第二話 疑惑の赤<後>

 微罪の者らが一時的に収容される留置場は、城から堀を越えてわりと近い場所にあった。一階部分が半地下の、古ぼけた石造りの建物である。いっときの牢破り騒ぎのせいで、入り口の前に立つ兵も増員してあるようだったが、建物を見た感じはそんなにものものしい雰囲気ではない。

 二人が通されたのは、留置場の二階部分だった。半分は兵士の詰め所になっていて、もう半分は収容者の面会や取り調べのための部屋になっている。

「一番奥の、鉄格子の部屋に待たせてありますが……同席せずとも大丈夫ですか、手と足に枷はしたままですが」

「牢破りの扇動者について、直接関わった奴から再確認したいだけなんだ。作業みたいなもんだから、俺達だけでいいよ」

 ルスティナの客になにかあったら大変だと言わんばかりの若い兵士が、心配そうに確認してくる。グランはぞんざいに手を振って、彼らを詰め所に追い払った。

 借りた鍵を指でくるくる回し、冷たい石造りの廊下を、わざと足音を立てながら進む。壁に作り付けられた燭台の炎がふたりの影を長く伸ばし、短く揺らがせる。

 グランは教えられたとおりに、突き当たりの部屋の手前で足を止めた。

 鉄格子越しにのぞくと、部屋の真ん中に使い古した椅子と机が用意してある。その椅子には、憮然とした表情で男が座っていた。どこかで見た記憶のある、鶏冠のような頭のちんぴらである。

 わざと足音を立ててきたから、人が来たことに気がついてないはずはないのだが、枷のつけられた両足を机に乗せてふんぞり返ったまま、こちらを見もしない。グランは扉の錠を開け、その鍵をエレムに放り投げて中に入った。エレムは中に入らなかったが、鶏冠頭を見て、なにかを思い出そうとするように小首を傾げた。

「よう」

 グランが軽く手を挙げると、初めて人が来たことに気がついたような素振りで、鶏冠頭が鷹揚に視線を動かした。

 そのまま表情が硬直する。

「ぐぐぐぐぐぐグランっ……?! なんでこんなと」

 慌てて立ち上がろうとした鶏冠頭は、言い終えないうちに椅子ごと後ろにひっくり返った。机を蹴ったものの、両手両足の枷のせいで動きがままならないことをすっかり忘れていたらしい。椅子の後ろ脚が二本、勢いに耐えられず、乾いた音を立てて弾けるように折れた。

 尻餅をつく形で床に落ちた鶏冠頭は、そのまま驚くべき早さで壁際まで後ずさった。手足に枷がついているのに、なかなか器用である。

 グランは、勝手に自分で壁際まで追い詰められた鶏冠頭の目の前に勢いよく歩み寄ると、

「おやおや、どこかでお会いしましたかねぇっ」

 その顔に向けて右足を振り上げた。

 がつんと派手な音を立て、鶏冠頭の顔の真横で、ブーツの踵が石壁を穿つ。短い悲鳴を上げ、鶏冠頭は必死に身を縮めた。

 この鶏冠頭は牢破りの騒ぎに便乗して街から逃げ出した後、廃村の役場跡でアルディラを監禁していた、ちんぴらの一人だ。ついでにいうと、遺跡を出てすぐの森で出会った盗賊もどきの中にいて、グランたちに返り討ちにあったのを根に持っていたらしかった。

「西の廃村じゃあ、連れが世話になったようだなぁ?」

 グランは鶏冠頭の尻が浮く程度に胸ぐらを引っ張り上げ、顔を寄せた。男に顔を寄せても面白くもなんともないが、演出上仕方がない。

「いいいいいやおおおおおおお俺は何もしてないただ言われたとおりに」

「お前以外の誰が、俺まで呼び出して仕返しするなんて言い出すんだ?」

「そそそそそそれは」

 必死で言い訳を考えながら、助けを求めるように目だけを落ち着きなく動かしていた鶏冠頭が、グランの肩越しになにか見つけた様子ですがるような表情をみせた。どうやら格子の外のエレムを見て助けを求めようとしたらしいが、それも一瞬、

「お、お前……」

 十分青ざめていた鶏冠頭の顔が、更に血の気を失って真っ白になった。

 鶏冠頭は、アルディラを人質にしていた自分を取り押さえた者が誰かよく判っていないので、リオンとエレムを未だに混同している。

『自分たちにぼこぼこに痛めつけられた仲間を連れて、グランがここまでやってきた』となれば、連中のような程度の低いちんぴらが連想することはひとつしかない。

「ゆゆゆゆるしてくれ魔が差したんだ、お、おおおお俺が悪かった」

「魔が差した、ねぇ」

 グランは口元だけで笑いながら、折れた椅子の脚を拾い上げ、折れ口のささくれた部分で鶏冠頭の頬を軽くつついた。鶏冠頭が喉の奥で掠れた悲鳴をあげる。

「ほんと、悪役をやらせたら最高ですよね……」

 感心したようにエレムが呟いているのが後ろから聞こえる。グランは聞こえないふりで、椅子の脚の平らな部分でぺちぺち鶏冠頭の頬をはたき、少し表情をゆるめた。

「そうだよなぁ、牢から逃げ出せなんてそそのかされなきゃ、街で偶然俺をみかける事もなかったんだよな?」

「う、うん、そうですその通りですっ」

「じゃあ一番悪いのは、お前らを牢から逃げだすように煽った奴って事なんだな?」

 責任を転嫁できる対象ができて、鶏冠頭はかくかくと頷いた。グランは胸ぐらをつかんでいた手を無造作に離した。浮いていた尻が床に落ちて、鶏冠頭はグランと少しでも距離を取ろうと必死で壁に背中をくっつけている。

 グランはその首元にゆっくり両手を伸ばし、襟元を整えてやる形で、視線をそらそうとする鶏冠頭の目をのぞきこんで優しく囁いた。

「どういう奴だったか、俺に判るようにちゃんと話してみろ」

「どどどどういう……えっと、頭から足元まで隠れるような黒い布をすっぽり羽織って、黒い布で顔を隠した男だっ……」

「顔を隠してるのに、なんで男だって判るんだよ」

「え? あ、ええとその」

 グランは目を細め、つかんでいた襟をぎゅっと喉元で締めた。鶏冠頭は焦った様子で、

「いや待って絞めないで! その、そうそう、あいつ背が高かったんだよ!」

「背?」

「あんたぐらいに背が高かったんだ! だから男だと」

「声は聞いたのか?」

「聞いた……けど、布の下で喋ってたから、こもってて話を聞き取るのがやっとだった」

 どうやら嘘はなさそうだ。グランは襟を締める力を緩めた。鶏冠頭は、餌場で群れる鯉のように口をぱくぱくさせて空気を吸い込んだ。

「ほかに覚えてることはないのか? 目が見えたなら、目の色は見えなかったのか?」

「目……? あ、ああ」

 必死で記憶を探っていた鶏冠頭が、なにかに気付いた様子で目をしばたたかせた。

「そういえば、明るい茶色……? 紅茶みたいな」

「……紅?」

「そ、そうかもしれない。後は判らない、髪も見えなかった」

「ふうん」

 グランは軽く頷き、掴んでいた襟を持ち直した。

「城下から逃げ出せたのはお前達だけだったらしいが、街から逃げ出したご褒美はちゃんともらったのか?」

「いや……待ち合わせの場所とか言ってたわけじゃないし、俺達も逃げるのと隠れるのに夢中で、あの男にはあれきり会ってない。ほ、ほほほんとうだよ」

 騒ぎを起こすこと自体が目的なら、実際何人かが街から逃げ出せていようが、もう扇動者にはどうでもいいことだったろう。

 この程度のちんぴらごときに、容易に手がかりを与えるような相手ではないということか。グランは目を細めて、少しの間無言で、鶏冠頭の顔を品定めするように眺めた。

 鶏冠頭は顔を引きつらせ、頬の筋肉を必死で動かして媚びた笑顔を作ろうとしている。かなり失敗しているが。

「それなら仕方ねぇよなぁ……」

 グランが薄く笑って襟を離すと、鶏冠頭はこわばった顔でかくかくと頷いた。グランも小さく頷き、鶏冠頭が安心したように肩の力を抜いたのに合わせて、手に持ったままの椅子の脚を、鶏冠頭の顔のすぐ真横に思いきり叩きつけた。派手な音と一緒に、折れ口でささくれていた部分が、壁にぶつかった衝撃で飛び散り、破片をあびた鶏冠頭が情けない悲鳴をあげる。

 グランは片手でもう一度鶏冠頭の胸ぐらをつかんで引っ張り上げ、至近距離で囁いた。

「……次に俺に関わったら、命の保障はねぇぞ」

「ははいもうしませんごめんなさいすみませんでしたあああああ」

 半泣きになっている鶏冠頭の体と、砕けた椅子の脚を乱雑に捨て、グランは立ち上がった。木くずで汚れた手を払いながら牢を出ると、エレムが呆れた様子でなにか言いかけたが、

「あの……今の音は?」

 物音に気付いたらしい詰め所の兵士が数人、廊下の向こうで何事かと顔をだして訊ねてきた。

「あいつが座ってた椅子の脚が壊れたぞ? 古くて腐ってたんじゃねぇの、あぶねぇぞ」

 グランは何食わぬ顔で答えた。驚いた様子で走り寄ってきた二人の兵士に、エレムが鍵を返している間に、グランはさっさと出口に向けて足を進めている。

「村に帰るよう……畑でもなんでも耕すよう」

 奥から泣きじゃくる声が聞こえてくる。少し気の毒そうに後ろを気にしながら、エレムがグランに追いついてきた。

「収穫はあったんですか?」

「ああ」

 グランは満足そうに頷いた。

 扇動者が「紅い目」をしていて「グランと同じくらい背が高い」と聞けたのはよかった。服の色などいくらでも変えられるが、目の色と身長はそうそう誤魔化せない。

「……イグさんという方が、この件にも関わってるってことですか?」

「だろうな」

「でも、なんのためにです?」

「シェルツェルは、カイルを排除して自分の孫を確実に王位につけたいんだ。そのために、カイルに肩入れしているルスティナをなんとかして失脚させたいんだよ。更迭の理由を作るためにあれこれ画策してるんだろ」

 城に連れてこられて時に、フォルツが話していたことを思い返しながら、グランはもっともらしく答えた。

「それに、やましいところがある奴に尻尾を出させるなら、『なにか感づかれたかも知れない』って思わせるのもなかなか効くもんだ。どうせあちこちに手を回して、こっちの動きを探るくらい、やってるだろうからな」

「と言いつつ、ただの憂さ晴らしに来たんじゃないでしょうね」

「そ、そんなこたねぇよ」



外に出たついでに食事を済ませ、二人が城に戻った頃には、既に空から昼の名残は薄れていた。あちこちに松明が焚かれているので、よほど敷地の外れに行かなければ、城内は手ぶらで歩いても不便はない。

「なんだ元騎士殿、飯に行くなら俺がいい店に案内したのに」

 白弦棟に戻ると、グランを見つけたエスツファが残念そうに声をかけてきた。元騎士呼ばわりにグランが突っ込む前に、エスツファがエレムに気づき、

「神官殿もやっと来られたか。連れの子ども達は大丈夫なのかな」

「はい、安全な宿を紹介していただいたので、そこに預けてきました」

「ラムウェジ殿から預かったお役目の途中なのに、無理を言って申し訳ないな」

 喰えない感じのする男だが、これはどうやら本心のようだ。エレムが恐縮したように笑みを見せた。

 エスツファは、町の少年風の服装だったリオンも、二人の旅の連れだとごく普通に思っている。彼らが必死になって探している公女の、世話係だと判ったらどうなるか。

「ルスティナさんにまだご挨拶ができてないのですけど、明日でも大丈夫でしょうか」

「そのほうがよいだろう。夕方になってから慌ただしくしていて、ルスティナは今、各隊と打ち合わせの最中なのだ」

「へぇ?」

 グランが問い返すと、エスツファは気持ち周囲に視線を走らせ、声を低めた。

「……ついさっき、公女の捜索に協力している部隊から定時連絡があったのだ。エルディエルの捜索隊は、公女がいなくなった隣国の国境近くに駐留してるんだが、隊長のオルクェル殿が、明日にでもエルディエルの本国に捜索隊の増援を要請する気でいるらしい」

 それは捜索が長引けばありえない話ではない。だがエスツファの表情には、今までの話の中では見られなかった深刻さがあった。

「エルディエルは、公女がこのルキルア城に捕らえられている可能性が高いと考え、その奪還のために増援を要請したらしい、という情報がはいってきたのだよ。まだはっきりと確認できてないんだが、無視できるような筋からの話でもないらしく、定時報告に含めてきた」

「そうなんですか?」

「真偽確認の間、不測の事態に備えて今夜から警戒基準をひとつ上げて、アルディラ姫の捜索とはまた別に、王都と国境周辺の見張りと警備を強化しようということで、さっき話がまとまったのだ」

 グランとエレムは思わず顔を見あわせた。

 今までは噂程度にすぎなかった拉致話なのに、エルディエルの捜索部隊は、噂の信憑性が増すような具体的な情報を得たということなのだろうか。本物の家出公女は捕らえられているどころか、旅の平民のような顔をして城下の宿で社会見学の真っ最中なのだが。

 本人が気ままにやってるのを知っているだけに、二人には考えもつかなかった展開だった。

「どういうことなんでしょうねぇ……」

「きちんとした証拠もなく、話だけで一国を誘拐犯呼ばわりって、かなりまずいと思いますけどね。いくらエルディエルが、このあたりでは大きな影響力を持っているとはいえ」

「解決をあせってガセネタにくいついたってところか?」

「ま、実はなんてことない理由だった、ってことであればよいのだがな」

 エスツファは軽い笑みを見せた。そうは思えないから、わざわざ自分達に話しに来たのだろうが。

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