第五話 風前の王子<後>
「そういや、……エルディエルの守護神ルアルグは天空神で、その法術師は風を操るんだ。中には、風の固まりで馬車を吹き飛ばしたり、建物を壊すような力を使えるものもいると……」
「それは……」
すぐに意味を悟ったらしく、ルスティナが言葉を失った。
この攻撃がルアルグの法術師によるものなら、当然大きな攻城兵器など不要だ。馬と人間だけなのだから、その分移動時間も短縮できる。
それに飛び道具で攻撃できるなら、間にある川と湿地帯は逆に攻撃側に有利に働く。こちらに何人兵がいようと、すぐ近づくことができないし、この距離でこれだけ威力のある攻撃ができるのなら、向こうに視認された時点で蹴散らされてしまう。逆に、それが可能だから、あの位置に展開していると考えた方が妥当だ。
しかし、彼らの目的が『城にとらわれている姫君の奪回』だとしても、遠距離から攻撃するだけでは決め手に欠ける。遠距離攻撃で敵の拠点を混乱させて、その隙に別動隊が突入して、姫君を奪還できるような手だてを……
「……ひょっとしてシェルツェルは、エルディエルに取り入るためにカイルを売ったんじゃないのか」
グランの言葉に、ルスティナがはっとした様子で顔を向ける。
「いや違う……、カイルを排除するために、今の状況を利用してるんだ。『姫は王子の宮殿にとらわれていて、王と自分は何度も公女を解放するよう説得しているが聞き入れられない。王子には白弦騎兵隊を筆頭とした軍の後ろ盾があり、奪回するのは難しい。しかし外からエルディエルの部隊が攻撃して城内を混乱させてくれれば、その隙に自分の私兵が王子の宮殿に乗り込み、必ずや姫を奪回してみせましょう』なんてさ」
「そんな……」
『……はエルディエルの……である』
ルスティナの戸惑う声にかぶせるように、窓の外から声が入り込んできた。不安定な揺らぎがあるが、なぜかかなり近いところから聞こえていると思える声だった。
『……たしは、エルディ……の第八騎兵隊指揮官オルクェル将軍である。カイル王子並びにカイル王子に加担するルキルア軍兵士達に告ぐ』
「ど、どこから……?」
フォルツが窓から首を出し、きょろきょろ周りを伺っている。エレムが川向こうに目を向けた。
「声を風に乗せて、こちらに届けてるんじゃないでしょうか」
「そんなことまでできるのか?!」
「この距離を、あれだけ威力のある風の固まりをとばせるなら、それくらいはたぶん……」
『……れわれは、カイル王子がククォタと共謀し、我が国の公女アルディラ様を監禁している、その明白な証拠となる書状を手に入れた』
こちらの狼狽などお構いなしに、風に乗ってくる声は淡々と話を続けている。
『エルディエルはカイル王子一派を賊とみなし、これよりルキルア王城への報復措置を執り行う。我々としても不本意な攻撃故、カイル王子とそれに加担する者らには、投降とアルディラ様の身柄の一刻も早い引き渡しを求める』
淡々としてはいるが、それがかえって有無を言わせぬ感じで、聞く者に焦りを与える効果がありそうだった。
『良心ある者は王と宰臣の言葉に耳を傾け、アルディラ姫の救出とカイル王子の捕縛に協力するよう心せよ。繰りかえす……』
「なかなかやってくれるな」
オルクェルの最後のひとことで納得がいったらしいエスツファが、逆に感心したように声を上げた。
「シェルツェルめ、借金まみれの三流貴族時代からは考えられない、鮮やかな策氏ぶりであるな。よほど優秀な参謀がついたのであろうな」
「でもあんなこと言われても、肝心の公女が城にいないよな。攻撃させたあと、どうする気なんだろう。シェルツェルだって、実は公女はいませんでしたじゃ済まないだろ」
「事実誤認が判れば、いくらエルディエルの将軍だって言い訳できないぞ。シェルツェルの言い分だけ聞いて先走っちまって、後でどうするつもりなんだ」
「後のことより、今どうするかですよ!」
呑気なやりとりに、見かねたエレムが声を張り上げた。ルスティナが頷いた。
「城内の者を避難させて、エルディエルの誤解も解かねばならぬ。とにかく今は外に出て体勢を整えよう」
言いながら、ここからは一番近い出口であるはずの、本館へ続く渡り廊下の方へとルスティナが首を向けた、その瞬間、
かなり近い場所から再びの轟音と振動が起き、全員が反射的に床に伏せた。窓から入り込んだ突風が扉や壁を叩き、遠くでなにかが崩れた音、使用人達の悲鳴も聞こえてきた。
突風が過ぎ去り、身を起こした全員が窓の向こうに見たのは、白弦棟から本館へ続く渡り廊下の中央が、大きな手で握りつぶされたように崩れ潰れた姿だった。
「いやはや……狙ったとしたら恐るべき命中率だな。事が済んだら、ルアルグの法術師殿を何人か我が軍に引き抜きたいものだ」
威力を目の当たりにして全員があっけにとられている中で、エスツファだけが心底感心した様子で呟いた。
城内は一気に大騒ぎになった。
さっきのエルディエルからの宣言は、風に乗って城内にいるほとんどの人間の耳に入っている、非常事態を告げる鐘の音も必要がないくらいだった。
二階から本館へ続く渡り廊下が潰されてしまったので、グラン達が階下に降りて外に出るには、建物正面のホールにある階段を利用するしかない。兵士達はもとより、城内で働く使用人なども避難させなければいけないのだ。
避難しようとする兵士や使用人達の流れは一定方向で、割と秩序だっていたが、次はどの場所が攻撃されるか判らない。建物内で誘導する方もされる側も、やはり浮き足立っている。
しかしこの状況でも、廊下に面した各部屋に人が取り残されていないかを確認しながらルスティナ達が進むのには、さすがにグランも舌を巻いた。
「構わぬから、怪我をせぬように気をつけて急げ」
部屋から飛び出したものの、ルスティナの姿を見て追い越すのをためらう使用人達を先に行かせてやってもいる。彼らを教育した前黒弦総司令フェルザントは、よほど良くできた人物だったのだろう。
早足で歩いている間にも、一度足下から弱い揺れを感じた。ここからは比較的遠い位置に風の固まりが打ち付けられたのだろう。それなりに向こうも手加減はしているのだ、今はまだ。
「外に出たら、フォルツ殿は他の副司令達と各隊を編成し、出撃準備を整えてくれ。エスツファ殿は黒弦の副司令達に、この攻撃がシェルツェルの目論んだことだと説明し、白弦と連動して兵を整えるように伝えて欲しい。場合によってはシェルツェルの拘束が必要になってくるかも知れぬ」
廊下から吹き抜けの正面ホールの踊り場に出た所で、下の様子を伺いながらルスティナが口を開いた。
「閣下は?」
「私はグラン達と共に、王子の無事を確認してくる。警護兵が全員を外に誘導しているだろうが、月花宮のほうがここから城壁に近い分、攻撃で建物が損壊して逃げ遅れている者もあるかも知れぬ」
「それはダメだ、ルスティナ」
珍しく、エスツファが真面目な顔で即答した。
「その役目こそフォルツ殿にでも任せて、今は貴殿が陣頭に立って兵をまとめなければならん。ロウスターが役に立たない今、黒弦と白弦が揃ってシェルツェルの私兵を押さえ込むには、総司令の存在が絶対必要だ」
「しかし……」
「お飾りでも、ロウスターは黒弦の総司令だ。副官が五人いたって権限をごり押しされたら勝てぬよ」
ルスティナは硬い表情で頷いた。泣き所と言うだけあって、カイルの存在はやはり大きいのだ。
一階以外の各階から出口を目指してきた人波は、このホールで合流し階段を降りて外に出て行く。騒がしく慌ただしいが、上から見た感じあまり混乱はない。
「閣下、ご無事でなによりです」
踊り場の反対側から出てきた兵士達が、ルスティナを見てほっとしたように声をかけてきた。マントはないが、そこそこ階級が上の兵士のようだ。
「二階北側は避難完了しました。今のところ怪我人はおりません」
「そうか、外に出たらすぐに各隊ごとに集合しいつでも動けるように……」
ルスティナが言いかけたのに被せるように、大きな振動が起きた。突き上げるような、という以上に、建物全体が揺れるような衝撃だった。
二階の踊り場にいたから、揺れもひときわ大きく感じたのかもしれない。飾られていた絵画やよく判らない飾りものが床に落ちてくるので、グラン達は腕で頭を庇いつつ、壁や床に手をついて体を支えた。同時に、階下から重さのある大きな物が転がる、鈍い音が響いた。
叫び声が聞こえた。まだ続く揺れや落下物に怯えるのとは別の種類の、切実な悲鳴だった。
それぞれが手すりにつかまって立ち上がると、一階のホール両脇に飾られていた半身半馬の石像が台座から転げ落ちて、避難中の使用人の下半身に折り重なっているのが見えた。頭を庇っていたエレムが、同じように階下を見下ろして、息を飲んだ。
ホールで誘導に当たっていた兵士達が、倒れた像とその下敷きになった者の側に集まってきた。ほかにも、立ち止まって助けようとする者と、そのまま外逃れ出ようとする者で、避難する流れが変わり、滞りも出始める。しかし立ち止まった者達も、倒れた像をどうすればいいのか、とっさに判断がつかないようだ。
真っ先に動いたのは、エレムだった。飛ぶように階段を駆け下りていくエレムにつられたかのように、ルスティナがマントを翻し、一拍遅れてエスツファとフォルツ、その後を今合流した兵士達も追いかける。グランは周りを伺いながらその後に続いた。
「合図と一緒に一斉に持ち上げてください、そちらの方は少しでも像が浮いたら、この人を引っ張り出して!」
振動が続いて、砂埃や壁石のかけらが時折落ちてくるのも全く目に入っていないようだ。エレムの声に気圧されて、周りに集まっていた兵士達が像に手を差し出した。それを受けて、ルスティナが更に細かく位置の指示を飛ばす。
「いきますよ、……せーの!」
声にあわせて、少し浮き上がった像の下から、使用人の体が引き出された。
足は潰れてはいないようだが、下敷きになっていた使用人は気を失っているようだ。その頭の近くに片膝をついて、エレムが意識を確認するために呼びかけている。
周囲に一瞬安堵の空気が漂う、それとほぼ同時に、頭の上で雷のような轟音が響いた。
大きな揺れがきた。視界がぶれる。慌ただしいながらもそれなりに整然としていたホール内の人の動きが、一転して大混乱になった。
裂けた天井の隙間から、爽やかな青空が屋内で犇めきあわてふためく人間達を明るく照らし出した。
天井の裂けた部分はどうなるか。ただの瓦礫の固まりになって、真下の人間達に覆い被さってくるだけだ。呆然と見上げる者、頭を抱えてうずくまる者、出口に殺到する者、一部は逃げ出すのに間に合うかも知れないが、大多数は間に合わない。もちろんグラン達も。
ルスティナは天井を見上げて立ちすくむ側だった。グランはとっさに、その体を抱えて床に転がっていた。
かばって伏せたところで、この状況でなにが変わるわけでもない。瓦礫と体が接触する時間が、ほんの少し延びるだけだ。でも、運が良ければ転がった像が、瓦礫と床との間に人間が伏せていられる程度の隙間を作ってくれるかも知れない。
「地上のすべての命の守り手レマイナよ!」
天井の裂け目から入ってきていた外の光が、落ちてくる瓦礫に遮られて、周囲に再び影が差した。悲鳴と怒号と轟音の中で、叫ぶような声がグランの耳に入った。記憶にある人間の声だった。
「その大いなる御腕で罪なき命を……ここにいる人たちを、……たすけて!」
最後の辺りは、祈りの言葉を選ぶ余裕もなかったのだろう。
伏せた床、床全体から、とてつもなく凝縮された力がわき上がってくるのが判った。目に見える光を放つわけでも、熱を帯びているわけでもない。力の固まりというしかないそれは、床に伏せ、うずくまり、立ちすくむ者達の体を、ガラスを通る陽光のようにすり抜け、一瞬でホール全体に広がる。
時が、止まった。
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