第三話 風前の王子<前>

 誰かが扉を叩く音でグランは目を開けた。東の空がやっと白み始めたくらいの時刻で、燭台の消えた部屋の中はかろうじて家具の形が判る程度の明るさだ。

 目を向けると、扉の隙間から、昨日ルスティナの執務室で見た使用人が顔をのぞかせている。まだ寝たりなそうな声に促され、グランとエレムは手早く支度を済ませて、ルスティナの執務室に向かった。

 こんな早い時間だというのに、執務室にはルスティナとエスツファ、フォルツのほかにも五人ほどが詰めていた。全員が、ルスティナとエスツファの間におさまってしまうような年齢の男達だ。フォルツ以外は初めて見るが、彼らは皆、白弦の副司令らしい。銀のマントを身に着けて、将官の証のついた剣を持っている。

 そしてなぜか、誰もが困惑した顔つきだった。

「おお、エレム殿も来られていたのか」

 ルスティナはエレムを見て、嬉しそうに握手を求めた。

 ひととおり簡単な挨拶と紹介を済ませると、ルスティナに促されたフォルツがかいつまんだ説明を始めた。

「エルディエルの部隊の中で、妙な噂が流れてるらしいって言うのは聞いているよな? 『実はルキルアは既に行方不明の公女を保護しているが、帰りたがらない公女に協力する振りで城内にかくまい、利用しようとしている。お姿を見たという者もいる』なんて」

「ああ、ここに来たときにそれは聞いたが……」

「ついさっき、公女の捜索に協力していた隊から急ぎの連絡があったんだ。公女の警護団の長で、捜索隊の隊長でもあるオルクェル将軍がいきなり出向いてきて、かなり強い態度で詰問されたらしい」

「詰問?」

「協力部隊がエルディエル側より言われたとおりの説明すると、だ」

 フォルツは言いながら、現地からの伝令兵が持ってきたらしい書簡を開いた。とても腑に落ちない顔で。

「カイル王子より、ククォタ国へ宛てて届けられるはずの密書がなぜか、カカルシャ国境付近で駐留中のエルディエルの捜索隊に渡ったらしいのだが」

「……ククォタ? 密書?」

「その内容が、『予定通り第五公女の身柄を確保した、引き渡しの日まで預かっておくので、約束の報酬を準備しておくように』とのことだった、どういうことなのだ、と」

 まったく話が見えない。もう少し周辺の事情を踏まえると、こういうことらしい。

 ククォタはカカルシャの隣国である。このあたりの小国は皆、領地の広さも国力も大差なく、表面上は特に諍いもない。それが最近になって、カカルシャがエルディエルと親交を深めようと働きかけはじめたのが、ククォタは面白くない。加えてカカルシャの行事に、エルディエル大公の代理として第五公女がやってくるらしい。

 カカルシャには、第五公女と年齢の近い王子がいる。これは実は縁談ではないかと、ククォタ側はとてもぴりぴりしていたというのだ。

「エルディエルと縁続きになれば、カカルシャの周辺への影響力も強くなる。危機感を持ったククォタは、同じような立場のルキルアに縁談を妨害するための協力を求めた。ルキルアはそれを受け入れ、はねっかえりの公女が自国の国境近くで旅の列を抜け出し、領内に入り込んできたのを幸い、帰りたがらない公女に協力する振りをして城に閉じこめているのだと」

「そりゃずいぶんともっともらしいなぁ」

「その噂話だけなら、エルディエル側も本気にしなかったと思うのだが、どうもエルディエル側の手に渡った密書には、カイル王子の署名と印が入っているらしいのだ」

「はぁ?」

 グランは思わず変な声を上げてしまった。

 あの植物マニアの王子に、そんな気の利いた策謀ができるものだろうか。むしろ、それくらいの野心があったほうが、逆にこの国も安心ではないかと思うが、カイルにはそんな欲も度胸も感性センスもなさそうだ。

「挨拶程度の書簡なら、王子も何度かカカルシャやエルディエルへ送っているから、署名と印が本物かどうかは向こうでも照らし合わせることができる。そのあたりは今確認中らしいのだが、本物の可能性が非常に高いという態度だったそうだ」

「署名はまねられたとしても、印は同じものはひとつもないからなぁ……」

 言いながら、グランとエレムは思わず顔を見あわせた。

 二人はアルディラの所在を知っているから、これが荒唐無稽な作り話だというのは判っている。

 しかし何者かがルキルアに濡れ衣を着せる目的で仕組んでいるのだとしても、ククォタと共謀しているのがルキルア王宮全体ではなく、カイルだけに焦点を合わせて設定されているのが、なんだかおかしい。

「万が一本物だと判断されてしまったら、向こうがどう出てくるか……。エルディエルの本国から捜索隊の増援があるかも知れないという話だが、こうなってくると単純に捜索のためとも思えない」

「どこの誰がそんな作り話を仕込んだのか、想像もつかないのか?」

「それは……」

 全員が一様に同じ名前を思い浮かべたらしく、なにかを言いかけて口を閉ざした。ルスティナですら、エスツファと視線を交わしただけで、皆の前で言葉にするのをためらっている。それまでざわめいていた室内が、一気に静かになった。

 なるほど、彼らは確かに軍の要人としては若いし柔軟なのかもしれないが、芯のところで常識人なのだ。もしやと思っても、明確な証拠がない以上、自分の中の常識に照らし合わせて、まさかそこまでと思ってしまうのだろう。

 甘いなぁ。グランは内心ため息をついた。自分の利益を追求して他者を省みない者は、他人のそういう常識的な隙を巧妙に突いてくるものだ。

「あのう……」

 それまで、グランの横で会話を聞いていただけだったエレムが、おずおずと手を挙げた。

「とりあえずカイル王子ご本人に、お話を伺ってみたらいかがですか? 最近、誰かが文面を書いてくれた手紙か、白紙の手紙に、署名と印だけ押さなかったか、とか」

「まさかそんなこと……」

 言いかけて、はっとした様子でルスティナは言葉を切った。

 政治に携わる王族や貴族だと、側近が書類や手紙を整え、本人は署名と印だけということはままある。こういう内容で書きましたと説明されれば、相手を信頼していれば。もしくは惰性で、ろくに内容を読みもせずに署名してしまうこともあるかもしれない。

 問題は、誰に言われてそれをしたか、だ。



「手紙? 書いたよ?」

 木々の間から差し込むひんやりした朝日の中、中庭の草花の様子を見回っていたカイルは、息を切らせてやってきたルスティナの問いに、きょとんした顔で答えた。

「ほら、この前さ、シェルツェルが白パヤールの株を持ってきてくれたじゃない。生息地でも栽培の難しい貴重な株なんだけど、シェルツェルの知り合いの貿易商が、パヤールの栽培農家と頑張って掛け合ってくれたんだって。嬉しいよね」

 カイルは株を植えかえたばかりで土の軟らかそうな花壇の前に立ち止まり、かがんで葉をなでながら無邪気に微笑んだ。

「でね、その貿易商に、僕からの感謝の手紙を渡せれば、張り切ってまた珍しいものを買い付けてくれるんじゃないかって言うんだ。でも僕、早く株を植え替えたかったんだよ。そしたら、紙に署名と押印だけしてくれれば、自分が代筆するからってシェルツェルが……どうしたの?」

「閣下!」

 カイルの言葉が終わるか終わらないかと同時に、ルスティナがめまいでも起こしたかのように脚をもつれさせた。すぐ後ろのエスツファとフォルツが、両脇から慌てて手を出した。さすがのルスティナも顔色が悪い。

 それでもルスティナはすぐに踏みとどまり、二人の手をやんわりと押し戻した。

「いや……大丈夫だ。私はこのまま王に会ってくる。エスツファ殿、同行を頼む」

「承知」

「フォルツ殿は、グラン達と一緒に、王子に簡単に事情を説明して差し上げてくれ」

 フォルツが半分戸惑った様子で頷いた。カイルにいとまの挨拶をするのもそこそこに、ルスティナとエスツファは駆け足に近い早さで王の宮殿の方へ去っていった。カイルはきょとんとそれを見送っている。

「……元騎士殿」

 残されたフォルツは、カイルに話しかけるより先にグランに近づくと、小声で声をかけてきた。いい加減、元騎士呼ばわりに抵抗するのも面倒になって、グランはフォルツに顔を向けた。

 カイルは何か問うような顔をしたが、

「カイルさん、あれって確か、シャザーナの南部にしか咲かない花ですよね?」

「そうだよ! 君はよく知ってるね! あれはテザリヤ公の領地にシャザーナからの商人が来たときに……」

 エレムが花壇の一角を指さして話しかけたとたん、カイルは一気にグラン達から関心を失った様子で、エレムに向かってあれこれ話し始めた。フォルツは大きくため息をつくと、

「……これがシェルツェルの仕組んだことだとして、次にあの男はどう出てくると思う?」

「白紙の手紙に署名させた件は認めた上で、しらばっくれるだろうな」

 この前出会った時のシェルツェルの様子を思い出しながら、グランは答えた。

「なかなかの演技派っぽいからな。王と側近の目の前で、『自分が頼んだ手紙がこのように利用されるなど心外、ここは私が自ら出向いてエルディエルの方々の誤解を解いて云々』」

「なるほど……」

 驚かない。むしろ、フォルツにも、王やルスティナの前で熱演をぶちかますシェルツェルの姿の想像がついたらしい。感心したように頷いている。

「その後どうするつもりかまではなんともいえないが、こうなってくると、公女がこの城にとらわれてるって噂自体を流したのもシェルツェルじゃないのか。噂とこの騒ぎを利用して、うまくいけばカイル自体を排除ってとこか」

「そこまでして、自分の孫を王位に近づけたいか。……弟王子はまだ赤ん坊なのに」

 やはり思い当たってはいたのだろう。エレム相手に花のことを熱く語っているカイルに、フォルツはちらりと視線を向けた。

「しかし実際問題、この城に公女さまはいないのだ。噂を流したはいいとして、シェルツェルはどう始末をつける気でいるのだろう」

 そのあたりはまだグランにも想像がつかない。しかしアルディラの居場所を知っている身としては、さすがに気が咎めた。そろそろ家出公女の長い休日も終わる頃合いなのだろう。

 グランが黙って肩をすくめると、フォルツは引きつった笑みを浮かべ、カイルに目を向けた。

 フォルツがルスティナに仰せつかったのは、王子に事態を簡単に説明することだが、言葉の通り頭の中までお花畑の王子相手では確かにこれは難題だろう。

 カイルはエレム相手に、花の特徴や育て方を身振り手振り交えて熱く語っている。たいして判らない話を、引きもせず笑顔で相手にしている辺り、エレムも実は大物なのかも知れない。

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