第四話 風前の王子<中>
事情が事情なので、今日は城の正門は開かれていない。緊急性のない王の謁見は全て中止らしい。ある程度以上の要人が執務のために登城してくるくらいで、夜明けからだいぶたつのに、城内は昨日より華やかさがない。そのぶん、昨日よりも兵士達の動きが慌ただしい。
「話にならぬ!」
激高した様子でルスティナが執務室に戻ってきたのは、彼らが中庭から戻って更に半刻ほど後だった。集まっていた者らは持ち場に戻っていて、執務室に残っていたのはグランとエレムとフォルツだけだ。しばらく前に使用人の娘が、簡単な朝食と飲み物を人数分持ってきてくれていたが、とっくに下がって姿が見えない。
なにか説明があるのかと思っていたのに、ルスティナは誰と口をきくのも嫌だというように執務机の椅子に腰掛け、くるりと窓の方を向いたきり喋らない。
「……まるで、おれ達が王の居室を訪ねるのを見計らってたように、シェルツェルがロウスターとやってきてさ」
どう声を掛けていいのか戸惑っているグラン達に、ルスティナと一緒に戻ってきたエスツファがに説明を始めた。
「『先日白パヤールの株を運んできた者に、代筆させていただいた王子の礼状を託したのだが、まさかあのような使われ方をするとは至極心外。私めから王に説明の上、エルディエルの捜索隊まで出向いて直接釈明をしてくる故、半月将軍は持ち場に戻り不測の事態に備えていただきたい』の一点張りなのだ」
大げさな身振りを真似ながらの説明で、どういう光景だったのか容易に説明がつく。笑っている場合でもないのだろうが、グランもフォルツも思わず吹き出してしまった。唯一シェルツェルを見たことのないエレムが、曖昧に首を傾げている。
「王は気分が優れぬ故と、閣下すらお目通りいただけぬ。公女の捜索隊への釈明には、あまり数を増やして向こうに怪しまれないように、ロウスターと、シェルツェルの警護隊だけで行くそうだ。とにかく待機していろと追い返されてとりつくしまがない」
「直接行って何を説明してくるつもりなんだ……」
手紙は署名部分だけ本物で文面は偽造されたものだと主張するのか、それともそれ以上になにか用意している筋書きでもあるのか。
「王子の方はどうであった?」
「どうって……なぁ」
エスツファに問われ、フォルツが頭をかきながら、グランとエレムに目を向けた。
とりあえずフォルツは、シェルツェルが仕組んでいるらしいのは伏せて、今の段階ではっきり判っていることだけをカイルに説明したのだが、その反応が、
「それでルスティナは怒って挨拶もせずに行っちゃったんだ、僕のせいだって思ってるんだ。シェルツェルに頼まれたからそうしただけなのに」
と
「やっぱり僕がいても誰も喜ばないんだ……僕なんか……」
と呟きながら、ふらふら自室に帰ってしまったのだ。足取りがとても遅かったので、誰かがひきとめて慰めてやるのを待っていたのかも知れない。誰もとめなかったが。
「自分の行為を省みたり、どうすれば嫌疑を晴らせるかなど、考えようとしないのであるな」
エスツファの表情は驚いたのを通り越して、半ば感心したようにすら見える。
「嘆いていれば面倒ごとは誰かが勝手に解決してくれると思っているのか。ただの変わり者かと思っていたが、そこまで幼くあられるとは思わなかった」
「言い訳して、逃げていれば、周りがなんとかしてくれると思っているのであろうなぁ。問題に自ら対応しようという考えがないのかも知れぬ」
「一四歳ともなれば、大人と同じであるのになぁ……。それではシェルツェルにつけ込んでくれといっているようなものだ」
フォルツもなかなか容赦がない。二人の話が盛り上がって口を挟む余地がなくなったので、グランはあいていたカップに新しく茶を注ぐと、立ち上がってルスティナの机の方に近づいた。唇を噛むように窓の外を睨み付けていたルスティナは、グランが横からカップを差し出したのに気付いて、気恥ずかしそうに小さく笑った。怒りに上気した頬がうっすらと桜色に染まって、今の笑顔はひどく魅力的だった。
「グランには見苦しいところを見せてしまったな」
「いや……」
「まさか白紙の手紙に署名など……。王子があそこまで自覚がないとは思わなかった」
幾分表情を和らげたものの、受け取ったカップに口をつけ、また外に目を戻す。
ルスティナの落胆も判る。判るが、外部の人間から見たら正直、『どんな教育してきたんだ』としか思えない。早くに母を亡くした王子を、揃って甘やかしてきたのなら、そのツケが回ってきたのだとも言える。
「……この国は、今まで本当に平和だったんですねぇ」
それまで黙って話を聞いていたエレムが、誰に言うでもなくしみじみと呟いた。
なんと答えていいか判らなかったらしく、エスツファとフォルツが顔を見あわせる。それまで賑やかに二人が喋っていた広い部屋が、一瞬静かになった。その時だった。
最初、地震かと思ったのだ。地響きのような重い音と、突き上げるような揺れが足下に伝わってきた。揺れに伴って、閉じられたままの窓もがたがた鳴っている。
立っていられないほどの揺れではなかったが、これだけ大きな地震なら続きがあるかもしれない。グランは体を支えようと執務机に手を伸ばした。ルスティナはカップを置いて身構えようとしたが、揺れはそれきりだった。
「な……?」
「地震じゃないな」
さすがにこういう事態だと反応が早く、エスツファは扉を開け放ち、廊下に首を出して様子を伺っている。グランは外を見ようと窓に手をかけ、一瞬戸惑った。
さっきまで穏やかにそよいでいた外の草木が、まるで突風でも過ぎ去ったように大きくざわめいているのだ。天気も良く、風を起こすような雲も見えないのに、だ。
窓を開けると、かなり勢いの強い風が入り込んできて一瞬息が詰まった。だがそれもすぐにやんで、グランは少し体を乗り出して外庭を見下ろした。
地面には突風で吹き飛ばされたらしい、旗や帽子や折れた枝などが散乱していた。庭の衛兵達が、戸惑った様子で立ち止まって辺りを見回している。なにが起きたのか、判っていないようだ。
二階の窓から見下ろすグランは、こちらから見て左向こう、北側の城壁に近い場所の様子が特におかしいのにすぐに気付いた。
芝生と植え込みで整えられた庭の一部分が、大きくえぐれている。
いや、なにか大きな毬(ボール)でも押しつけられたかのように、円くへこんでいるのである。
その周辺の草木はなぜか全部、ある一点を中心に円を描くようになぎ倒されている。その円の外側近くに、たまたま近くを通りかかったらしい衛兵数人が倒れていた。
「なに……?」
グランの横に来て同じように外を見たルスティナが、同じものに気付いて声を上げた。上から見た感じ、「大きな毬のようなものが投げつけられた跡」にしか見えないのだが、肝心の「投げつけられた毬」らしきものが全く近くに見あたらない。グラン達の様子を見て、他の者達も窓から外を伺ったが、やはり状況が判断できない。
「ルスティナ様!」
揃ってあっけにとられていると、廊下から慌ただしい足音が飛び込んできた。どうやら下っ端の伝令兵らしい。
「北の塔より報告であります。城壁から北東に五〇〇の距離、コトル川の対岸にエルディエルの捜索隊の一部と思われる一団が展開、数は二〇〇ほどで半数以上が騎兵です」
ルスティナと副官二人は緊張した表情を見せたものの、すぐに不審そうな顔つきになり、
「なんであそこなんだ? 交渉のためのキャンプでも張るつもりなのか?」
「というか、二〇〇もいたら街道の部隊が先に気付くだろう? なんで報告がないんだ?」
「それが……」
二人にたたみ掛けられ、伝令の兵は戸惑った様子で報告を続けた、
「四分の一ほどの騎兵が、ルキルアの紋章をつけております。あれはシェルツェル様の私兵ではないかと」
「なんだって?! シェルツェルが独断でルキルアの部隊を領内に入れたのか? なんのために?」
「さっきは王子の書簡の話を聞いて、青天の霹靂みたいな顔してたぞ?」
言いあいながら、エスツファとフォルツは今度は廊下に早足で出て行った。中庭に面した壁には、ガラスの入っていない小窓が均等に並んでいる。急いで立ち上がったルスティナを追いかけるように、グランも廊下に向かった。
「どういうことだ?」
「向こうさんがなにをしたいのか判らないが、北東方面は街と街道との間に、川と湿地帯があるから、攻城や交渉の拠点には向かないんだ。直線距離で考えれば近いんだが、馬や人が行き来するにはかなり大回りをしなきゃならん」
グランの問いに答えながら、エスツファが窓から外を伺った。城自体は高台にあるので、三階からならそれなりに遠くまで見渡すことができるのだが、この位置からでは景色の半分は月花宮の陰になり、全体を把握することはできない。それでも城壁の向こうの湿地帯と、流れる川の距離くらいは目視できた。たとえ高性能の弓でも、あの距離で矢が届くこともないだろう。
話の
「手紙の署名が王子のものだというのを確信して、姫を奪回する為に行動を起こしたってことなのか?」
「でもどうして、シェルツェルの兵が絡んでくるんだ?」
「それに、たった二〇〇というのがよく判らぬな。いくらあせっていても、本気で布陣するなら、本格的に増援が合流するまで待つだろ。こちらは一国の王城なのだぞ?」
そうなると、なぜ今あんな所に展開しているのか理由が判らない。威圧のためだとしても、二〇〇程度の数では、拠点の近いルキルア軍の方が圧倒的に有利だ。ルキルアが本気になって兵を整えたら、あっという間に包囲されてしまうのも判りそうなものだ。
「とにかく、他国の城の鼻先に断りもなく兵を並べること自体、戦線布告ととられてもおかしくない行為だ」
やはり腑に落ちない顔つきのまま、ルスティナが総括した。
「外庭の被害の把握と原因の調査も併行して、兵の編成を……」
その声を遮るように、ごう、と空が鳴った。
窓からうなるような音が風と一緒に入り込んで、グランの髪を、将官達のマントを大きくはためかせた。それに一拍遅れて、かなり近い場所から地響きのような音が聞こえた。さっきよりも強い振動が床を突き上げる。通路側の扉をすべて開け放ちそうな勢いの突風と、床の揺れから身を守ろうと、全員が思わず屈み込んだ。
しかし、揺れは続かず、突風が収まるのもそんなにかからない。さっきと同じだ。
おそるおそる立ち上がり、窓の外を見下ろして、グランは絶句した。
王の宮殿近くの、芝生で整えられた中庭の南はずれにあったあずまやが、ペしゃんと潰れているのだ。まるであずまやが見えない毬(ボール)の下敷きになったかのように、残骸が円を描いて散らばっている。そしてその地面はやはり大きくへこんでいた。
あずまやの残骸から離れた場所で、庭の手入れをしていたらしい使用人が数人倒れていた。こちらは潰されたというよりは、吹き飛ばされたという感じの倒れ方だった。頭を振りながらもすぐに起き上がったので、たいした怪我はなさそうだ。
庭のへこみと川向こうにいるはずのエルディエルの部隊を交互に眺めて、フォルツがあっけにとられた様子で口を開いた。
「攻城兵器……?」
「いや、夜中移動して布陣してたとしても、こんな短時間で組み立てるのは無理だ。それにこの距離を攻撃できる巨大兵器など聞いたことがない」
「確かに、そんな大物を持って他国の部隊が移動していたら、国境や街道の部隊が気づかないわけが……」
仮にエルディエルの攻撃だとして、肝心の「攻撃してきたもの」がなにかも判らない。あの距離を越えて投射物が投げ込まれたのなら、地面がへこむ程度で済むわけがない。
グランはふと、リオンを山の中で拾ったときの事を思い出した。
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