第三話 漆黒の傭兵と古代の太陽<前>

「ルスティ……いや、閣下、無事であったか」

 白弦棟から避難した使用人達を、城門前の広場へ誘導していたエスツファは、それぞれに侍女を支えて建物の裏手から現れたルスティナとエレムを見て安堵の笑みを見せた。近くにいた兵士らをまとめていたフォルツも、気付いて近寄ってくる。

「二人だけであるのか? 元騎士殿は?」

「グランには月花宮へ行ってもらっている。王子が逃げ遅れたかも知れないのだ」

 近くにいた別の使用人に侍女達を託すと、辺りの様子を見回しながら多少声をひそめた。

「逃げ出していたアルディラ姫と従者の居場所が判った。私はエレム殿と共に姫を迎えに上がり、姫ご自身にエルディエル側の誤解を解いていただかねばならぬ」

「なんであると?」

 さすがに驚いた様子でフォルツとエスツファが声を上げる。

「エレム殿も一緒?」

「確かな話なのであるか?」

 同時に問い返され、ルスティナの横でエレムも大きく頷いた。

「事情は後でお話しします、とにかく今は一刻も早く事態を収めないと」

「今はこれしか現状を打破する手だてがない。私とエレム殿が城から離れている間、貴殿らは黒弦白弦の兵を集めてシェルツェルの……」

「これはご無事でなによりであるな、半月将軍よ」

 わざとらしい声に割り込まれ、全員がその先に視線を向けた。四十人ほどの兵を従えたロウスターが、品がよいとはとうてい言えない笑みを浮かべて、ルスティナとその周りの将官達を眺めている。

 ロウスターの従えているのが黒弦の兵ではなく、シェルツェルの私兵だと気付いて、ルスティナが険しく目を細めた。

「ロウスター殿、まるでこのような事態が起きるのが判っていたかのような周到さだな。シェルツェル殿にでも教えてもらっていたのか?」

「不測の事態に柔軟に対応できるよう備えておくのが、総司令の心構えであろう?」

「それは頼もしいな、一刻も早く月花宮から逃げ遅れている者達を助けに参られよ」

「まさか。あんな攻撃の中、大事な兵を送り込むわけにはいかんよ。使用人はいくらでも替えが効くが、兵力は貴重だからな」

 ロウスターはルスティナの言葉を鼻で笑い飛ばした。

「おれは王と宰相の命により、乱心した王子と、王子を諫めもせず公女の監禁に加担している国賊どもを捕らえに来たのだ」

「国賊?」

 険しい目つきで睨みつけるルスティナやフォルツとは対称的に、エスツファがにやりと笑みを見せた。

「鏡にでも喋っているのであるかな?」

「あんたのその減らず口も、もう聞けなくなると思うと寂しいよ」

 ロウスターは口元だけで笑うと、丸まった書状を胸元から取り出し、胸の前で大きく広げた。

「白弦総司令ルスティナ、貴殿、白弦騎兵隊の長である身ながら、ククォタの甘言に弄されたカイル王子を諫めもせず、公女の監禁に加担した疑いにより拘束する。貴殿に与(くみ)する者らも同様の疑いで捕縛する」

 騒ぎに気付いて、周りに集まり始めていた兵士達や使用人がどよめいた。

 もちろんロウスターの言うことなど、誰も信じてはいない。だが、持っている書状は本物だ。

「お父上は、立派な方であられたのになぁ」

 哀れむような淡々としたエスツファの言葉を、ロウスターは野卑な笑みで受け流した。自分の背後に揃うシェルツェルの私兵達に視線だけを向け、右手を振り上げる。

「カイル王子をそそのかし、エルディエル公女の監禁に加担した国賊どもを……」

 気分良く口上をあげるロウスターが最後まで喋りきる前に、ルスティナ達の背後から白い影が飛び出した。

 無言で背中の剣を引き抜きながら、自分めがけてひた走ってくるエレムに得体の知れない迫力を感じたらしく、ロウスターはあたふたと剣を抜いた。周りの兵士らは、予想外のことにとっさに動けずにいる。

 抵抗されるにしても、号令が終わってからだと思っていたのだろう。しかも出てきたのは、今の話にまったく関係のない金髪の若い神官である。

 ロウスターが構えらしい形をとるより先に、エレムは抜いた剣を横薙ぎに一閃した。鈍い音がして、黒銀に輝く剣身が、ロウスターの剣を容易に手からはじき飛ばした。

 いつものエレムなら、そこで終わりだったろう。だが、エレムは続けざま、丸腰になったロウスターの体を正面から袈裟懸けに斬りつけた。右肩から左脇に一度、返す刃を左肩から右脇へ。

 ロウスターの巨体は衝撃で後方に吹き飛び、背後にいた数名の兵士を下敷きにして背中から地面に倒れた。

 その場にいた者全てが、正面を斜め十字に斬りつけられ血だまりの中に倒れるロウスターの姿を想像し、目を向けた。だが実際には、ロウスターは目を回して倒れているだけで、エレムの白い法衣にも、黒銀の刃にも血のようなものはついていない。

 エレムは剣を構えたまま、ロウスターの背後にいる兵士達をぐるりと見回した。

「僕の剣には刃がないんです。でも大陸最高の強度と硬度を誇るサルツニア産鋼鉄の剣身ですから、骨や内臓の保証はできません。ロウスターさんは、斬られて死んでいた方がましだったと、後で思うかも知れません」

 白い法衣姿のエレムが持つ黒銀の剣が、陽光を反射して鋭くきらめく。気圧された様子で後ずさったシェルツェルの私兵達に向けて、エレムは更に声を張り上げた。

「この非常時に、同胞を助けることもせず、私欲による策謀で更に国を混乱に陥れようとするなどもってのほかです! そんな人達に黙って従っていてどうするんですか! あなた方も一国の兵士であり騎士であるなら、本当に護るべきものを一番に護りなさい!」

 一気にそう言い切ると、今度はシェルツェルの私兵達に向かって地を蹴った。

 慌てた様子で何人かが剣を抜いたが、エレムの動きは更に素早かった。抵抗の様子を見せた兵士達の剣が、まともに打ち合う間もないまま叩き落とされ、宙に躍る。それを追いかけるように、腹に剣を打ち込まれた兵士が体をくの字にして地面にくずおれ、あるいは胸を打たれて気を失っていく。

 なぎ倒す、と言っていいほど圧倒的なエレムの独壇場だった。体の大きなロウスターが真っ先に倒されたことで完全に機先を制され、四十人ほどの兵士が、たった一人のエレム相手に逃げ腰になっているのだ。

「……なんだか一気に突き抜けた気がするな、エレム殿」

「さっきの法術といい、文字通り気持ちの枷が外れたのであろう」

 ぽかんとした様子で呟いたフォルツにそう言うと、エスツファは声も出ないルスティナの腕を肘でつついた。

 はっと我に返ったルスティナは、にやりと笑ったエスツファに、自分も笑顔を見せた。すぐに表情を引き締め、将官の証のついた剣を引き抜き、空に向けて振り上げる。

「混乱に乗じ王権の私物化を目論む、奸臣シェルツェルの手先どもを捕らえるのだ! ルキルアの騎士の誇りを踏みにじる者どもを、断じて見逃してはならぬ!」

 陽光の下で、剣とともにルスティナの銀色のマントが燦めき、周りの者にそれはまるで、月の女神の降臨を思わせた。一拍を置いて、周囲で様子を見ていたほかの兵士達が賛同の咆哮をあげた。



 エルディエルからの攻撃は、小休止に入ったらしい。グランが中庭を横切って月花宮の中に入るまでは、特に何事もなかった。

 月花宮の建物自体はそんなに複雑な作りではないのだが、階段の位置が各階によって違うのだ。敵に攻め込まれたときの対策なのだろうが、外からはざっと目的の場所が判るのに、すぐにたどり着けないのだからもどかしい。こんなことなら、もう少しうまくカイルに取り入って、宮殿の案内くらいさせておけば良かった。

 中は静まりかえっている。やはりほとんどの者らは避難してしまったようだ。おかげで道を聞ける相手もいない。

 全体の大きさの割に、無駄に走り回った気がする。グランがやっと、カイルの居室があるはずの四階にたどり着いた頃、また遠くで大きな音がした。エルディエルが攻撃を再開したらしい。遅れて床から地響きのような振動が伝わってくる。

 中央の廊下から、中庭に面した回廊に出ると、本館や白弦棟の建物を後ろから眺める形になる。白弦棟の正面ホールの屋根に当たる部分が半分綺麗に抜け落ちていて、さすがにグランも改めて背筋が寒くなった。あんなのが落ちてきた、その真下にいたのだ、自分達は。

 ふと、人の声が聞こえたような気がして、グランは首を巡らせた。回廊の奥、月花宮の西に当たる部分の天井が一部崩れて、瓦礫が大人の腰ほどに積もって小山を作っている。どうやら声はその更に奥から聞こえてくるようだ。

「……さん、早くいきましょうよー」

「嫌だ、僕なんかいなくたって誰も困らないんだ」

 回廊の柱が無事なので、今のところ、更に天井が崩れる気配はない。グランは積もった瓦礫に足をかけ、その奥をのぞき込んだ。

 瓦礫の山から少し離れた場所にある、開いた扉の前で、小さな人影がふたつ、押し問答をしていた。一人はうずくまり、もう一人はうずくまった者の腕を取って必死に引っ張っている。うずくまっているのがカイルで、もう一人は侍女のようだ。

「その証拠に、みんな僕を置いて逃げてしまったじゃないか。僕なんかここで瓦礫に埋まって死んだ方がいいって、みんな思ってるんだ」

「天井が崩れたからびっくりしただけですよー。危ないから早くいきましょうよー」

 呼びかけているのは、逃げる気力を失った王子を果敢に励ます忠実な侍女……というより、遊びに行くのを渋る友達を引っ張り出そうとするような緊張感のない声だ。使用人用の黒い服に白いエプロン姿だが、カイルよりも幼い娘のようだった。肩でそろえた髪と耳元で光る乳白色の耳飾りに、なぜか見覚えが……

「ランジュ?!」

「あっ、グランバッシュさま!」

 カイルの腕を引っ張っていたランジュは、グランの顔を見るとぱっと顔を輝かせて大きく手を振ってきた。

「……お前、なにやってんのここで」

「カイルさんのお世話しててねって頼まれましたー」

 腹立たしいくらい無邪気な笑顔でランジュは答えた。

「目が覚めたら、この建物の全然知らない部屋で寝ていて、そこで着替えをもらって、グランバッシュさまが迎えに来るまでカイルさんのお世話をしてなさいって言われたんですー」

「誰に?!」

「男の人か女の人かよく判らないけど、真っ白な服を着た綺麗な人でしたー。あっ、広場で見た綺麗でかっこいい女の人にも『かおあわせ』で会いましたよー。小さいのにえらいねって褒めてもらいました」

 グランは膝が崩れそうになった。

 つまりランジュは、自分が体中痛い思いをしながらランジュを連れて行った奴らの手がかりを探していた頃から、ずっとここにいたのだ。グランがルスティナに呼ばれてここに来たとき、『新しい侍女との顔合わせがある』とルスティナが中座したではないか。

 そうなると、月花宮でアルディラらしい娘の目撃情報があったという噂は……こいつか、こいつなのか。

「そうそう、グランバッシュさまも手伝ってくださいよー。カイルさんってば、危ないから逃げましょうっていわれたのに、全然動かないんです。みんなはちゃんと逃げたのに」

「城がこんな攻撃をされてるのは、僕のせいなんだ」

 うずくまり、ふたりに背を向けてカイルは繰り返した。

「みんな本当は、僕なんかここで埋まってしまえって思ってるんだ」

「誰もそんなこと言ってなかったですよー」

 観客が増えたせいか、よりかたくなになって、カイルはランジュの手を振り払う。

 ……ランジュがさっさとこいつのことを放り出していなくなってれば、逆に勝手に一人で外に出て行ったんじゃねぇの?

 半分げんなりしたものの、遠くから響く大きな音に気づき、グランは少し表情を引き締めた。離れてはいるが、伝わってくる振動がさっきより大きい。のんびりしてもいられない。

 しかし揺れたのが判ったはずなのに、カイルは立ち上がろうともしないのだ。

「父上も新しい母上も、僕よりも弟が王位を継げばいいと思ってるんだ」

 グランが近づいても、カイルは膝を抱えて丸くなったまま、壁に向かってまだぶつぶつ呟いている。明らかに、人に聞かせるための呟きだ。

「王族に生まれたのが間違いだったんだ、なににも縛られない自由な民に生まれたかっ」

 グランは思わず、振り上げた右足でカイルの後頭部を蹴り倒した。

 なかなかいい音がして、世継ぎの王子が顔から壁に突っ込んだ。さすがにランジュも目を点にしたのが、視界の隅に見えた。

「なっ、なにをするっ」

 そんなに力を入れていないが、蹴られたこと自体が衝撃(ショック)だったらしい。カイルが勢いよく立ち上がって振り返った。額と鼻が赤い。

「仮にも王族の人間の頭を蹴るとは何事だ! 僕はこの国の」

「さっきと言っていることが違うぞ」

 面白くなさそうに突っ込みながら、グランはカイルの襟元をつかみあげた。殴られるとでも思ったらしく、カイルが小さな悲鳴を上げた。

 グランは襟元をつかんだまま、かかとが浮くくらいにカイルの体を引っ張り上げ、回廊の手すりまで引きずって行った。カイルの胸元を手すりに押しつける。

 眼下には一部崩れた白弦棟の建物と、遥か下には瓦礫が所々に散った庭園がある。

「お前さ」

 グランはあごで中庭を示した。その一角には、この前シェルツェルが手に入れてきた異国の植物の株が、見目良く均等に植えられている。

「あの株ひとつ買う金を稼ぐのに、広場の水売りの娘が何杯果実水を売ればいいか、知ってるか?」

「え……?」 

 予想もしていない質問だったらしく、カイルが目を丸くした。

「あの温室を一日維持する金で、この町の一家族六人が何日不自由なく食えるか、考えたことあるか?」

「それは……」

「集めた税金で、お前らが不自由なく暮らすだけならまだしもだ。まだ子供のお前まで趣味に湯水のように使うのを、この国の人間が許すのはなんでか判ってるか?」

 カイルは何か言おうとしたが、結局言葉が思いつかなかったらしい。グランは続けた。

「王族であるお前に投資してるからじゃないか、いずれ王の跡を継いでこの国を治める人間を育てるためなんだよ。それをなんだお前は、散々自分の好きなように趣味に没頭するだけ、権利だけは好きなように使っておいて、王子の責任はほったらかしじゃねぇか。それでいざ都合が悪くなったら、僕は王族にふさわしくない? 自由になりたい? 自分で城を飛び出す気概もないくせに、口ばっかりいっぱしのこと言ってんじゃねえよ」

 今まで考えもしなかったことなのだろう。カイルは庭に目をやったまま呆然としている。

 腕が疲れてきたので襟を離したら、そのままカイルは力なく床にへたり込んだ。グランはだるくなった手首を軽く振り回した。

「自由になるのもいなくなるのも勝手だが、その前にやることはやってけ。とりあえず今は無事に外に出て、エルディエルの奴らに自分のしたことを釈明しろ。その後でなら好きなだけいなくなりやがれ」

 返答はない。ないが、グランが改めて腕をつかんで引き上げたら、今度は抵抗せずに立ち上がった。話が一区切りついたのを察したらしいランジュが、とことこ近寄ってくる。

「……お前も行くぞ。まったく、ルスティナに会ったなら、ひとこと俺の名前を出せばいいじゃねぇか」

「グランバッシュさまが迎えに来るまで、グランバッシュさまのことは誰にも言っちゃいけないって、言われてましたー」

 瓦礫を乗り越えて来た道を戻ろうとしていたグランに、ランジュが悪気なく答えた。

「だから誰にだよ」

「ここに私を連れてきた人ですよー。白い布をすっぽりかぶってたから、男の人か女の人か良く判らなかったけど、とても綺麗な人でした」

 なにを思いだしたのか、うっとりとした様子で答えたその視線が、不意にグランから別の所に移った。

 瓦礫の小山の向こう、グランが今たどってきた回廊の先に、さっきはいなかった人影が佇んでいる。フードのついた真っ白いクロークで全身を覆い、口元をスカーフで隠した、一見しただけでは男か女か判断のつかない細身の人物。

 イグだ。

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