第四話 皓月将軍の相談<中>

 執務机に置かれた呼び鈴をルスティナが振ると、部屋付きらしい使用人が水差しと人数分のカップを乗せた盆を持って入ってきた。ルスティナに言われるとおりに長テーブルの端にそれらを置き、水差しの中の液体をカップに注いでいく。

 化かされたような顔つきで椅子に座らされているグランの前にもカップを置くと、彼女はぺこんと頭を下げてまた出て行った。

 しばらく歩いたのと、体の痛みのせいで疲れを感じていたから、椅子で休ませて貰えるのは有り難かった。が、ルスティナの意図が相変わらず判らないので、当然落ち着いた気分にはならない。

 そのルスティナは、グランのはす向かいに足を組んで腰掛け、注がれた緑茶の香りを楽しんでいる。エスツファは、カップを持ちはしたものの、ルスティナの側に立ったままだ。

 ルスティナはグランの視線に気付くと、遠慮するなとばかりにグランの前にあるカップを指し示した。仕方なく、グランもカップに手を伸ばす。

 緑茶は確かに、そのあたりの屋台で飲むものとは違い、色も香りも秀でている。感心した様子のグランを満足そうに眺め、ルスティナは言った。天気の話でもするような、なんでもない口調だった。

「実は、この街に来るまでのグランバッシュ殿の足取りを、少し追わせてもらったのだ」

「ふうん……え?」

 聞き流しかけ、グランは一拍おいて思わず動きを止めた。

 真っ先に頭をよぎったのはアルディラのことだった。心臓の動きが幾分速くなったが、ルスティナの表情には、さっきと特に変わったものも見られない。グランは可能な限りの平静を装って聞き返した。

「な、なんでまた?」

「エレム殿もそうだが、グランバッシュ殿のひととなりを知りたいと思ったのだよ。ただ、時間が丸一日しかなかったので、スィンザの村に現れた所までしかたどれなかったのだが」

 時間があったって、それ以上はたどれない。グラン達はその近くにある遺跡の前に、忽然と現れたのだ。

「あのあたりで悪さをしてい者たちを捕らえて、村の自警団に引き渡してくれていたのも二人だったのだな。ろくに礼もできぬままだったと、村の者たちも残念がっていたというぞ」

「そ、それは、まぁ、あいつらとたまたまかち合っただけだったから……」

「しかし、出会った賊どもを無為に殺したりせず、生かしたまま捕らえて引き渡したのだ。傭兵を生業にしているのに、節度をわきまえているのが、逆に私には不思議に思えた」

 あんな奴らを殺したところで、剣が痛むだけで全然金にならないじゃないか……。グランの心の声など、もちろんルスティナに聞こえるわけはなく、

「だが、シャスタの町での噂を聞いて、合点がいった。話によると、グランバッシュ殿は、実は東国の騎士だったそうであるな」

「はぁ?!」

「なんでも高名な法術師ラムウェジ殿が自ら、グランバッシュ殿とエレム殿が、あの有名な“緋の盗賊”エルラットを捕らえたという話を皆に伝えていたそうだ。“緋の盗賊”が率いる六〇人からの盗賊団を、たった二人で押さえ込んでしまったとの話だ。それも、ひとりとして死者を出さなかったと。北西地区では、“緋の盗賊”が唯一負けを認めた勇者“漆黒の刃”として、グランバッシュ殿は英雄扱いと聞くぞ」

「ちょっと待て! 話がでかくなりすぎだろ!」

 グランは思わず抗議の声を上げた。あの女、いくら親馬鹿でも尾ひれをつけすぎだ。

 ラムウェジのことだ。大衆演劇の話でもするように大げさに言ってまわったのだろうが、あの女は、大陸で五本の指に入るといわれるほど強力な力を扱う、高名な法術師なのだ。ラムウェジを有り難がってる奴らにしたら、冗談が冗談に聞こえないことは十分にありうる。

 微妙に本当のことが混ざっているから、なにから訂正すればいいのか、とっさに思いつかない。ルスティナはグランが照れているとでも思ったらしく、軽く微笑んだだけで、

「それに、グランバッシュ殿とエレム殿は、ラムウェジ殿より、少女を異国にいる縁者の所まで送り届ける役目を預かっていると聞いたが」

「そ、それはまぁ、そうだけど」

「高名な法術師であるラムウェジ殿にそこまで信頼されるなど、よほどのことだろう。一体グランバッシュ殿はどういった印象であったかと、町の者らに話を聞いたところ、これがいたく高評価でな。グランバッシュ殿はシャスタの町に滞在中、昼は勤勉に役場や図書館に通い調べ物をし、夜は羽目を外すでもなく宿を借りていた教会に戻って、預かった子供の面倒を見ていたというではないか」

 行動だけならその通りではあるが。

「さすがラムウェジ殿が、ご子息の友として信頼に足ると見込まれた方だと、そなたを悪くいう者が誰もなかったという。今でこそ旅の傭兵として渡り歩いているが、きっとどこかの王宮で騎士として仕えていたのであろうという話で」

「ただの憶測じゃねぇか」

「……そうであるな。しかし誰に聞いても、『粗暴に振る舞ってはいるが、それはそう装っているだけで、本当は実直な青年であろう』と答えたそうだ」

 いやいやいや。

 グランがおとなしくしていたのは、単にあの町にはたいした遊び場が無かったからだし、ラムウェジに釘を刺されて遊び回れる空気でもなかった。それ以上に、それまでと全く違う場所に飛ばされたものだから、グランはなにより周辺の情報が欲しかったのだ。

「そして先日の広場での件だ。武器を持って人質を取った者相手に、冷静で効果的な対処ですぐに事態を収めてしまった。正義感だけではああいうとっさの対応はできない、それなりに場数を踏んだ者でないと難しいことだ」

 あれはただ、あのちんぴらが気にくわなかったのだ。場慣れしているのは否定しないが、あの場合は『むかついたから思わず』が一番近い。

 一体なにをどう答えればよいのか。絶句してしまったグランを見るルスティナは、相変わらず好意的な笑顔を絶やさない。

 しかしルスティナが、ここまで自分に対していい印象を抱いて疑いもしないのが、逆にグランにはひっかかった。

 人は、どんなに客観的で冷静であろうとしても、基本、自分の信じたいことを信じる。わざわざグラン達の足取りを調べさせ、『グランバッシュは品行方正で正義感を秘めた旅の元騎士』なんて報告を疑わないのは、そのほうがルスティナにとって都合のいいなにかがあるのだ。

 グランは横目でエスツファを見たが、素知らぬ顔で茶をすすって、気がつかない振りをしている。

「……実は、我がルキルアでは、少々厄介なことが積み重なっている」

 ルスティナは少し背筋を正し、幾分声を低めた。

「きっかけは、王が新しい妃を迎えられ、妃の実父であるシュルツェル様が宰相となられた辺りからに思う。それまでの王は伝統と調和を重んじ、筋の通らない人事などされる方ではなかった。それなのに、宰相殿に言われるまま、黒弦総司令に実績も何もないロウスター殿を据えられたり、以前は会議で重鎮達の意見を聞いて判断していた公共施設の整備なども、最近では宰相殿の提案ばかりに耳を傾けられることが多いのだ」

 さっきフォルツの言葉の中に出てきた名前だ。エスツファはルスティナの言葉を肯定するように、小さく頷いている。

「最近のシェルツェル殿は、前妃との御子である第一王子のカイル様よりも、新しい妃との間にもうけられた弟王子のほうが、王位を継ぐにふさわしいと言わんばかりの振る舞いだ。そのせいだとは言わぬが、最近では時々、出所の判らない、実際にはない王子の失態の噂が流れていることもある。軍や城の内部の者は、そうそう噂に踊らされることはないのだが、内情を知らない貴族達や一部の富裕な市民達には、まことしやかにささやかれると真に受ける者もあるらしい」

 ルスティナは大きく息をついた。

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