第七話 月光の騎士と灰色の宰相<後>

「やれやれ、自分に仕える者よりも、草の株の方が大事とはな」

 なぜか、シェルツェルについていかなかった大男が、渡り廊下の先に消えていく王子の後ろ姿を蔑むように眺めながら、後ろに控えている兵士達に話しかけた。言葉は兵士達に向けてはいるが、明らかにルスティナに聞かせるための言葉だ。

「あのお年でいまだ子供のような振る舞い、あれが次期国王とは情けないものだ。ルスティナ殿も子守の真似事などお気の毒」

 後の兵士達は、同調して笑い声でも上げるかと思えば、空気の読めない上司に気のない愛想笑いをしているだけで、追従する様子がない。どうやら『黒弦騎兵隊内でもルスティナは人望がある』というエスツファの話は嘘ではないようだ。

 面倒くさそうに、ルスティナは大男を一瞥した。

「シェルツェル殿のご厚意に気遣いされたのであろうよ。ロウスター殿も軍務を等閑なおざりにしてまで毎日欠かさずつきっきりの警護、さぞやシェルツェル殿も心強かろう」

 仕事もろくにしない腰巾着が偉そうな口をきくな、とでも意訳すればいいのだろうか。

 残っている兵士達が口元をほころばせかけ、ロウスターに睨まれて慌てて表情をただした。どうやらこの大男は、ルスティナにイヤミを言うためだけに残ったらしい。

 苦々しい顔つきでルスティナに向けたロウスターの視線が、ふと思いついたようにグランに向いた。野卑としかいいようのない笑いが口元に浮かぶ。

「おやおや、これが城のご婦人方の間で噂の、ルスティナ殿の『大切な』ご客人であるか。これはこれは、噂以上にお綺麗なお顔でありますなぁ。天下の半月将軍もやはり女人と言うことか。これだけの美しい男子なら、さぞかし剣の腕も立つのでしょうな」

 明らかに、揶揄しているつもりなのだろう。ルスティナが相手でなければ、もっと下衆なことも言っていたに違いない。

 だがグランにとって、自分の外見が頭の先から足の先まで秀でて整っているのは、ただの事実でしかなかった。剣の技量にしても同じことだ。

 もちろん顔の造形と剣の技量に関連性はないが、たまたま両方が秀でて備わっているのはまったく否定できない。揶揄したつもりだろうが、グランにとっては両方事実なので、ロウスターの言葉はたいして腹も立たない。

 しかし、黙って喋らせていい気分にさせておく義理もない。グランはもたれていた手すりから背中を離し、姿勢を正して会心の微笑で答えた。

「閣下こそ、態度にふさわしく体だけは大きくてございますね。その立派なお体のように、お顔の皮までぶ厚く鍛えるにはどうするものか、ぜひご教授いただきたいものです」

 あまりに品よく返答されたので、ロウスターは一瞬、なにを言われたのか判らなかったらしい。

 五秒ほどおいて、ぽかんとしていた顔に徐々に血が上ってきた。とても丁寧な言葉で、『でかいだけで役に立たない厚顔無恥のでくのぼう』と言われたのを、やっと理解したらしい。

「こ、これは綺麗な顔に似合わず、向上心のある御仁であるな。顔の皮の方は知らぬが、体の鍛え方ならいつでも指南いたすぞ、手始めにそなたがどの程度の腕前か見極めて進ぜようか」

 言いながら、グランの襟首をつかまんばかりに、目の前までずしずし詰め寄ってきた。まだ言葉を選んではいるが、最後のあたりは絡んだ相手に顔を寄せてすごむちんぴらと変わらない。

 グランとしては『御指南』頂いていっこうに構わないが、城内でもめてまずくないのだろうか。後ろの兵士達は面白がって見ているだけで、とめようともしない。よほど人望がないのだろう。

 ルスティナもグランの反応に多少驚いたようだが、特にいさめる気配がない。逆に、どうロウスターをあしらうか、興味がありそうな顔つきだ。それなら次は、このでかいのをどうからかおうかと思ったグランの鼻先に、ふと記憶にある匂いが触れた。

 丸太のようなロウスターの二の腕を、後ろからつかんだ白い手が見えた。おつきの兵士にでも止められたのかと一瞬思ったが、乱暴にそれを振り払おうとしたロウスターは、手の主を見て動きを止めた。

 シェルツェルの後ろについていったはずの、白いクローク姿の人物だ。足音も気配にも気付かなかったが、いつの間に戻ってきたのだろう。

 さっきはロウスターの隣にいたのを少し離れて見ていたから、目の錯覚的に小さく見えたのだが、正面に立つと目線の位置がグランとそれほど変わらない。背丈はほぼグランと同じだろう。袖から出た手首と指の形を見る限り、女だと思われた。

 スカーフの合間からのぞく紅い瞳に睨まれて、ロウスターが曖昧な笑顔を浮かべた。つかんだ腕を引き寄せ、白い服の人物は口元を隠したままロウスターの耳に顔を寄せた。

 ぼそぼそと小声でなにか囁かれ、ロウスターは……一瞬うろたえた様子でグランを見返した。正確には、グランが腰にいているものを。

 その視線の動きすら咎めるように、白い服の女が更になにか囁いた。ロウスターは飛び退くようにグランから離れ、落ち着かない様子でルスティナに顔を向けた。なにを囁かれたものか、さっきまでの威勢の良さがすっかり消えている。

「よ、用を思い出した、失礼する」

 もうグランに目もくれない。というか、見るのすらあからさまに避けている。体に合わせたやたら大きなマントを翻し、ロウスターは耳障りな足音を立てて本館の方に早足で歩きだした。

 白い服の女は、目だけを一瞬グランに向け、すぐにルスティナに無言のまま一礼して、ロウスターの後に続く。

 現れたときもそうだが、去っていくときも、彼女は足音がなかった。ロウスターの足音がかき消しているのかとグランは耳に意識を集中したが、そうではないようだ。

 事態を見守っていた兵士達は、なにが起きたのか判らない様子で顔を見あわせている。すぐにルスティナが視線で促したので、慌ててロウスターと白い服の女を追いかけていった。

「……あれは?」

「宰相付きの警護隊長のイグ殿だ」

 グランと並んで、ロウスター達の姿が小さくなるのを見送りながら、ルスティナが答えた。

「あの通り無口な上に、ろくに顔も見せたがらないお方でな。宰相になられた際に、シェルツェル殿がご自分で登用されたのだが、私たちにも素性がよく判らない……」

「へぇ……」

「しかし、なんと言ってイグ殿はロウスター殿を諫められたのだろう」

「いや、俺にも聞こえなかったが」

 言いながら、グランはロウスターが最後に視線を向けたものをそっと左手でなでた。月長石が淡く輝く剣の柄を。

「……あの匂いは、なんだ?」

「匂い?」

「イグ? あいつが近寄ったときに匂いがしたんだ。最初は薫りの強い花かと思ったが、どうも煙の匂いも混じっていたような……」

「ああ、それならきっと、妃が部屋で焚かれる香(こう)の匂いが移ったのだろう」

 なにかに思い当たったらしく、ルスティナの視線が、王の宮殿に向けて無意識に泳いだ。

「今の妃はお若いせいか、諸国のはやりものに関心がおありなのだ。最近はシャザーナの貴族で流行っているという、南国産のやたら薫りの強い香を部屋でよく楽しまれておるよ。一度伺ったことがあるが、あまりの匂いの強さに、連れて行った兵の何人かが気分を悪くしていた」

 ルスティナ自身は、そういうものには全く関心がないらしい。気が知れない、というように首を振る。

「シェルツェル殿は妃のご実父であるし、よく妃の間にもよく出入りされているから、同行するイグ殿もそこで匂いをうつされたのであろう。そうか、妃に頼まれた香を仕入れるついでに、花の株を買い付けられたのか」

「なるほど……」

 ルスティナは変なところで勝手に納得している。グランは無意識に腕を組んで、もう誰の姿もない渡り廊下の先に目を向けた。

 イグが残した薫りが、グランの記憶の糸をたぐり寄せたのだ。あの夜、宿に乗り込んできて素手のまま自分をめためたにのしていった男か女かもいまだに判らない何者かが、グランに残していった唯一のてがかり。

 夜襲をかける人間にはそぐわない、あの花の薫り。

 気配や足音は消せても、顔は布や闇で隠せても、一度ついた匂いはそう簡単に消せないものだ。強い匂いの中で日常的に生活していれば、鼻が慣れてしまって、匂いそのものの事も忘れてしまうだろう。

「……亡くなられた前妃のリュリア様は、私の姉なのだよ」

 なにを連想したのか、だいぶ夕暮れの色が濃くなった西の庭に視線を移して、ルスティナが呟くように口を開いた。

 ということは、ルスティナはカイルの叔母にあたるのではないか。

「ああ、姉と言っても血はつながっておらぬよ。でもリュリア様も兄上たちも、後妻の連れ子である私を実の妹以上に可愛がってくださった」

 グランの疑問を読み取ったように、ルスティナは答えた。グランは頷いた。

「昔からお体が弱かったので、逆に私に武術の才があるのを喜んでくださったのだ。おかげで遠乗りも、剣術も、どの兄よりも素質があると褒められるほどになってしまった」

「へぇ……」

「姉上が王室に嫁がれるときに、侍女ではなく、騎士として修行しながら妃に仕えるようお声がかかってな。それが、今ではこのような剣を預かるまでになった。今の私があるのは、姉上がいてくださってこそなのだ」

 この若さで騎兵隊の総司令となるほどなのだ。実力もそうだが、それなりの後ろ盾があるのは充分考えられる。娘を王室に嫁がせるほどなのだから、ルスティナの実家はこの国では有力な貴族なのだろう。

「だからこそ、今の王妃とカイル王子の仲に水を差すような、シェルツェル殿のやり口は私は好かぬ。実の孫を可愛がる気持ちは判らぬでもないが、どうもあの方の狙いはそれだけではない気がするのだ」

 花壇のなかになにを見ているのか、ルスティナは遠くを見るように目を細めた。夕暮れ時の庭に咲き誇る色濃い南国の花々は、整ったルスティナの横顔にとても良く映えた。

 グランは少し黙った後、小さく息をついて頭をかいた。

「……協力してもいいぜ」

「え?」

 なんの話かとっさに判らなかったらしく、ルスティナが目をぱちくりさせてグランに視線を戻した。こういう不意に見せる素の表情と、普段の中性的で冷静な雰囲気との差が、ルスティナは見ていてなかなか美味しい。そんなことを言ってる場合でもないのだが。

「どう役に立つんだか知らないが、今のあんた達には俺が必要なんだろう? 俺は俺のできることしかやらないが、それでいいならしばらくはあんたの客でいてやるよ」

 グランは努めて真面目な顔で答えた。

 もちろん、ルスティナやこの国のためではない。自分をぼろぼろにのしてくれた奴らに、相応の礼を返すため。ついでに、ランジュの居場所を探すため。

 あのイグがそうだ、と短絡的に決めつける気はもちろんないが、やっと見つけた手がかりだ。近くにいてもう少し探る必要があるだろう。

「……グランバッシュ殿」

「グランでいい」

 グランが言い直すと、ルスティナは意外なくらい嬉しそうに目元をほころばせた。

「ありがとうグラン、改めて、よろしく頼む」

 そう素直に喜ばれると、さすがに胸が痛む気もする。半ば強引に右手を取られ、固い握手をさせられながら、グランはなるべく素っ気ない笑顔を見せた。

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