシは購買でパンでも買って食えっつってさ」

「そっか……。うん、それならいいんだ……」


 ぼくは両手を腰に当て、長いため息をついた。


「……いや、悪かったよ。そんなあからさまに落ち込むなって。むしろ一緒に食うおれのほうがヘコむぜ。この場合はしょうがねーだろ? なんでかは知んねーけど、リサちゃんも藤堂に目ぇ付けられてたみたいだしよ。今は女子寮より安全な場所はないからな。メシくれー、これから何度も一緒に食うチャンスあるって。な?」

「バ~カ、そんなんじゃないよ」


 ……ああ、なかなかゆっくり話す機会ってできないもんだな。

 本当はリサに、あの人の名前と、眠っている地を聞きたかったのだけど。

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