第14話 ペイント

 リサはボンヤリと格納庫の天井を見上げ、ゆっくりと下ろした赤い瞳をぼくに向けた。


「……タカザクラ、イツキ」

「んぇ!?」


 意外なところで名前を呼ばれて、思わず間の抜けた反応をしてしまった。

 マサトと早見先生の視線までが、ぼくに集まった。


「助力は、必要?」


 なに? どういうこと?

 マサトに視線をやると、肩をすくめられた。早見先生が口を開く。


「ペイントを手伝おうか、と尋ねているのではないか」


 リサがコクっとうなずいた。

 えっ? ぼくの!? 何で!? 何をしても暖簾に腕押しで、手伝ってくれたりするような仲になっているとは思いもしなかったんだけど。


「……う、うん、手伝ってくれるなら……。……その、ありがとう……」


 本当は助力なんて必要ないんだけど、もう少しリサと一緒にいたくなって、ぼくはそんなことを呟いていた。

 リサが両手を胸に当てて、すぅっと深く息を吸った。瞳を閉じて、今し方ぼくの吐いた言葉をゆっくり静かに囁く。


「……ありがとう……」


 その仕草があまりに綺麗に見えて、ぼくは見惚れてしまう。


「……ありがとう……は、この胸に染み込む……」


 意味のわからない言葉を囁いたリサは、ほんのわずか、口元を弛めていたように見えた。

 ふぅっと息を吐いて、リサが再び早見先生へと向き直る。


「いい?」

「好きにしろ。それもリハビリになるだろう」


 やはりふたりは旧知の仲なのか。いや、そんなことよりもリハビリというのはどういうことだ? これって訊いてもいい内容だろうか。


「リサちゃんは何かケガでもしていたのですか、先生?」


 そんなぼくの心配をよそにマサトが無遠慮に尋ねると、早見先生は誤魔化すように、少し寂しそうに笑った。


「……ま、そんなところだ。さあ、君達も早くカラーリングに取りかかれ。私は自分の機体をメンテナンスしてくる。何かあったら、格納庫入り口横にある非常回線の七番を押せ」


 マサトが元気よく「はいっ!」と応えた。早見先生がカジュアルな背中を見せて、格納庫から去ってゆく。


「かぁ~! カッケェぜ! さすがは今世紀最高の英雄だ!」


 マサトはやけに早見先生を持ち上げる。別にぼくだって早見先生に不満があるわけじゃない。前年度は特殊オチコボレではなく特進エリートクラスの担任をしていたようだし、人柄だって悪くない。ぼくらを死なせるつもりはないという言葉にも熱意を感じた。


 肝心の装甲人型兵器ランド・グライドの腕がどれほどのものかはまだわからないけど、帝高の実戦教師になるには、それなりの腕と、メタル戦における戦績が必要だったはずだ。

 それでもぼくの中の英雄は、やはりリサの姉と士郎だけなんだ。だからぼくは士郎に会うまでは死ねないし、あの人の妹であるリサを守ってやりたいと思う。


「イツキ、何色?」


 いつの間にかペンキ缶置き場まで移動していたリサが、ぼくに尋ねてきた。駆け寄って白のペンキ缶を二つ持ち上げる。


「白を頼むよ、リサ」


 リサが無表情にうなずいて、両腕で白のペンキ缶を抱え上げた。


「おい、イツキ。白は危ねえってさっき早見先生が言ってたろ」

「そう言うマサトだって緑の缶を持ってるじゃないか」


 それも、ただの緑じゃない。たちの悪いことに、輝きを放つエメラルドグリーンだ。派手にも程がある。

 マサトと顔を見合わせて、同時に破顔する。


「ぎゃははは! ま、正義の味方ってのぁ、目立ってナンボだしよっ!」

「だよな! ぼくの知る最高のパイロットだって、真っ黒な機体で戦ってたしね!」


 この装甲人型兵器ランド・グライドは、これからぼくらの第二の肉体になる。安全重視で愛せないカラーリングなんてしたって、メタルとの戦いを生き抜けやしないさ。生死をわける一秒の話にしたって、そんなものをアテにして動く方が危険だ。

 そんなことを語り合いながらペンキ缶を運んでいると、前を歩いていたリサが、やはり何もないところで足首をくねらせた。


「あ……」

「うおっ!?」

「どぁっ!」


 あわててぼくとマサトが彼女に手を伸ばしたのだが、全員ペンキ缶の存在を忘れていたわけで。数秒後には、ぼくらは揃って格納庫の床に派手に転がっていた。隣で倒れたペンキ缶が、容赦なくぼくらの服を白や緑に染める。


「うわーっ、やっちまったぁ……」


 すぐさま立ち上がってはみたものの、もはや制服の色はすっかり白に変化してしまっていた。

 リサが最後にのろのろと立ち上がり、猫の顔洗いのように手の甲で頬を拭った。

 ぼくとマサトがそれを見て笑うと、リサが怪訝な表情をした。


「……?」

「リサ、緑のフェイスペイントができてるよ」


 合点がいったとばかりに、リサがコクっとうなずく。


「イツキもマサトも、ひどい色してる」


 ぼくとマサトが互いに顔を見合わせて、指を差し合って大笑いをした。


「ぎゃは! イツキ、おまえ、なんつう顔してんだよ、ヨモギパンかっての!」

「あははっ、おまえだってカビ生えた大福みたいじゃないかっ」


 汚れた手で肩をたたき合い、汚れた靴でペンキ溜まりを蹴り合う。ペンキが跳ねて、リサの制服が斑模様になった。

 クラスメイトの視線が集まるのを感じてはいたけど、そんなこと気にもならない。


「てめっ、マサト!」


 楽しい。

 ドロップキックで蹴飛ばすと、マサトがペンキ溜まりを転がって笑った。


「ぎゃはははは!」


 リサは跳ね飛ぶペンキをイヤがる素振りさえ見せず、ぼくらをただ眺めていた。

 そんなことをしているうちに、ぼくらはふと気づいた。

 リサが赤い瞳を細めて白い歯を出し、確かに笑っていたんだ。

 ぼくとマサトが彼女に視線を向けた瞬間には、もう無表情に戻っていたけれど。


「……?」


 まるでたった今、自分が笑っていたことなど気づいていなかったかのように、リサが不思議そうに首をかしげる。

 ま、いいさ。良いものが見られたってもんだ。


「っしゃあ! ここまで汚れちまったら怖いもんは何もねえっ。さっさと終わらせちまおうぜ、おふたりさん!」


 マサトが汚れた手で、ぼくとリサの背中を叩く。


「あ……」


 カラダの小さなリサが前に転がりかけて、ぼくの制服の袖をちょいとつまんだ。袖が緑に染まったって気にしない。ぼくは塗料だらけの腕で彼女の手を取った。


「ありが……とう……。……イツキ……」


 探り探りに戸惑うように紡がれた言葉。片腕だけで支えられる彼女の軽さと、掌に感じる柔らかさが胸を高鳴らせる。


 ああ、そうか。さっきリサが呟いていた言葉「ありがとうは、この胸に染み込む」は、確かにそうだと思った。

 ぼくは急に照れくさくて、半笑いで誤魔化す。きっと顔、真っ赤だ。

 悪くない。いいや、ここは最高だ。居心地がいい。

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