第五章 草木の王子と紅の参謀

第一話 疑惑の赤<前>

 エレムが城にやってきたのは、グランがルスティナに呼び出された翌々日の午後だった。

 ルスティナに頼んで、呼ばれた日のうちに『仕事を請け負ったからお前も来い』的な簡単な伝言を宿に届けてもらっていたのだ。子供二人のこともあるから、すぐには来られないかと思っていたが、意外と早かった。

「前払い分の宿料がちょうど切れるところだったので、教会から改めて安全な宿を紹介してもらって、そこに二人を預けてきました。ちょっと高級ですが朝夕は食事も出ますし、管理人や警備の私兵も常駐しているので、危険なことはないでしょう」

 担いできた荷物を部屋の隅に置き、エレムはやれやれと腰を伸ばした。

 彼らに割り当てられたのは、白弦棟のはずれにある、兵士用の仮眠室のひとつだった。本来は四人部屋だが、ルスティナの客扱いということで、ひと部屋を与えられたのだ。

「一応、あの衛兵さんにも、それとなく様子を見にいってくれるようにお願いはしておきました」

「あの衛兵?」

「エスツファさんを案内して来た、あの方ですよ」

「ああ……。あいつ、結局ランジュのこと、気がつかなかったのか?」

「それは僕も心配したんですけど、あの方、ルスティナさんから預かったお役目に一生懸命で、広場ではランジュのことをあまり見ていなかったようなんですよね」

 エレムは苦笑いしながら、粗末な寝台に腰をかけた。窓際の椅子に座って話を聞いていたグランは、あの時のことを思い返してなんとなく息をついた。

 広場でルスティナと会った時、ランジュはこちらに背を向けて魚すくいをしていたから、ルスティナともまともに顔を合わせていない。こちらが下手を打たなければ、連れの娘が家出公女と入れ替わっているとは思われないだろう。

 しかしこれでますます、ランジュの捜索を頼める雰囲気では無くなってしまった。相変わらず厄介ごとは続いているから、『ラグランジュ』の影響力は健在なのだろうが、目に見えるところにいないのも気になるものだ。

「やっぱりまだ戻る気はないのか。あいつら」

「なにか考えている様子はありましたけどね。戻るのが嫌というより、もう少し街の様子を見てみたいというのが今は本音みたいです。なにしろ広場で果実水一つ買うのも、驚きの連続らしいですから」

「出歩いてんのかよ、大丈夫なのか」

「リオンくんは平民の出ですしね。あまりアルディラさんがおのぼりさんのようなことをしなければ、大丈夫でしょう。それに彼女はもう少し、外の世界を見た方がいいと思います」

 珍しく声に重い響きがあって、グランは手を止めてエレムを見やった。

「……あいつがいなくなったことで、この国にいらん嫌疑がかかってるらしいぞ?」

「本人が聞く耳を持たないのに、頭から戻るように説得しようとしても無駄だと思いますよ。一番いいのは、自分のしたことが周りにどう影響を与えてるのか、実際に見せてあげることなんですけどね」

 ……見せる前に、取り返しがつかないことにならなきゃいいが。

 いや、グラン自身はその辺は一向に構わないのだ。強引に宿まで押しかけられたのに、かくまったなどと言われてとばっちりさえ受けなければ、別に。

「で、その『いらん嫌疑』ってなんです? いったいルスティナさんとどういう話になって、どんな頼まれ事をされたんたんですか」

 そういえば、詳しいことをまだ説明してなかった。城に呼ばれてからのことをざっと話すと、エレムは頭の中で話を整理するために少し黙った後で、

「……そのイグさんという方は、ランジュを連れて行ったひとたちと、関係ありそうなんですか?」

「まだなんとも言えないが……ただものじゃないって感じはしたな」

 グランは言いながら、そばに立て掛けていた自分の剣に指で触れた。

「あいつ、これがなにか判ってそうな節があった」

「ええ?!」

 グランが持ってるのは、この大陸中で知らない者はない、『なんでも自分の望みを叶えてくれる伝説の秘宝だか秘法』の鍵である。もちろん、その実質的な正体も、具体的な形も今は誰も知らない。二人以外には。

「あのときイグが戻ってこなかったら、あいつがこれに気がついてることにも俺は気がつかなかった。ロウスターが俺にちょっかいをだしさえしなきゃ、そのまま知らん振りを通して、俺には直接関わらずにいたかったんだろう」

 なにごとか囁かれた後の、ロウスターの変わりよう。もちろんグラン自身のことは知らなかったのだろうが、あの様子から見て『この剣を持っている者に関わってはいけない』という事前の忠告はされていたのだろう。

 だからシェルツェルは、グランをほぼ完璧に無視した。無能のロウスターは気付かなかった。

 しかしなぜ? 野心のある者ならなおさら、伝説の『ラグランジュ』は、それこそ喉から手が出るほどに魅力的なものなのではないだろうか。

「こればっかりは、あいつらに直接探りを入れてみないとなんともいえんなぁ……」

 昨日も今日もぶらぶらと城内を歩いてみたが、今朝は一度ルスティナに声をかけられたのと、カイルに中庭で捕まったくらいで、特に目立つ者には会わなかった。

 あの王子は人の顔を見ると、草花の話か王族に生まれた自分の悲運を嘆くかで、相手にするのが面倒くさい。最後には返事もしないで勝手に喋らせていたが、本人は喋ることに夢中で、グランの態度にも気付かない様子だった。そのうち勉強の時間だと、侍従に耳を引っ張られて連れ戻されていたが。

 ロウスターでもからかってこようかと黒弦棟にも行ってみたが、入り口で衛兵に申し訳なさそうに制止されて、建物に入ることはできなかった。どうやらシェルツェルが根回ししているらしく、ルスティナの権限の及ばないところにはグランは入れてもらえないらしい。

 エスツファの話では、ロウスターは滅多に黒弦棟の執務室には寄らずに、シェルツェルにべったりというから、行った所で無駄だったのだろう。実質的には黒弦の副司令達が中心になって、黒弦騎兵隊を取り仕切っているという。今のところは。

「それで、僕らは一体なにをすればいいんですか? ルスティナさんの、グランさんへの依頼も、漠然としてる感じですけど」

「まぁ、行き詰まったときに意見を聞きたいって程度だとは思うけどな。今のところ特になにかって話は出てないが」

「確かに型にはまらないって言えば、そうですけどね……」

 エレムは改めてグランを眺め直すと、やれやれと大げさに首を振った。

「この地方の方は、黒い瞳に黒い髪というだけで神秘的なものを感じて騙されるのかも知れませんね。魔物は人を惑わす時は、美しいものに姿を変えるといいますし」

「お前は俺をなんだと思ってるんだ」

 確かに前々から、見た目で誤解されることは多かったが、ここまで華々しくいい方に誤解され続けるというのも珍しい。でも向こうが勝手に勘違いしてるだけで、絶対自分のせいではないのだ。

 言い返す言葉を探していたグランの耳に、午後の半ばを告げる鐘の音が聞こえてきた。窓の外に目を向けると、二階のこの部屋からも、レマイナ教会の鐘楼が町並みの中から頭を突き出しているのが見えた。

「……なんにしろ、なにかが起きるまでタダ飯食って待つだけってのも、性にあわねぇからな」

 グランは立ち上がり、壁に立て掛けていた剣を取り上げた。

「ちょっとぐらい役に立つようなことをしてみるかと思って、ひとつ手配してることがあるんだ。俺一人よりは、お前もいた方がいいだろう」

「どこに行くんですか」

「留置場」

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