第19話 乱れ花

 視線をマサトに向けたまま、藤堂が肘を高く持ち上げる。その行動に気づいた直後、ぼくは頭部に肘を打ち落とされて、その凄まじい衝撃に膝をついていた。


「うがッ」


 ぐわんぐわんと脳内でドラムのような音が鳴り響いている。脳天に穴を開けられたかのような激痛に顔をしかめた。

 視界が歪む。脳震盪を起こしたのか、全身の自由が利かない。

 たった一撃で……なんて力だ……。


「イツキ!」


 胸ぐらをあっさりとつかみ上げられて、たったの一発で肉体の自由を失ったぼくは、虚しい抵抗で藤堂を睨み付ける。


「何だ、その目は? 気に入らんなァ。あぁ、実に気に入らん。劣等種らしく膝をたたみ、額を床にこすりつけて媚びてみたらどうだ? 藤堂様、どうか愚かで矮小な私をお許し下さいと」


 ハンカチを投げ捨てた藤堂が、拳を強く握りしめる。

 頬骨から激痛が頭部を貫いた。けれど残念ながら、痛みは感じてもその後に来るべき恐怖という感情が、ぼくにはない。

 壊れているのも、イカれているのも、お互い様だ。

 だからぼくは、藤堂よりも歪な笑みで、やつを嘲笑する。


「……屁で話すなよ、尻穴野郎。何言ってんのかサッパリだ」


 藤堂正宗が額に縦皺を刻んだ。


「わからんな。あぁ、わからん。何の取り柄もない特殊クラスの分際で、なぜ俺をそんな目で睨めるのだ? 存在に恥はないのか? まだ痛みが足りないのか?」


 頭の中では大音量で金盥かなだらいが打ち鳴らされていて、視界は定まらない。


「……足りないね。撫でられたのかと思ったくらいだ」

「しゃくに障る家畜だ。こういうウソを吐くから人間は信用できん。こんな薄汚い屑鉄の欠片まで、この俺に埋め込みやがって!」


 突然、藤堂が憎しみに血走った瞳で、自らの首筋にある銀色の超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドを病的に掻きむしり始めた。


「汚い汚い汚い汚い――ッ!!」


 首筋から血が流れ出し、爪の隙間に血肉が溜まっても目を血走らせ、偏執的にガリガリと首筋を掻き毟り続けている。


 まともじゃない……。

 首筋をよく見れば、何度も引っ掻いた痕が奇妙な痣となって残っていた。

 入学式でのマフラーは、これを隠すためだったのだろうか。超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドはすでに赤い血に染まっていて、不気味な輝きを放っている。


「劣等種である貴様にはわからんだろう、高桜ぁ? 頭が痛いんだよッ。超伝導量子干渉素子インプラント・スクイドのせいで、臭い家畜も、薄汚いメタルも、世界の何もかもが歪むのだ――ッ」


 藤堂がぼくに視線を戻して、再び拳をかためた。

 歯を食いしばって衝撃に備える。


「てめっ、いい加減にしやがれ、藤堂ォ!」


 マサトが女子生徒を野次馬に押しつけるように預けて、藤堂に飛びかかろうとした瞬間だった。

 野次馬の背後から、トン、と何かが跳ねた。壁を作っていた生徒たちの肩に手を置いて遠心力でスカートを逆さになびかせ、ひらりと回転する。

 マサトの出鼻をくじく位置に両手両足で音もなく着地し、その人物はぼくらに顔を確認させる暇すら与えず、低く、低く。静かに地を這った――ように見えた。


「ぐがっ!? ――なっ!?」


 藤堂の顎が、掌打で跳ね上げられたときには、ぼくはすでにその人の腕に支えられて立っていたんだ。

 二歩、三歩、藤堂がよろけて踏みとどまり、顔色を憤怒の赤に染めた。


「何だ、貴様はッ?」

「天川月乃。上級生に向かって貴様とは、なっていないわね」


 対照的に平然と応える少女。

 身体はぼくよりも一回り小さく、女子の平均的な身長。背中に添えられた腕だって力強いわけではなく、服の上からもわかる見事なプロポーションは女性らしく、そして柔らかい。


 あまりの早業に、おそらく一部始終を見ていたほとんどの学生も、何が起こったのか理解できなかっただろう。

 涼しげな瞳。肩下までのシャギーを軽く揺らして細い腰に片手を当て、唇を尖らせる。


「そこで頬腫らしてる女の子、あたしの後輩なんだけど。――この、あたしの」


 強調して付け加え、その人はボクサーのようにその場でトントンと二度跳ねた。ふわふわと制服のスカートが揺れる。

 どよめきが一斉に広まった。


「おい、あれ2年の――」「あの変人?」「噂のエースナンバーだろ」「あ、天川か!」「あの1年、終わったな……」「自業自得だろ」


 ぼくもマサトも、顎を跳ね上げられた藤堂でさえも唖然としている。


「言い訳はしなくていい。黙ってボコられな。何にも聞く耳もたないから」


 言うや否や、いや、言い終わりすら待たずに天川月乃が尋常ならざる速度で藤堂へと迫った。


「チィ!」


 舌打ちをして、迷うことなく彼女の顔面を払いのけようとした藤堂の裏拳をかいくぐり、か細い手でやつの膝を押さえて蹴りの出だしを潰す。

 驚嘆に値する早業と、臨機応変な判断力。


「――っ!? この、牝ごときがッ!」


 それでも体幹を崩すことなく、藤堂は肘を天川月乃の頭部へと容赦なく振り下ろす。けれど天川月乃はまるで地を這うように低く身を屈めてそれを回避し、床に両手を当てながら膝を曲げた。


「女はお嫌い? このオカマ野郎ッ!」


 天川月乃が両手両足で床を蹴った。狼狽する藤堂を尻目に、すり抜け様にやつの腕をつかみ、目にも止まらぬ速さで背後へと回り込む。

 息つく暇もなく腕をねじり上げられ、背中を押さえ付けられた藤堂正宗の両膝が折れた。


「ぐっ!? ば、ばかなっ! この俺が、牝ごときにこんな無様を――ッ!」


 藤堂の形相が変わった。けれど、もはや完全にキマってしまっている。力押しで解ける状態じゃない。

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