第六話 月光の騎士と灰色の宰相<前>

 俺、こんなところでなにやってんだろうなぁ。

 白弦棟と城の本館をつなぐ渡り廊下の真ん中で、手すりに頬杖をのせ、グランは大きくため息をついた。

 太陽はそれと判るほど傾き始め、城壁の向こうに見える空には、山並みの稜線が濃く浮き上がってきている。街から湿地帯を挟んだあの山並みの麓にそって、『探求者の街道』があるはずなのに、いっこうに自分たちはこの街から出られる気配がない。

 エスツファがいなくなったあと、入って差し支えないところを適当にぶらぶらしていたのだが、ある程度建物の形を把握するとすぐに飽きてしまった。することもないので、エスツファに教えられたとおりに本館に続く渡り廊下まで出てきてみたら、この庭がまたとんでもなかった。

 グランにもそれと判るほど、金と手をかけられて整えられたとしか思えない庭園なのだ。

 もちろん国王の居城だから、全体的に整えられているのは当たり前だが、月花宮を取り囲む西の庭は『それなり』の域をはるかにはみ出していた。

 眼下の庭園には、この辺では普通は見ることのない、もっと南の年中温かい国にしかないような樹や花が、これでもかとばかりに植えられているのだ。やたら大きくて毒々しいまでに鮮やかな赤い色の花、丈が人間の大人ぐらいある鶴のような花。気候の違う場所の植物を、よくこれだけ集めて世話できるものである。

 更に驚いたことに、庭園の中でも一番日当たりのよさそうな場所に、全体がほぼガラス張りの建物が建っている。熱気と湿気でガラスが曇っていておぼろにしか中が見えないが、外に植えられているものよりも更に南国の珍しい植物を集めてあるらしい。あれは人間が住むためではなく、植物を寒さから守るための温室なのだ。

 ここまでくると、趣味というより、植物そのものに対して異常な執着があるとしか思えない。

 そういえば、城下もいたる所に水場や花壇が整えられていた。水場を整えるのは国の大事な仕事ではるが、あれは街の治安の良さを強調アピールする以上に、国王の趣味が昂じてのことなのかも知れない。

 温室のガラスが映す空の色を見るともなしに眺めて、グランは今日何度目かも判らないため息をついた。

 アルディラの話から逃げ出して来たはいいが、結局ここでもルスティナからのわけの判らない協力依頼である。ルスティナの話ははっきり断れば終わりにできそうだが、宿に戻ればやっぱりアルディラがいる。ランジュはどこかに行ったまま、夜中の侵入者達の目的も正体もいまだに判らない。

 アルディラが居座っているのでは、ランジュを探す人手を頼むことも出来ない。この街に来るまではとても順調だったのに、ついたとたんにこれである。ここまですんなり来られたのは逆に、自分を罠に誘導する力の働きだったのではないだろうか。

「あの温室は、専用の窯で毎日絶やさず火を焚いて、汲み上げた井戸水を沸かして蒸気で温めているんだよ」

 急に横から話しかけられて、グランは目だけを動かした。誰かが近づいて来たのは気がついていたが、背も低く無防備だったから、使用人が自分を呼びにでも来たのかと思ったのだ。

「温室の中もそうだけど、こっち側の庭は、地中に道管を張り巡らせて、そこにお湯を通して地面を温めてるんだ。だから外に植えてても、南国の樹や花がちゃんと育つんだよ」

「へぇ……」

「お湯は、城内でも必要なときに使えるんだ。城の浴場はいつもお湯でいっぱいだし、使用人達が洗濯や掃除にも使ってる。冬になれば道管を切り替えて、居室の床を温めたりするんだ」

 たいしたものだが、それは草花を温めるついでに、人間に湯が回っているということだろうか。順番が逆ではないか。グランは思わずその声の主に向き直った。

 喋っていたのは、リオンやアルディラとそう変わらない年頃の少年だった。利発そうな顔立ちではあるが、喋り口調が妙に子供こどもしている。

 よく見ると、使用人にしては身につけているもの全体の質が違う。羽織ったベストには凝った刺繍が施されてるし、ブーツも上等そうなものだ。城に用事でやってきた、貴族の子供だろうか。

 グランと目が合うと、少年は無邪気に微笑んだ。

「ルスティナの客っていうのは君かい? 花に興味があるの?」

「いや、花は嫌いじゃないがただの……」

 暇つぶしだと言おうとして、グランは少年がルスティナを呼び捨てにしたのに気付いた。エスツファやフォルツが呼び捨てにするのとは、また訳が違うだろう。この国で、ルスティナよりも上の立場の者など、何人もいないはずだ。

「東国の元騎士だって聞いたけど、それなら今までもいろんな国を旅してきたんだろうね」

 だから元騎士とかもういいから。

 露骨にげんなりしてしまったが、その時にはもう少年は手すりに手を載せて庭を眺めていたので、グランの表情など全く見ていなかった。

「ぼくも、本当はこんなところで花を集めるんじゃなく、自分でいろんな国に行ってみたいよ。ほら、あの木の根元に真っ赤な花があるでしょ。本当の生息地は熱帯の密林で、そこではもっと大きくて鮮やかな色になるんだって。見てみたいなぁ」

「ふうん」

「寒い地方の花も集めたいけど、どうやって夏でも室温を低いままにしておくか、方法が思いつかないんだ。暑くするには火を焚けば済むけど、涼しくするのと部屋に太陽の光を入れるのを一緒にしなきゃいけないから……」

「あれって、お前の趣味なのか?」

 まさかとは思ったが、グランは温室を指さしながら聞いてみた。少年はきょとんとした顔で、

「『お前』ってぼくのこと?」

「ここに他に誰がいるんだ?」

「それって、位が上の人に使う呼び方じゃないんじゃないの?」

「それをいうなら、年上に『君』ってのもねぇよ。おあいこじゃねぇか」

「……それもそうか」

 別に腹を立てた様子もなく、少年は気を取り直したように、

「この庭は、最初は母さまの趣味で南国の草花を集め始めたんだ。あの温室も母さまのために、父さまが作ったんだよ。母さまが亡くなってからは、ぼくがそれを引き継いだの」

 ……やっぱり、こいつが例の王子様か。グランは興味のない素振りで頷き返した。

 しかし、いくら城内でも従者をつれて歩くのが普通ではないのか。昼は訪問客も多いし、一人歩きはまずくないのだろうか。と思っていたら、

「カイル王子! お部屋を出るときはお供をお連れ下さいと、いつもお願いしているではないですか!」

 渡り廊下の向こうから、早足で近寄って来たのはルスティナだった。その後を、近衛の兵士らと、侍女が数人追いかけてくる。

「それに今日は、新しい侍女にお目通り頂くお約束であったでしょう。勝手にいなくなられては、新しく入った者が不安になってしまいます」

「このひとが庭を眺めているのが見えたから、話をしに来ただけだよ。ルスティナの客ならいいじゃない」

 悪びれもせずカイルが答える。ルスティナが困ったようにこちらを見たので、グランは黙って肩をすくめた。

「それに、ぼくがいなくたって誰も困らないでしょ。侍女だって、ぼくが決めてるわけじゃないんだから」

「王子のお側付きをつとめさせていただく者が、きちんとご挨拶もさせて頂けないなど、困るに決まっております。とにかく一度お部屋にお戻りを……」

「まぁ、よいではありませんか、半月将軍」

 後ろから更に、よく響く男の声が割り込んできた。歌劇の男優のような芝居がかった声だ。ルスティナについてきていた兵士と侍女達が、露骨に嫌そうな顔になった。

 ルスティナは表情を消して王子の斜め後ろに下がり、視線を声の方に向けた。グランは特に脇に控えるでもなく、手すりに背中をもたれかけ、その視線を追いかけた。

 ルスティナに対抗するように現れたのは、声と同じくらい芝居がかった格好の中年の男だった。中途半端に伸びた癖の強いくすんだ金髪に、やたら袖の広いつやつやした青い上着と、先の尖った靴が妙に目についた。絵本に出てくる『お城のえらい人』をそのまま再現したような服装で、見栄えだけは無駄にいい。

 付き従っているのは、白いフード付きの薄手のクロークでほぼ全身を覆った細身の人物と、やたら体格はいいが頭の悪そうな大男である。大男は更に後ろに、護衛役らしい兵士を数人引き連れている。

 よく見れば大男のマントと剣は、エスツファが身につけているのと同じものだ。あれがどうやら黒弦騎兵隊総司令ロウスター。ということは金髪の役者みたいなこの男が、宰相のシェルツェルだろう。

 白い服の人物は、すっぽりかぶったクロークに隠れて体格がよく判らないし、スカーフで目から下を覆っているので、一見しただけでは男か女かも判別がつかない。切れ長の目元と、深みのある紅い瞳が見えるだけだ。

 どういう立場の人間なのだろうか。兵士とも使用人とも毛並みが違うのは、グランにも見て取れた。

「王子だって悪気があったわけではありますまい。話のあいそうな御仁を見つけて、嬉しくてつい飛びだしてこられたのでしょう。カイル王子らしい率直な振る舞いではありませんか」

 言葉と一緒に広げる腕や手の動きまでが芝居がかっていて、逆に小馬鹿にしてる感じがありありと伺える。気がついてないのは当のカイルぐらいだろう。ルスティナは表情を消したまま軽く一礼した。

「シェルツェル殿、寛容なお言葉で恐縮であります。ではもう刻限を過ぎております故、王子と我らは失礼を……」

「まぁお待ちなさい、私も王子に御用があるのです」

 ルスティナ側の空気など全く読みもせず、シェルツェルは王子に歩み寄り、儀礼的に片膝をついた。脇に立っているグランには、壁際の彫像ほどにも目もくれない。

「カイル王子、前々からご所望であった白パヤールが五〇株ほど到着いたしました」

「本当!」

「はい、もう虫と土の検査も済ませ、あとは王子のご検分を待つばかりとなってございます。しかし、お急ぎの用事が控えているとあれば……」

 ここでちらっとルスティナに視線を移す。ルスティナが口を挟む隙も与えず、カイルはぶんぶんと首を振った。

「侍女になるなら、後で嫌でも顔を合わせるんだから別にいいよ! 早く見せてよ、どこにあるの」

「王子、それではほかの者に示しが……」

「侍従長には、シェルツェルと大事な話があるって言っておいてよ。それにしても白パヤールが五〇も手にはいるなんてすごいや、どうやって頼んでくれたの」

 カイルは目を輝かせながら、ツェルツェルの手を引っ張って立ち上がらせた。

 嬉しそうな困ったような顔で、シェルツェルはルスティナに笑いかける。表情も仕草も全てが芝居がかっているのは、生来の癖なのだろうか。

「ルスティナ殿、私もあとで侍従長殿には謝っておく故、ここはうまく取りなしてくださるようお願いしますぞ。王子、ではご案内させていただきます」

「うん、五〇もあれば外花壇でも試せるなぁ」

 もうグランどころかルスティナすら目に入っていないらしく、カイルはシェルツェルを引っ張るように本館に向かって歩き始めている。シェルツェルは、それこそモノを見るような目でグランを一瞬見ただけで、すぐに表情を芝居がかった笑顔に戻した。株を手に入れるためにあれこれ手を尽くしたというようなことを、歩きながらカイルに向かって話し始める。

 その後ろを、同じようにグランを横目で見て、白い服の人物が静かに付き従っていく。更にその後ろを、ルスティナの後についてきた兵士と侍女たちが、慌てて列を整えて従っていった。

 ルスティナはため息を飲み込むような顔で、グランの隣でそれを見送っている。

 なるほど、エスツファが泣き所と言った意味が判った気がした。

 国によって王家と軍の関わり方は違ってくるが、ルスティナとカイルのそれは単に「軍の高官が忠義から王家の人間を案じている」、といった簡単なものでもなさそうだ。

 ルスティナが残ったのは、グランとまた話をするため……でもないようで、

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