第五話 皓月将軍の相談<後>

「……そんなこんなでごたごたしてるところに、今度はエルディエルの姫君が旅の隊列から逃げ出した、っていう話が飛び込んできてさ」

 横で聞いているだけなのも飽きてきたらしいエスツファが、言葉を継いだ。

「なんでも、国を出てきてからカカルシャの王子との見合い話らしいっていうのが判って、癇癪をおこしたらしいんだよ。あの国は女でも大公になれるらしいが、第五公女にもなれば、もう嫁に出すくらいしかなさそうなもんなのになぁ。町でも噂になっておらぬか?」

「あ、あぁ……そういえば連れがそんな話をしていたな」

 さすがにここで動揺が顔に出たらまずい。グランは知らん顔で頷いた。

「で、おれ達もいくらか人手を割いて協力しているのだが、なんでか今、妙な噂というか憶測が、エルディエルの内部で流れてるらしい」

「噂?」

「『ルキルアが、アルディラ姫を国内で捕らえて、政治交渉の道具に利用しようとしている』ってさ。今では『出入りの商人がルキルアの王城でアルディラ姫らしいお姿を見た』なんて話もでているようだ」

 言いながら、エスツファは大げさに肩をすくめた。

「確かに公女が姿を消された場所はここからさほど遠くはないのだが、土地勘のない女子供が街道をそれて徒歩で、誰にも見られずに領内に入るのはどうしたって無理がある。もし誰かに捕らえられて連れ去られたのなら、逆に街道をそれず、かなり早い段階で馬車などで遠方に移動している考えるのが妥当というものだ」

 まぁそれはそうである。誰も……家出公女がうまい具合に歩いて領内に入ってきた上に、助けてくれた通りがかりの二人組を脅して城下に潜り込んでしまったとは、思わないだろう。

「噂とはいえ、いったいなにを根拠に姫が我が国の領内にいて、ましてや我々が捕らえていると言うのか。と考えると、どうも……なぁ」

 エスツファは語尾を濁したが、言いたいことは伝わってきた。目的は判らないにしろ、噂を使ったやり口が、シェルツェルのそれに似ているのが気にかかるのだろう。

「とにかくおれ達としては、近くにいるなら早急に公女を保護して不要な疑いを晴らしたい。このままではエルディエルとの外交問題にまで発展しかねないし、この騒ぎをシェルツェルがどう利用しようと考えるかも判らないからな」

 親への反抗心だけで家出してきただけのあの姫君は、これを聞いたらどう思うのだろう。アルディラはまだ逃げ回る気でいっぱいのようだ。今のあの様子では、自分たちから名乗り出るのは難しそうだ。

「確かに、今までも何事もなく穏やかにやってきたわけではないのだが」

 組んだ足に肘を置き、頬杖をついて話を聞いていたルスティナが、ため息のように言葉を継いだ。

「最近起きることはどれも、今までの我々の経験にはなかったことばかりで、効果的な対処法や打開策の案が出てこない。せめてフェルザント様がご健在であれば、私とはまた違った視点から助言を頂けるのかとも思うのだが、もうそれもかなわぬ」

「……フェルザント?」

「前の黒弦の総司令であるよ」

 グランの問いに、エスツファが肩をすくめた。

「おれもルスティナも最初の所属はまったく違うが、フェルザント様に声をかけていただいたのがきっかけで、黒弦副司令を拝命するまでになったのだ。ルスティナが白弦の総司令になったのも、そこでの実績が皆に評価されたからだ」

「へぇ……」

「残念ながら、昨年、急な病で亡くなられてしまってな。その後を、シェルツェルが無理矢理ねじ込ませてきたのが、フェルザント様の不肖の息子、ロウスター閣下だ。黒弦白弦の総司令は、有事の時には全軍の頭脳になるような要職だぞ。あんな図体ばかりの馬鹿息子なんか役に立つわけがないのを、王だってお判りのはずだがな」

 のんびりとした顔つきで言いたい放題だ。ルスティナは苦笑いを見せたものの、特に咎める様子もない。

「総司令になってからも、特に役に立つわけでもないのに、人事や業務に首を突っ込んでくるようになってきたのだ。シェルツェルになにか吹き込まれているのだろうと、しばらくおとなしく見ていたのだが、先日とうとう腹に据えかねて、泣かせてしまってなぁ」

「……泣かせた?」

「いや、それはまぁ、男同士の情けと言うことで」

 エスツファはなぜかちらりとルスティナを見たが、面目なさそうに頭をかいただけで詳しく言おうとはしなかった。

「それでシェルツェルに泣きついたらしい。とうとう副司令解任とあいなったおれを、ルスティナが引き取ってくれたのだ」

「元黒弦副司令を麾下に置けるなど僥倖だ」

 ルスティナはくすりと笑うと、改めて背筋を伸ばし、グランを見た。

「しかし、前にも増してシェルツェル殿は影響力を伸ばしている。それが、王や国全体の益になるのであればよいのだが、どうもそのようには思えぬ。ありていに言えば、自分の孫である弟王子を王位に近づけるために、手段を講じているようにしか私たちには思えないのだ」

 まぁ、誰が見てもそんなところだろう。利用できるものは利用してやれとばかりに、軍の人事にまで首を突っ込んでいるのだ。どの国にもよくある話だ。

 そして規律を重んじる良識派は、それを憂いているものの、じわじわとシェルツェルに包囲を狭められて身動きがとりにくくなっている、と……

 他人事のようにそこまで推察してから、やっとグランは、ルスティナが自分をここに呼び出して、こんな話をしている理由に思い当たった。思い当たったが、もう遅かった。

「今の我々には、我々と違った視点で状況を見ることができ、型にはまらない考えを持った者の助けが必要だと思ったのだ。それも、ただ我々とは立場が違うというだけではダメだ。それなりに社会的な経験があり、常識とは何かを把握しながらも、それに捕らわれず自分の判断で行動ができる者。相手がどんな者でも、萎縮せずに自分の言葉を述べることができる者。権力や金銭に対し、必要以上の欲を持たず、行動に良識が期待できる者」

 そこまで一息に言って、ルスティナは確信を持った目でグランを見据えた。視線は熱いが、これは職務として人材を熱望する目だ。まったく艶っぽいものがない。

「グランバッシュ殿、そなたなら、今の行き詰まった現状を打破するきっかけを見いだしてくれるかも知れない。目的のある旅の途中であろうから長くとは言わない、今の内外の事態が一段落するまで、しばし私の客人として知恵と力を貸してくれないか」

 こーれーは……

 とっさにどう答えていいのか思いつかず、グランは内心で頭を抱えた。

 確かに、旅の相方は変わり者の神官だし、高名な法術士にも目の前の軍の高官にも取り入ろうとしない。広場で脱走者を捕まえるのに協力しても、礼はいらないなどという。

 彼らにしたら、自分がただの傭兵臭く思えないのが不思議で気になるのだろうとは、グランにもよく判った。

 しかしどんなに真正面から頼まれたところで、こんな話を引き受けるわけにはいかないのだ。

 アルディラのこともあるが、ランジュもどこに行ったかいまだに判らない。そもそもランジュを連れて行った連中の目的もさっぱりだし、そいつらにまず相応の礼をくれてやるのがグランにとっては先だ。

 そういうのを考える以前に、国家級のもめごとに首を突っ込んだところで、面倒なだけに決まってる。

 断るなら早いほうがいいだろう。グランは口を開きかけたが、

「お話中失礼いたします、ルスティナ様」

 ノックの音と同時に部屋の扉が開き、さっき水差しを運んできた使用人が顔をのぞかせた。

「月花宮で、王子の新しい侍女たちと顔合わせのお時間です。恐縮ですが後の予定もあるのでお急ぎ下さいと、侍従長よりご伝言です」

「ああ、そんな時間になるか」

 慌てた様子でルスティナが立ち上がった。言葉だけはグランに向けながら、

「警護の都合上、月花宮の使用人は把握しておくようにしているのだ。グランバッシュ殿、終わったらすぐ戻ってくるので、……それまではエスツファ殿と城内の見学でもしていてくれ。エスツファ殿、よろしく頼む」

「承知」

「え、いや俺は」

 保留にされたって困るのだ。グランは引きとめようと腰を浮かしかけたが、ルスティナの行動はもっと早かった。執務机の上から書類を拾い上げ、使用人があけたままのドアを早足ですりぬける。

「……ひょっとして、今、断ろうとしたのであるか?」

 半分呆然と見送っていると、相変わらず執務机に寄りかかったままのエスツファが、空になったカップをもてあそびながら声をかけてきた。

「そりゃまぁ……」

「なるほどねぇ」

 それまでのとぼけた表情が一転し、エスツファは楽しそうににやりと笑った。

「傭兵なのに、金銭的な条件を聞こうとするわけでもなければ、軍隊の上の人間にうまく取り入ろうという考えもないのだな。なかなか面白い。元騎士という噂も、まんざらではなさそうだ」

 いや、そうではなく。

「ルスティナ……、閣下はああいってたけど、あんたはどうなんだよ?」 

 もちろん、こちらの事情など説明できない。グランは椅子に座り直し、エスツファを横目で見上げた。

「つい最近この町に来たばっかりの俺に、国の内情まで喋っちまって、いいのか、あれ。それなりに俺のことも調べたようだが、それにしたってちょっと軽率じゃないか?」

「そう思って、おれも同席したのだ。ひょっとしたらあんたの顔がよっぽど好みにはまって、判断が鈍ってるのかと心配もしたのだが、やっぱりあいつは色恋とか興味ないんだな。女だからまだいいが、男だったらただのつまらない堅物だよ。あ、そういう話ではないな」

 誉められているのかなんなのか、さっぱり判らない。

「今のあんたを見たら、ルスティナが言うことも悪くないとは思った。おれは無理にとは言わぬが、断るにしても、あの気性だから直接話して納得させないとな。おれに伝言くらいで帰ったら、今度はあんたの宿に直接出向いてしまうぞ」

 それはとても困る。万一ルスティナとアルディラが鉢合わせなんかしたら、目も当てられない。思わずため息をついたら、余計に面白そうにエスツファはグランの肩を軽く叩いた。

「せっかく来たのだから、ルスティナが戻るまで中の見学くらいしていけばいいさ。後々の話のネタくらいにはなるだろうよ」

 まったく、市場の気のいいおっさんとノリが変わらない。


 正面ホール二階の踊り場から下を見下ろすと、階下のほぼ半分がよく見渡せる。半人半馬の像の両脇に、槍を持った衛兵が姿勢良く立っているのも、行き来する兵や使用人達が、エスツファに案内されているグランをさりげなく伺いながら歩いているのも、よく見えた。

 踊り場を挟んだ北側の廊下では、使用人の若い娘達が花瓶に飾られた花を入れ替える素振りをしつつ、こちらをちらちら見ながら小声でなにか話をしている。

 退屈な城の生活で、『皓月将軍お気に入りの、異国から来た美しい元騎士が城を訪問している』のは、かなり扇情的(センセーショナル)な出来事なのだろう。それも自分ほどの色男なのだから無理もない。そう思うと少しは煩わしさも許せる気になって、グランは視線をエスツファに戻した。

「……おれも長いこと王にお仕えしているが」

 階段の壁に飾られた絵画を適当に紹介する素振りで、エスツファは続けた。

「ここ一年ほどの間に、国全体の雰囲気がおかしなことになってるのは確かなのだ。シェルツェルなど、ついこの間まで借金だらけの冴えない弱小領主だったのだよ。それが気がつけば新しいお妃のお父上、弟王子の祖父様で、今をときめく宰相様だ」

「へぇ……」

 結果的に、妃よりもその父親の方が玉の輿の恩恵にうまく与(あずか)ったわけだ。権力者と血縁を結ぶのは成り上がりの王道といえば王道だが、ここまであからさまなのも近年あまり見ない。

「真綿で首を絞めるじゃないが、じわじわ真綿でぐるぐる巻きにされて、みんなして身動きとれなくなってきてるような、妙な感じなのだ。身動きがとれないだけならよいが、この真綿にある日突然火でもついたらどうなるかと、ガラにもないことを考えることもある。内外の問題もそうだが、ルスティナがこの空気そのものを打破したいと思っているのも、おれは判らぬでもない」

 ゆっくりと階段を降りながら話を聞いていたら、早足で階下にやってきた若い兵士がエスツファに向けて声をかけてきた。

「副官……じゃない、エスツファ殿、街道の部隊より定時連絡の兵が戻ってきました」

「ああ、もうそんな時間か」

 なんだかんだ言いながらも、やはりそれなりに忙しい身のようだ。

「アルディラ姫の捜索に協力してる部隊からの報告だ。悪いが、おれも話を聞いてくるよ」

「ああ」

「あ、そうそう元騎士殿」

 何歩か階段を下りかけて、エスツファは思いついたように足を止め、本館へつながる廊下の先を指さした。元騎士ってなんだと、グランが抗議するよりも早く、

「さっきも言ったが、その先を行けば本館へつながる渡り廊下に出られるから、後で行ってみるといい。ひょっとすると、半月将軍の唯一の泣き所にお目にかかれるかもしれん」 

 にやりと笑って、エスツファはマントを翻し、歩くよりは多少急いでいるといった風情で階段を下りていった。それを見送りながら、グランはぼんやりと呟いた。

「泣き所、ねぇ……」

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