第三章 False

第17話 食堂

 コンコンコン、コンコンコン。

 ノックの音がしている。心地よい気怠さの中、ぼくの身体は起床を拒否する。


「イツキ、いねえのか?」


 ドア向こうからマサトの声が聞こえた瞬間、ここが孤児院ではなかったことを思い出して細胞が活性化した。寝坊は即、死に繋がる。

 目を開けて周囲を見回す。窓の外はまだ暗い。時計を覗き込む。午後八時。シャワーを浴びてからまだ三十分も経ってはいなかった。

 電気も消さずに眠っていたらしい。


「ごめん、マサト。寝てた」


 あわててドアに駆けよって施錠を外し、開け放つ。


「何だ、もう寝てたのかよ。年寄りみてえだな」


 寮内全般は常に適温に保たれているとはいえ、マサトはタンクトップにジャージと、ずいぶんラフな格好をしていた。まるでコンビニ前でたむろってるヤンキーだ。


「食堂行こうぜ」


 そんな感想など知るよしもなく、マサトが親指で食堂方向を指さした。

 ぼくは自分の腹に手を置いて、空腹度合いと睡眠欲を比較する。

 正直、眠い。おまけに疲れすぎていて、腹も大して減ってない。


「悪いけど、今日はいらない。もう眠いんだよ」


 スウェットシャツの中に手を入れて、ぼりぼりと腹を掻きながら大あくびをする。


「ふーん。ま、いいけどさ。チームメイトのよしみで一応忠告しとくぞ。厳しい搭乗訓練が始まるのはこれからだ。疲れて腹が減ってねえくらいでメシ抜いてっと、そのうち倒れちまうぜ?」

「ん~……確かに……」


 でも眠い。今日からもう身体を慣らしてゆくべきなんだろうけど、イマイチ乗り気になれない。


「実戦で体力切れて動けねえなんてなったら、倒れちまう程度のことじゃ済まねえしよ」

「……まぁね……」


 そうなんだよなあ。でも何かこう、この身体を活性化させるのには、あとひとつ理由が欲しいところだ。


「しょーがねーな。じゃ、おれはお姫さんと食ってくるわ」

「……リサも来んの?」

「さっき内線で電話かけたら、シャワー浴びたところで目が覚めたらしいぜ。イツキとメシ食うつもりだけど一緒に食わねーかって聞いたら、来るっつってたからよ」

「目ぇ覚めた。よし行こう。すぐ行こう」


 さっさとドアをくぐり抜けたぼくに、マサトが半眼となって唇を曲げた。


「…………おまえそれ、現金すぎね?」

「まったくだ。我ながらびっくりする」


 オートロック式生体認証のドアを蹴ってしめて、ぼくらは歩き出す。

 長い長い廊下、といっても全校生徒は最大数で三〇〇名だ。そのうち半数が男子だとして、一五〇室分を三階建てに分けた、実質五十室分の男子寮廊下一階を進む。


 ちなみに空室も少なくない。二年生の住む二階、三年生の住む三階になればなるほど増えてゆくらしい。

 それはつまり、戦死者の部屋だ。新入生にそれを意識させないために、一年生に割り当てられる部屋は常に一階というわけだ。

 だから階を上がれば上がるほどに、この建物は静かになってゆく。

 だけど、ぼくには関係のない話だ。恐怖なんて感情は、とうに失われた。


「メニューって決まってんの?」

「いや、何でも好きなもん食わしてくれるみてーだぜ。全部のメニューに付随するジュースがついてくるそうだ。偏りがちで足りない栄養を補うためだとよ」

「マサトみたいに偏ったもんばっか食おうとするやつが多いから、青汁かなんかを付けられたんじゃない?」


 ケラケラとマサトが笑った。


「ぎゃはは、かもなー。肉サイコーだからな」


 割りと失礼なことを言っているつもりだが、まるで怒らない。見かけよりはずっとしっかりしているし、クラスで孤立したリサとぼくを庇ってくれたことからもわかるが、案外良いやつだ。


「お、スパイシーな良い匂いがしてきたね」

「カレーだな。生徒の間じゃうまいって有名なんだってよ」

「マサトは何にでも詳しいな」

「おれにしてみりゃ、何も調べずに帝高に入学したおまえの方が不思議だぜ。命懸かってんのに、呑気すぎだ」

「へへ。ちょっと楽しみになってきた」


 寮を出て夜の中庭を歩く。

 アスファルトで舗装された中庭は常にライトに照らし出されていて、雑談しながら歩く他の生徒たちもチラホラ見える。食堂に向かうやつらだったり、食事を終えて寮に帰ってくるやつらだったり。


「リサはどこで合流?」

「食券売り場で待ってるらしい」

「ふーん」


 あいつ、自分で女子寮から食堂まで来られるのかな。マサトは入学前に色々調べてきていたみたいだけど、リサはどうにもこう……頼りない。友達だってできなさそうだ。


 そんな心配をしながら、通常の学校のものよりも遙かに巨大な食堂に入ると、真っ先に人混みが目についた。

 これじゃ小さなリサがどこにいるかなんてわかりゃしない。


「まずったなあ。外で待ち合わせてから来ればよかったぜ」


 食堂専用の建物は、短い廊下に券売機が置かれている。メニューを選ぶためではなく、この券売機に学生証代わりのIDカードを通すことで、日に三度だけ食券がもらえるシステムだ。券売機付近は特に人混みがすごい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る