第18話 人間の屑

 マサトとふたりしてリサを捜していると――。


「いいから来いと言っているだろうッ」


 乱暴な声が聞こえてきた。

 顔を見合わせ、ぼくらは人混みの外側から背伸びをして中心部を覗き込む。

 そこには真っ白な長い髪を持つ少女と、彼女の細く白い腕を強くつかみ、引きずろうとしている眼鏡の紫頭がいた。


「人を待ってる。わたしはここにいなくてはならない」


 リサが赤い瞳を痛みに歪めながら、静かに呟く。

 長身の紫頭と短身痩躯のリサでは話にならない。リサは抵抗虚しく、ずるずると引きずられている。

 尋常ならざる雰囲気だ。

 あいつ……ッ! 確かマサトが入学式で「関わるな」と言っていた藤堂正宗だ!


「ハッ、そんなことはどうでもいい。おまえは黙って俺のものになればいい」


 藤堂正宗は舌なめずりでもせんばかりの狂気の笑みでリサをめ付け、片手で彼女の腕をつかみ上げた。小さなリサが吊り上げられ、爪先立ちになる。


「それはできない。わたしはここでイツキを待つ」

「誰だ、それは。そんな劣等種のことは忘れろ。おまえはこのような臭い人間どもと一緒にいていい女ではない。俺と来い。俺がおまえを守ってやる。薄汚い屑鉄メタルどもからも、家畜のクソよりも臭い、惨めな人間どもからも」


 リサの身体がさらに引き上げられて、彼女の表情が痛みで歪んだ。

 ぼくはあわてて人混みに身体をねじ込み、両手で掻き分ける。


「ちょっと通して! ごめん、通して!」


 くそ、人が多い!

 野次馬が密集しすぎていて、うまく進めない。ぼくは必死で進みながら視線を上げる。


「や、やめましょうよ、藤堂くん……」


 それは、紫頭、藤堂の腕をひとりの女子生徒がおずおずと引いた瞬間だった。下卑た笑みを片頬だけに浮かべていた藤堂正宗の表情が、途端に一変する。

 唇をわななかせ、顔色を真っ青に変化させ、拳を持ち上げたのだ。


「俺に触るなッ、薄汚い牝犬がッ!」

「――っ!?」


 乾いた、などという生ぬるい音じゃなかった。骨と骨が接触するほどの、肉を叩き潰すかのような音。一瞬遅れで、藤堂の腕を引いた女子生徒が人混みに吹っ飛び、数名を巻き込んで転倒した。


 あいつ、女を全力で殴りやがった!

 わずかにずれた眼鏡を、藤堂が指先で押し上げる。


「醜い臭いが移るだろうがッ! 用もなく俺の視界に入ってくるなッ!」


 藤堂がリサの腕を放して、転倒した女生徒の長い髪を乱暴につかみ上げた。しかめた顔を近づけて、粘着質な声で囁く。


「あぁ~臭い臭い! ……情けでチームを組んでやっただけの牝が、得意気に俺に指図をするんじゃあない」


 唖然とする空間。

 誰もが押し黙り、自らの頭部を偏執的にガリガリと掻き毟りながら喚く藤堂から距離を取る。やつを止めようとする生徒も、髪を引っ張られて震える女子生徒を助けようとする生徒もいない。

 それほどまでに、この藤堂という男は周囲を威圧していた。


 ただひとり。九年前に恐怖という感情を失った、ぼくを除いて。

 動きも呼吸さえも止めた集団を乱暴に掻き分けて、ようやく野次馬集団から抜け出せたぼくは、勢いそのままに大きく拳を振りかぶる。

 無表情にリサの赤い瞳がぼくを追った。


「――ッ!?」


 右の拳に鋭い衝撃が走った。骨の手応え。頬骨を殴打した鈍い音が響く。

 ぼくは藤堂の頬を全力で打ち据えていた。藤堂の首がねじ曲がり、足が数歩よろめく……が、倒れない。それにまだ女子生徒の髪をつかみ、引きずったままだ。

 カラン、と音がして、藤堂の眼鏡だけが廊下に落ちて滑った。


「マサト、リサを!」

「あ、ああ、わかってる!」


 遅れて人混みを突破したマサトが、リサの手をつかんで人混みへと押し込んだ後、自分はすぐに出てきた。

 藤堂がいびつな笑みを浮かべて落ちた眼鏡をかけ直し、ぼくを遙か頭上から見下ろす。身長差は歴然。頭一つ以上、藤堂が高い。

 ぼくは目を剥いて藤堂正宗を睨み返す。


「ああ……また汚れてしまった……。――おまえ、名は?」

「高桜一樹だ! そのコ放せよ!」


 殴られた箇所を赤紫に腫らして、女子生徒がうめき声をあげた。


「あ……ぅ……」


 藤堂が厭らしい笑みを浮かべ、わざとらしく明るい口調で言い放った。


「ああ、これは失礼。いつまでも醜いものを持っていたら、また臭いが移ってしまうところだった。劣等種にしては、気が効くじゃないか」


 醜いものが、臭い?

 あの女子生徒が特別容姿に劣ったタイプだとは思えない。むしろ綺麗な方だ。それに容姿とニオイなんて関係ないじゃないか。

 マサトがぼくにだけ聞こえるように静かに囁く。


「……共感覚シナスタジアだ。藤堂は視覚が嗅覚に直結しているって噂を聞いたことがある……。気をつけろよ、こいつは本格的に壊れてやがるぜ……」


 そんなやつが装甲人型兵器ランド・グライドに乗るというのか。危険すぎる。

 藤堂正宗が、女子生徒の髪をつかんだ腕を一度高く持ち上げて彼女を立ち上がらせ、人混みの壁へと叩き付けるかのように、乱暴に突き放した。


「……とっ!」


 一瞬早くまわり混んだマサトが、投げ出された女子生徒を全身で受け止めて人壁に背中を当てた。

 藤堂はおもしろくもなさそうに胸ポケットからハンカチを取り出して、自らの手を拭う。


「俺の名は藤堂。藤堂正宗だ。おぼえておけ。もっとも、俺が名乗るまでもなくそっちのクズは知っているはずだが。なあ、多岐将人?」


 顔を見られたマサトが、不快そうな表情で舌打ちをした。


「ハハ、自ら特殊オチコボレを希望したと聞いたが、畜生どもとは仲良くなれたようだなァ。い~んじゃないか? 畜生は畜生同士で寄り添い合っていれば、まとめて焼却処分もしやすいことだしなァ?」


 歪な笑みが、さらに歪められた。

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