第二話 お金でも薬でも<後>
「エルディエルの公女、アルディラの居場所を知っている」
怪訝そうに振り返ったルスティナを、真面目な顔つきで見返して、グランは繰り返した。
「事情があって、本人に口止めされていた。隠れ続けているのもあいつの意思だ。それを直接、本人からエルディエルの部隊に説明させれば、この事態を収められるだろう」
ルスティナの問うような視線に応えて、エレムが大きく頷いた。
こうまでなってしまうと、アルディラ本人に出てきてもらうしかないだろう。公女の気まぐれな家出というだけでは、もう済まない騒ぎになってしまった。
「……グランはここに来たとき既に、姫君の居場所を知っていたというのか?」
詰問というよりは、確認する、というような淡々とした口調で、ルスティナがグランを見た。
「我らがエルディエルから公女誘拐の嫌疑をかけられていると知りながら、それを今まで黙っていたのか?」
あまりにも淡々としていて、質問の下にどんな感情があるのか測れない。ただ事実を確認したいだけなのかも知れない。怒りを抑えているのかも知れない。
「出会ったときに本人に脅されたんだ。自分をかくまわずに居場所を通報したら、俺に誘拐されたって騒いでやるって。まさか自分が逃げ出したことが誰かに利用されて、こうまでこの国に迷惑をかけるような事態になるなんて、思わなかったんだろ」
「本当にその娘がアルディラ姫という確証はなにで得た? そなたらに宿と食をたかるために偽っているだけかも知れぬぞ?」
「世話役の神官見習いが一緒にいるんだよ。あいつは風を操れる。エルディエルの神官には、風の固まりで建物を壊すことができる奴もいるって言ってたのも、あいつだ」
ルスティナの眉が動いた。そういえば、ルスティナはグランに『逃げ出したエルディエルの姫君』の話をした時も、アルディラと行動をともにしている者がいるとまでは言わなかった。
そういう情報が、捜索の協力をしている相手に伝えられないわけがない。グランとの話の中には含めなかっただけで、アルディラはお供の神官見習いと一緒だということを、ルスティナも知っているのだ。
「所属は違っても、ルアルグの神官の皆さんも、この大陸の神を信仰してることに変わりはないんです」
黙っていられなくなったらしく、エレムが一歩前に踏み出した。
「いくら天空神ルアルグがエルディエルの守護神で、アルディラさんを助けるという大義があるとは言え、こんな風に人を傷つけかねない法術の使い方は法術師の皆さんの本意ではないはずです。しかも、これは何者かに誤導された上での攻撃で、少なくともアルディラさんの失踪にこの国は何の責任もない。双方の為にも、これ以上被害が拡大する前に止めなくては」
ルスティナに見据えられても、エレムは怯まなかった。ルスティナは少しの間、二人を見返した後、
「……では、アルディラ姫に協力いただく為に、私にはなにができるだろう」
相変わらず表情の読めない顔でさらっと言われたので、今度はこちらが言葉の意味を飲み込むのに間があいた。一瞬置いて、エレムの顔が明るくなった。
「知っていると言ったが、俺がここに来た後でアルディラ達は居場所を替えているから、案内できるのはエレムだけだ」
グランは答えて、エレムに視線を向けた。
「ルスティナを案内してアルディラを引っ張り出せ。俺やお前の説得だけじゃだめだろうが、ルスティナが行けば、事態の深刻さが判るだろ」
「はい」
「高い場所からリオンの法術で風を起こせば、エルディエルの奴らの所まで声を届けられるはずだ。アルディラが自分でまいた種だ、あいつにちゃんと刈り取らせろ」
その撒いた種の中に、とんでもないものが混じって一緒に育ってしまったわけだが。
ルスティナが少し表情をゆるめてなにか言いかけたが、遠くでまた新たな振動をが起きたのが足下から伝わってきて、姿勢を硬くした。
幸いにも攻撃はあまり立て続けには来ない。どうやら、あの距離を越えてまで、建物を壊せるほどの力を持った風の固まりを作るには、向こうもそれなりに時間が必要なのだろう。
「とにかく出よう、どこが狙われるかわからない」
言いながら、ルスティナがベランダに向かって歩き始める。柱の間からベランダに出ると、空は相変わらず爽やかな青さで、日差しも心地よい。
見下ろす中庭は、月花宮の建物が盾代わりになっているらしく、所々瓦礫が落ちている以外はほとんど無事だった。カイルご自慢の温室もいまのところ無事だ。
こちらから見る限り、本館や黒弦棟には特に被害がない。やはりエルディエル側は、月花宮と白弦棟を攻撃目標にするよう教えられているのだろう。
西側の城壁の上に立つ塔の先端が欠け壊れて、そこから吹き飛んだ屋根の一部が屋根に乗って食い込んでいるのが、こちらから見える月花宮の一番派手な損傷だった。ただこちら側は、エルディエルの部隊が展開している場所の陰になるから、反対側の壁がどうなっているかは判らない。
三人はベランダから、庭に降りる階段へと向かった。細くて急な階段を降りきった先で、侍女が二人、座り込んで身動きがとれないでいるのに出くわした。月花宮から中庭を横切ってこちらまで逃げてきたところで、腰が抜けたらしい。
「……大丈夫か、怪我はしていないか」
「る、ルスティナさまぁ」
記憶にある顔だと思ったら、この二人、渡り廊下の一階でグランがカイルに話しかけられていたときに、ルスティナと一緒にカイルを追いかけてきた者達の中にいたはずだ。
ルスティナの顔を見て安心したのか、片方の娘は座ったままぼろぼろ泣き出し、もう片方の娘は慌てた様子で立ち上がる。こちらの娘は、恐怖で動けなくなってしまったわけではなく、腰が抜けてしまった仲間を置いていけずに、ここでおたおたしていたのだろう。
「他の者はちゃんと逃げたのか」
「それが、あの」
泣いていない娘が、月花宮を指さした。
「カイル王子が、いくら呼びかけてもお部屋から出てくるのを嫌がられて、そこへ大きな揺れがあって天井からすごい音がしたもので、私たち思わず逃げ出してしまったのです」
ルスティナがぎょっとした様子で月花宮を振り仰いだ。確かに、西側の城壁から突き出ていた塔が折れ、月花宮の建物を一部押しつぶしている。どうやらカイルの居室はあのあたりらしい。
「他の者も何人か逃げたのは見たのですが、カイル様と、あと、カイル様のお部屋の前で呼びかけてた者がちゃんと逃げたかまでは、壁が崩れてきて見えなくて、その」
グランは思わずルスティナの手首を掴んだ。反射的にルスティナが月花宮へ向けて駆け出そうとしたからだ。どうやら、カイルのことになると感情が先に走るきらいがあるようだ。
「落ちつけよ、この二人がここまできてるってことは、たった今崩れたわけじゃないんだろ。もうほかのやつらと逃げ出してるかも知れない」
「しかし」
「落ちつけって!」
グランは思わず声を張り上げた。
「あんたがアルディラを引っ張り出してくれないと、この攻撃自体が終わらないんだ。攻撃がやまないと、中に逃げ遅れた者がいたとしても、探しに入ることもできない。それにあんたがいなきゃ、シェルツェルの私兵に対抗するために、全軍がまとまることもできない。対応が後手後手に回れば、シェルツェルがその分有利になるんだぞ!」
グランの腕を振り払おうとしていた動きが止まった。
「カイルもなんだか知らないが『嫌がって外に出てこない』ってふざけんな、そのせいで周りの奴らまで一緒に危険なめにあわせるなんて、王族の自覚もへったくれもねぇじゃねぇか。あんただってこの国の将軍なんだろ? 国を守るためには、王も王子もあんたも、まず自分の身を守らなきゃダメなんじゃねぇの?」
ルスティナがはっとしたようにグランを見返す。
なんだか勢いでいいことを言ってしまった気がするが、グランとしてはさっさとルスティナに、アルディラを引っ張り出してきて欲しいのだ。
このままルスティナが月花宮に行ってしまったら、他の副司令の誰かに一から説明のやりなおしで、それがルスティナ相手のときほど順調にいくとはわからない。流れをいちから説明してる間に月花宮が潰れて王子もルスティナも行方不明、グラン達は城を壊滅に導くきっかけになった極悪誘拐犯扱いというオチだってありうる。
ルスティナも、グランの言うことを頭では判っていようだが、こういうのは理屈ではないから、すっぱり切り替えができないのだろう。しかし悠長に、ルスティナが気持ちに整理をつけるのを待ってもいられない。
グランは両手でルスティナの腕を掴み、これ以上はないほどの真剣な瞳でルスティナを真っ向から見据えた。
「代わりに俺が見に行く。それなら文句ないだろう?」
「えっ?」
「王子がまだ逃げてないようなら、俺が首根っこ捕まえてでも引きずり出してくる。だからあんたは早くアルディラの所に行って、この国を守れ」
言っているうちに自分が本当に、この国の存亡と王子の身を心底案じてるような気分になってくるのが危ない。言葉というのは恐ろしい。
「……判った」
腕からグランの手を外そうと、右手に重ねた手を一瞬強く握り、ルスティナはグランをまっすぐ見返して頷いた。
はたから見たら、それはとても絵になる図だったろう。この時ルスティナの心の中に、王子へのものとは違う種類の特別な感情がグランに対して生まれた……かどうかは、後日確認する機会があることを祈るしかなさそうだ。
判っているのかいないのか、エレムが感動した様子で二人のやりとりを見守っている。お前が騙されてどうすると、グランは心から言いたかった。
グランの心の声は通じなかったらしいが、ルスティナの心が決まったのはエレムにも見て取れたのだろう。座り込んでいた侍女が立ち上がるのを助けながら、エレムはグランに向かって小さく頷いた。グランも無言で頷いた。いいからさっさと行け。
グランはもう一度、月花宮の建物を眺めた。西の塔の頭が乗っている位置を確認し、すぐに中庭の草花を踏み越えて駆け出した。
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