第15話 原始の白

 八時間が経過した頃、ぼくらは揃って背中合わせに座り込み、二機の装甲人型兵器ランド・グライドを満足げに眺めていた。


「すぅ……」


 いや、正確じゃない。約一名、リサだけが静かに寝息を立てている。

 背中に感じる軽いぬくもりは、まるで仔猫のようで頼りない。自分がいないところで、こんなふうに誰かに背中を預けて眠ってしまいやしないかと、その無防備さに少しヒヤヒヤしてしまう。


 塗装が終わり、今は乾くのを待っている段階だ。あとはロゴや機体名を入れてコーティングを施すだけ。コーティングの方は特殊クラス専属のメカニックが、夜中のうちに施しておいてくれるらしい。

 静かにそびえ立つ、全高七メートルの機体二機。


「へへ、いいな」

「うん、いいね」


 明日はこいつらに命が吹き込まれる。

 純白にラインを入れただけの、シンプルなぼくの装甲人型兵器ランド・グライド。他のクラスメイトたちの機体に比べ、室内灯の光を反射して輝いている。ほとんどのやつらが生存を優先に、グレーを選んだからだ。


 メタルどもに真っ先にロックオンされたってかまわない。命を分ける一秒なんて必要ない。それを士郎と彼の機体キャスケットが教えてくれた。

 強くなる、あの人たちのように!


「うっし」


 マサトが背中を離して立ち上がり、少し体勢のずれたリサをぼくはあわてて背中で支えた。


「ん……」


 少しだけ瞳を開けたリサが、ぽーっとした表情で再び瞳を閉じる。マサトが背中合わせから抜けたためか、リサの背中との接触面積が増えて、心音が少し上がった。けれどリサはそんなことには気づかず――気づいていたかもしれないけれど、再び寝息を立て始めた。

 まったく、子供みたいだ。


 早見先生は、リサにはリハビリが必要だって言っていた。よく転ぶのも、疲れが溜まるのも、もしかしたら大怪我をして治ったばかりで、うまくまだ肉体が馴染んでいないのかもしれない。

 長い白髪がぼくの肩に乗せられて、生唾を飲む。


「もう乾いてるぜ、イツキ」

「う、うん」


 マサトがクレーンに飛び乗って位置を上げ、およそ七メートルの高さ、エメラルドグリーンに染まった機体のフェイス部分に「Reginleif」というペイントを施した。


「レギンレイヴ? そいつの機体名?」

「ああ。神々の残されたもの。神々の娘ってな」


 わからん。

 ぼくの表情を見て、マサトが苦笑した。


「北欧神話における戦女神ヴァルキリーのひとりだ」

「へえ」


 見かけによらず、変わった知識を持ってるな、こいつ。


「おれさあ、英雄の称号を継がなきゃならねーんだ。腐ったやつらをぶっ潰すためにな。そのために、ここへ来た」


 そういって少し照れたように、マサトが頬を指先でかいた。

 ぼくは理由を訊こうとしたけれど、口を閉ざすことにした。探られたくないこともあるだろう。

 マサトを乗せたクレーンが、ゆっくりと下がってくる。


「イツキは機体名をもう考えてんのか?」

「うん」


 ぼくは眠ったままのリサにそっと声をかけた。


「リサ、リサ、起きて」

「……?」


 リサがうっすらと瞳を開けて、背中を離した。

 寝起きでぽーっとしているのか、リサは周囲を見回し、次に自分の両腕に視線を落として首をかしげた。掌を裏返し、表に向けて、指をクニクニと曲げてみる。

 奇妙な仕草だとは思う。もしかしたらリハビリが必要だったリサの怪我だか病気だかは、とてつもなくヒドいものだったのかもしれない。

 リサがようやく焦点の合った瞳を、至近距離でぼくに向けた。


「イツキ……ねむい……」


 生暖かい吐息が唇にかかって、とんでもない衝動に駆られる。

 ぼくはあわてて純白の機体を指さして、リサの耳もとで囁いた。


「し、仕上げをしてくるよ」

「……んぁン」


 リサがくすぐったそうに首をすくめて、耳に残る声を出した。

 マサトがクレーンから飛び降り、ニヤケた顔で腰に手を当てる。


「何だったら眠りやすいように、おれがお姫様抱っこしてやってもいいんだぜ?」


 クレーンに乗り込みかけて、ぼくはマサトの言葉に派手に躓いた。

 本当にやりかねん。だが、ここでぼくが拒絶するのもおかしい。

 ぼくはあわててリサに視線を向けた。リサはペンキだらけの手で、眠そうに目を擦っている。


「いらない」


 まるっきり照れも怒りもなく、リサはふるふると顔を左右に振った。マサトの方もどうやら冗談の類だったらしく、わざとらしく肩をすくめて、通り過ぎるぼくにだけ聞こえる声で呟いた。


「ツレの狙ってる女にいくほど野暮じゃねーから安心しろよ」

「なっ……!? ね、狙っ……」


 立ち止まりかけたぼくのケツを、マサトが軽く蹴り上げる。


「早く終わらせろよ、相棒。うちのお姫様がもう眠いっつってんだろ」

「わ、わかってるよ!」


 クレーンを手元のレバーで操作して、ぼくは自らの足場を純白の機体のフェイス部分へと持ち上げてゆく。


「おまえの名前は――」


 黒いペイントで白い頬に書き殴る。丁寧にではなく、乱雑に、激しく。「Naked」と。


「――ネイキッドだ。よろしくな」


 ぼくの新たな肉体。

 鋼鉄の塊は、ただ静かに佇む。クラスメイトたちのグレーの機体とは違い、マサトのレギンレイヴと並んで色彩はどこまでも軽やかだ。

 リサは何も言わずにネイキッドを見上げていたけれど、マサトはあきれたように呟いた。


「ネイキッドってハダカ? シモネタかよ」

「バカ。原始の白だよ。まだ何色にも染まっていない赤ん坊って意味だ」


 これからぼくはこいつと多くのものを共有し、学び、成長してゆく。余計なものは何もいらない。だから、こいつはネイキッドだ。

 ずっと考えていたんだ。士郎が最期を示すキャスケットカンオケに乗るのなら、ぼくは最初を示すネイキッドにしようと。

 ぼくの目標は、あの人と肩を並べられるだけの戦士になることだ。


「よーし、んじゃ、おれらも解散すっかね」


 クレーンから飛び降りて、ぼくらは顔を見合わせる。


「……ん」

「そうだね」


 クラスメイトたちは、すでにその大半が解散して寮に戻っている。こだわりも何もないグレーの機体なら、まぁそんなものだろう。

 恥ずかしげもなく大アクビをするリサを覗き込む。今にもそこらに寝転がって眠ってしまいそうだ。


「リサ、部屋まで戻れる? 送ろうか?」


 言ってしまってから気づく。

 我ながらなんてマヌケな提案だ。男子禁制の女子寮まで送っていくことはできないし、かといって男子寮にリサを連れ込むわけにもいかない。


「や、その、ヘンな意味じゃないからね?」

「……ん。大丈夫。帰る」


 リサが眠そうな半眼でコクっとうなずいて、ぼくは胸を撫で下ろした。

 リサが手も振らず挨拶さえもせずに、まるで柳の下に出てきてしまった幽霊のように、ふらふらと歩き出す。

 大丈夫なのか、あれ……。


「またすっ転ぶなよ、お姫さん!」


 リサがのろのろとマサトの方を振り返った。


「オヒメサン?」

「リサちゃんのことだよ。不満か?」


 右に首をかしげてから天井を見上げ、左に首をかしげてから瞬き二つ。


「ん。理解」


 また背中を向けて、ふらふらと歩き出す。

 ホント大丈夫なのか、あれ……。とてもじゃないけど、マサトの言うような凄腕の射撃手には見えない……。


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